4 1967年

(1)250cc

 1967年型としてボア・ストロークを41×31.5oのショートストロークにした2RC166Eエンジン(RC166改)の開発が1966年3月に始まっていた。しかし、ヘイルウッドはシーズン当初RC166Eを使用しシーズン後半に2RC166Eを使用したものと思われる。また、フレームは基本的に1966年型と同じようだが、ヘイルウッドに与えられたマシンのフレーム番号はRC166F-101、RC166F-102で、以下、前者を101、後者を102と表記する。
 ホンダが50cc、125ccクラスから撤退したため、前年、これらのクラスを走ったラルフ・ブライアンズに250cc6気筒が与えられた。たった1台だけでスペアマシンはなかった。このマシンは寄せ集めで、エンジンは、前半は「2RC165Eブロック+3RC165Eヘッド(またはRC166Eヘッド)」、後半は「RC166Eブロック(または3RC165Eブロック)+2RC165Eヘッド」、フレームは3RC165Fを使用したようだ。
 また、1967年に使用されたマシンと1966年のマシンの外観上の差異として、次のことが挙げられる。
・1966年はブリーザーのキャッチタンクがエンジン右前方にあったが、後フェンダー前に置かれた。
・1966年はフェアリング後部のステーがエンジン上後部のマウント部分に装着されていたが、フレームのバックボーン部に装着された。

 
第1戦スペインGP(モンジュイック、下左端)ではビル・アイビー(ヤマハRD05A)がスタートよく飛び出すが、1周目途中でエンジン不調、ピットインしプラグを交換し再スタートするが、回復せずリタイア。ヘイルウッドがトップに立ち、フィル・リード(RD05A)を1周につき2秒程引き離し出す。そして13周終わりにはその差は35秒にもなったが、14周目、ヘイルウッドがペースダウン、原因は後タイヤのパンクだった。ヘイルウッドはリードに抜かれ、14周の終わりにピットイン・リタイア。リードがそのまま優勝。ブライアンズが2位。
 ヘイルウッドのマシンは101。下左のマシンのエンジンはブライアンズの2RC165Eと思われる。

 第2戦ドイツGP(ホッケンハイムリング)、ヘイルウッド(中、右)が2周目に点火系の故障でリタイアしリードがトップに立つ、続いてアイビーがトップに立つがアイビーは6周の終わりに変速機の故障でリタイア、リードも7周の終わりにプラグ交換のためピットイン、大きく遅れ、ブライアンズ(右端)がトップに立つ。リードは猛烈な追い上げを見せるが、結局、ブライアンズが優勝、リードは2位。
 中は102で右は101、レースでヘイルウッドは101を使用したようだ。
             スペイン                                ドイツ

  第3戦フランスGP(クレルモン・フェラン)、序盤、リード、アイビーが先行、ヘイルウッド(下左端)が続くが、ヘイルウッドは4周目にスパートし2位との差を広げ出す。アイビーのRD05Aが変速機の故障を起こし遅れる。リードは必死で追い上げるが、クラッチケーブルが外れクラッチ無しの状態になり遅れ3位に落ちる。しかし、ヘイルウッドのホンダも14周の終わりに変速機故障(1、2速が使えなくなった)でピットイン、直せるはずもなく再スタート、上位3人は揃ってトラブルを抱えて走ることになった。そして比較的故障の程度が小さかったアイビーがトップに立ち優勝、ヘイルウッドはブライアンズ(下左)に3位の座を譲られた。
 ヘイルウッドのマシンは101。ブライアンズのマシンのオイルパンの形状をヘイルウッドのマシンのものと比較すると若干異なる。ブライアンズのマシンは第2戦時と同一。
       
           フランス                       マン島
  第4戦マン島TT(マウンテンコース)は2台ずつ10秒間隔でスタートするタイムレースだが、ブライアンズ(上中、プラクティス中のもの)が最初のスタートを切り、10秒後に本橋明泰(RD05A)、さらに20秒後にヘイルウッド(上右)、10秒後にアイビー、20秒後にリードがスタート。1周目を終わり、ヘイルウッドが21分53秒8でトップ、リードが1秒8、アイビーが0.8秒、ブライアンズが50秒6秒の遅れ、本橋は23分35秒8で6位。2周目、ヘイルウッドがペースアップし最速ラップを記録、リード、アイビーは少しずつ遅れだす。本橋は2周目にエンジン故障でリタイア、アイビーも4周目に山岳地帯でクランクシャフト破損でリタイア。ヘイルウッドのペースは最後まで落ちず優勝、2位リード、3位ブライアンズ。
 プラクティスでのトップスピードはアイビー247.5km/h、リード239.4km/h、ブライアンズ234.6km/h、ヘイルウッド233.6km/h。
 ヘイルウッドのマシンは101。長丁場のレースのため、RC174F用のスイングアームと3.50-18タイヤを組み込み出場した。ブライアンズのマシンは第3戦時と同一。上右端はブライアンズのマシンのエンジンだが、シリンダーヘッドとシリンダーの冷却フィンが段違いなのがわかる。

 第5戦オランダGP(バンドレンテ)では、リードが好スタート、しかし、ヘイルウッド(下左端)が2周目にトップに立ちリードを広げる。リードは中盤にエンジン不調でリタイア。ブライアンズ(下左)は一時、アイビーをリードするが、ブレーキ不調のため遅れ3位。
 ヘイルウッドのマシンは102。下中はブライアンズのマシンで、第4戦時と同一マシンと思われる。右クランクケース後端のブリーザーからエンジンブロックは2RC165Eとわかる。キャブレターはフラットバルブ。
    
                   オランダ                          ベルギー
 
第6戦ベルギーGP(スパフランコルシャン)は1周目を終わってリード、アイビー、ヘイルウッド(上右)、ブライアンズの順、しかし、ヤマハ勢とヘイルウッドの差は徐々に広がる。5周目、リードがクランク破損でリタイア、アイビーがトップに立つ。レースはそのままアイビーが優勝した。ブライアンズのホンダはオイル漏れを起こし、ピットイン、タイヤに付着したオイルを拭って再スタートするが、最終ラップ、エンジンが停止しマシンを押して3位でゴール。
 ヘイルウッドのマシンは102。上右端はブライアンズのマシンだが、クランクケース右後端の形状からするとブロックは3RC165EまたはRC166Eだろう。このレースから新しく組み上げたエンジンに変更したようだ。

 第7戦東ドイツGP(ザクセンリング)6周までリードとヘイルウッドの激しいトップ争いが演じられるが、7周目、ヘイルウッドのエンジンが破損、ピットイン・リタイア。リードはペースを落としそのまま優勝。ブライアンズ(下左)は3位。
 ヘイルウッドのマシンは101。ブライアンズのマシンの前フォークは未塗装のものになった(ベルギーでは未確認)。

 第8戦チェコスロバキアGP(ブルノ)は1周を終わり、ヘイルウッドはリード、アイビーのヤマハ勢に10秒の差を付けられた。ヘイルウッドは追い上げをあきらめペースダウン、ヤマハ勢2人の独走になりリードが優勝。なお、ピット前ストレートではホンダが219.9km/h、ヤマハが229.91km/hだった。
 ヘイルウッドのマシンは101

 東ドイツでエンジンが破損したため、第9戦フィンランドGP(イマトラ)までに急遽2基のエンジンが空輸された。
 雨の中、レースがスタート、1周を終わり、ヘイルウッドがヤマハの2人に4秒差を付け、そのままリードを広げる。リードはエンジンがミスファイアするが、何とか3位を保っていたが、17周目に変速機故障でリタイア。ブライアンズは変速機故障で2周でリタイア。
 下左はヘイルウッドのおそらく101

第10戦アルスターGP(ダンドロッド)、リードがスタートよく飛び出すが、2周目、ヘアピンで転倒、リタイア、ヘイルウッド(中)がトップに立つ。アイビーは必死にヘイルウッドを追うが、4気筒の内の1気筒が働かなくなり、ブライアンズが抜き3位に落ちる。そのままヘイルウッドが優勝。
 ヘイルウッドのマシンは101
     
 東ドイツ   フィンランド     アルスター        イタリア 

 第11戦イタリアGP(モンツァ)、ヤマハ勢の2人がスタートよく飛び出したが、ヘイルウッド(上右)がすぐに負いつき1周目の順位はヘイルウッド、アイビー、リード、ブライアンズ(上右端)。しかし、ヘイルウッドは3周目、コンロッド折損でリタイア、その後リード、アイビー、ブライアンズの3人が激しいトップ争いを演じ、順位を入れ替えるが、この順でゴール。リードが選手権争いでトップに立った。
 ヘイルウッドのマシンは101のようだ。

 第12戦カナダGP(モスポートパーク)ではヘイルウッド(左)が好スタート、リードはマシン不調で遅れる。しかし、アイビーがすぐヘイルウッドに追いつき2人でトップ争いを演じる。このまま終盤を迎えるが、アイビーのRD05Aは最終ラップを前にしてクランク破損、リタイア。ヘイルウッドが優勝、2位リード。ブライアンズはプラクティスで転倒したため、精彩なく3位。この結果、個人選手権、メーカー選手権争いは最終戦日本GPに持ち越された。
 海外の文献ではこのレースから新型車が登場したとすることが多い。またサスペンションが新型になったとする記述も少なくないが、右端写真ではよくわからない。

  第13戦日本GP(富士スピードウェイ4.359kmショートコース)、下左端、下左(スタート直前)はヘイルウッドのマシンだが、エンジン後端に固定されているものは何なのだろうか? また、フェアリング右下後端がカットされているが、排気管が変更されたのだろうか? 前フェンダーには「3」と書かれている。マシンの外観からすると101に103エンジンを搭載したことを示しているように思える。
 下中はオフィシャルプラクティス開始前に撮影されたブライアンズのマシンだが、ブリーザーパイプからするとエンジンブロックは3RC165E/RC166E系と思われる。また、下右(※)のブライアンズのマシンもエンジンブロックは3RC165E/RC166E系とわかる。おそらくこの2枚の写真は同一マシンのものであり、第6戦以降用いられたものだろう。

 プラクティスではヘイルウッドが1分34秒98でポール、アイビーが1分36秒16で2位、以下、ブライアンズ(下右端)、本橋、リード、長谷川弘(RD05A)と続く。

 レースではヘイルウッドがフライング気味にスタートするが、1周目、長谷川がトップでホームストレートを通過、ヘイルウッドが直後につける。そのままレースが進むが、4周目、リードがエンジン故障でピットイン、リタイア。ヘイルウッドは5周目のヘアピンで長谷川をかわすが、ホームストレートでは長谷川が抜き返す。6周目終わり、ヘイルウッドがピットイン、点火系の不調の様子、ピットアウトするが1周でピットイン、リタイア。長谷川、アイビーの順でそのままレースは進むが、26周目の1コーナーあたりで、長谷川がクランク破損でリタイア、アイビーがトップに立つ。しかし、アイビーも29周目、長谷川と同じ地点でクランク破損でリタイア。ブライアンズがトップに立つ。そのままブライアンズがトップでゴール、本橋が2位。この結果、メーカーチャンピオンは、全13戦中有効得点にカウントする7戦全てを制したホンダのものとなった。個人チャンピオンは二転三転の末、ヘイルウッドに決定した
        


(2)
350cc

 1966年、ホンダ250cc6気筒は圧倒的な強さを見せると共に350ccクラス以上の早さを見せた。このため、ヘイルウッドの要望もあり、1966年8月頃から、250cc6気筒を拡大しボア×ストロークを41×37.5oにした297cc6気筒RC174の開発に着手、1967年の350ccクラスに参戦することになった。出力向上に対応しフレーム、ブレーキ等も250ccとは異なる専用のものである。

  左のスタジオ写真は、67シーズン前に公開されたもののようで、ゼッケン"35"は、"350ccクラス"を示すのだろう。右はシーズン前、鈴鹿で公開テストされた時のもののようだ。何れも上中と比べフレーム、前ブレーキが異なることが分るだろうか。この時点では前フェンダーは250tと共通のようだが、実戦では大半のレースで別タイプが用いられた。      

 第1戦ドイツGPには2台のRC174が持ち込まれた。レースではヘイルウッド(下左端)がアゴスチーニ(MV3気筒)に1分以上の大差を付け優勝。ヘイルウッドのマシンはおそらくRC174F-301(以下「301」)。

 第2戦マン島TT、ヘイルウッド(下左)はスタート順2番目、アゴスチーニは3番目という不利な立場だったが、1周目スタンディングスタートから21分0秒8を記録、前年ヘイルウッド自身が500ccクラスで記録したコースレコードを上回り、アゴスチーニに48秒6の差を付けた。ヘイルウッドのペースは2周目以降落ちるが、それでも前年の500ccのレース記録を上回りアゴスチーニに3分以上の大差を付け優勝。
 ヘイルウッドのマシンはおそらくRC174F-302(以下「302」)。

 第3戦オランダGPでもヘイルウッド(右)はアゴスチーニに40秒差で優勝。ヘイルウッドのマシンはおそらく301。右端はパドックでのヘイルウッドのマシン。

 第4戦東ドイツGPでもヘイルウッド(下左)がアゴスチーニに2分29秒の大差で優勝。ヘイルウッドのマシンはおそらく302で前フェンダーは250cc用のもの。
ドイツ  マン島 オランダ

 第5戦チェコスロバキアGPでヘイルウッドが優勝し、有効得点にカウントする5戦に勝利したヘイルウッドが個人タイトルを、ホンダもメーカータイトルを獲得した。

  第6戦アルスターGP、ヘイルウッドは250cc、500ccクラスに集中するため欠場、ブライアンズ(中)がRC174に初めて乗ることになった。レースでは一時トップを走るものの、最後はアゴスチーニに10秒差の2位だった。
 ブライアンズのマシンは301
   
    東ドイツ      アルスター      イタリア

 第7戦イタリアGPもブライアンズ(上右)のみが出場、優勝した。

 第8戦(最終戦)日本GPでは新型車が持ち込まれた。ヘイルウッドが跨る下左端のマシンはゼッケン番号も記入されておらずおそらく11〜12日の自由練習の時に撮影されたものと思われるが、フェアリングは新品のようだ。そのフェアリングの右側のオイルクーラーの冷却気の排出口に膨らみがある。この部分は丁度シリンダーヘッドの排気カムシャフトケースがあり、エンジン搭載位置が従来より下になったものと思われる。下左は車検時のヘイルウッドのマシン(302)だが、その膨らみはない。レースでは下右、下右端のようにヘイルウッドは従来型(ゼッケン12)の302、ブライアンズは新型(ゼッケン14)の301に乗った。おそらくフレームはいずれも従来型でエンジン周り、フェアリングのみ新型にな
ったのだろう。
 MVチームは出場しなかったためホンダにライバルはなく、レースはヘイルウッド、ブライアンズのランデブー走行に終始し、ヘイルウッド、ブライアンズが1、2位。

5 1968年

 1968年に向け新型のマシンの開発が進められていた。ヘイルウッドによると250cc、500ccは完成しており、350ccはもう少しというところだった。
 ホンダは4バルブエンジンを復活させ、1960年代の2輪、4輪の4ストローク・レーシングエンジンをリードしていたが、1967年、4輪のオランダGPでロータス49/フォード・コスワースDFV(3リッター8気筒)が登場、素晴らしい速さを見せホンダにもショックを与えた。このエンジンはストローク/ボア比0.756でバルブ挟角は32度と当時としてはかなり小さく、その後のレーシングエンジンに大きな影響を与えた。1968年型のF1エンジンRA301Eも従来のRA273Eよりバルブ挟角を狭めたものとなった。1967年以前のRCエンジンはストローク/ボア比を考慮してもDFVエンジンよりかなりバルブ挟角は大きく、1968年型の250、500ccエンジンは従来よりバルブ挟角を狭めていたと思われる。

しかし、1968年2月、ホンダはGPレースからの撤退を発表、これらのエンジンはお蔵入りとなった。ヘイルウッドには1967年型の250、297cc、500ccマシンが1台ずつ与えられ、世界選手権以外のレースのみ出場することが認められた。297ccは1967年日本GPで登場した1968年型プロトタイプと思われるエンジン搭載位置が低いタイプである。また、250ccも同様にエンジン搭載位置の低いタイプと思われる。

 右はSnetterton(イギリス)でのヘイルウッドとRC174。フェアリングのオイルクーラー冷却気排出口の膨らみがわかる。また、前フェンダーに小さい1本線がある。

 1968年が終わると事実上6気筒はGPサーキットから姿を消した。そして1970年以降のレギュレーション改定により、小排気量4ストローク6気筒マシンの排気音が復活する道は絶たれた。

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