0W54(1981年型YZR500)          OW54

1  0W54の登場
 
ヤマハは1973年から2ストローク並列4気筒マシンで500㏄世界選手権に本格参戦していたが、エンジン吸気方式は1976年まではピストン・リードバルブ、1977年からはピストンバルブだった。一方、スズキは1974年に2ストローク・スクエア4気筒ロータリーディスクバルブ吸気のマシンを参戦させ、1976、77年とバリー・シーンが500㏄タイトルを手にしていた。ヤマハはケニー・ロバーツの手により、1978~80年の500㏄タイトルを手にしたとはいえ、スズキの脅威は依然として大きかった。

 1980年には前年のチャンピオンマシン0W45をベースにした市販レーサーTZ500を1980年に登場させたのは、その頃はヤマハとしては並列4気筒+ピストンバルブに自信があったからだろうが、1980年シーズン後半には並列4気筒の限界を感じざるを得ない状況になっていた。このため、ロータリーディスクバルブ4気筒の開発に着手することとなったのである。

   ヤマハは1960年代に125/250㏄クラスにロータリーディスクバルブ2軸クランクV型4気筒レーサーを走らせていたのだから、500ccV型4気筒を開発するのが正当だと思われるのに、実際に登場したニューマシン0W54はスズキの二番煎じの印象を与えるスクエア4気筒だった。
 V型4気筒でなくスクエア4気筒になった理由は振動の問題ではないか。2軸クランクVで2軸とも同方向回転の場合、1982年に登場した0W61のようにV角を40度とするなら、点火間隔を40→140→40→140度にすれば1次慣性力を釣り合わせることができるが、トルク変動する軸同士をギアで繋げる場合は2軸間で2気筒ずつ同時点火にする必要がある(参考頁).。この場合、1次慣性力を偶力が生じないように釣り合わせることはできず、その振動対策に時間を要することが懸念されたと思われる。

 このような状況で急遽開発された500ccスクエア4気筒ロータリーディスクバルブエンジンの0W54は、エンジン設計にかなり余裕があり、嵩、重量も大きく、マシンの戦闘力を大きく削いでいた。このため、エンジンを縮小化した500ccスクエア4気筒の0W60の開発が1981年の早い段階で始まった。

  シーズン前にヤマハが公開した0W54の写真。81年にライバルとなったスズキのニューマシン・XR35(RGΓ500)はもちろん、XR35より大柄な1980年型のXR34と比べてもエンジンが大きい印象を受ける。前後シリンダー間にも隙間がある。シリンダー前の可変排気ポート高機構(ヤマハ・パワー・バルブ・システム=YPVS)作動部を避けるためラジエータは凹を180度ひっくり返したような形で、前面面積は1980年型の0W48より少なくなっているが、厚みは増している。それでも実戦では冷却能力不足になったようだ。

 パワーバルブはスライド式。スクエア4気筒の場合、シリンダーヘッド/シリンダーの組付けを分離締めにすることはできず、シリンダーをスタッドボルトが貫通する共締めになる。共締めであれば、パワーバルブがドラム式(鼓式)だと、スタッドボルトが邪魔になるので、パワーバルブは性能比較以前にスライド式なる。
 パワーバルブのサーボモーターは、従前は回転計横に置かれていたが、クラッチの上あたりにある。
 フレームのダウンチューブの上側が2か所(クラッチの下)凹んでいるが、変速機ギアクラスターを取り出すときにクランクケースカバーのボルトを緩めるための逃げ。スズキXR40(82年型RGΓ500)の一部のフレームでも例がある。
 後サスペンションは、サスペンションアームがクッションユニットに直接繋がるのではなく、ロッド・レバーを介しているはずだが、この写真では分らない。前後18インチホイール(モーリス製)でタイヤはグッドイヤー。
 このフレームによく似たフレームのマシンが81年500㏄第1戦オーストリアGPで用いられたようだ。そして、シーズン中、少なくとも2種類の改良型フレームが投入された。

 以下、0W54のシーズン中の変化について見ていく。

2 フレーム
 0W54のフレーム等についての書籍等の記述をまとめた。

〇 MOTOCOURSE1981-82(Hazleton Publishing 1981)
500㏄第4戦フランス "Yamaha had produced two new bikes, one for Roberts, and one for Sheene. Basically very shimilar to that used by Kenny for the first three Grands Prix, the engines were mounted a little lower in the frames."

500cc第5戦ユーゴスラビア "Although using the second frame developed for the discvalve machine, Kenny Roberts was still certain that the engine was placed too high in the frame which overwokred both the susupension and and the tyres."

500㏄第6戦オランダ "Barry Sheene and Kenny Roberts also had something new for Assen in the form of new frames for their square fours that mounted the engine lower in answer to some their criticisms about the machines' handling characteristics."


〇 ライダースクラブ誌(枻出版社)
1981-9 オランダ「足廻りの改良を主たる新フレームをケニーのために持ち込む」

1981-10 ベルギー「予選2番手は、スクエア4のYZRをようやくスペアマシンまで揃えてもらったB・シーン~」

〇 MOTORCYCLE RACING '81(枻出版社1982)
ユーゴスラビア「フレームを改良したマシンをユーゴに持ち込んだ。しかし、ケニーによればまだエンジン位置が高すぎ、サスペンションとタイヤの両方にオーバーワークを強いると指摘する」

オランダ「主に足廻りの改良を施したニューフレームYZRをケニーに託す」

〇 RACERS Volumu19 RGΓ 500㏄タイトル奪還の使者(三栄書房)
22頁「ユーゴスラビアGPにヤマハはエンジン搭載位置を下げたニューフレームを投入してきた」

   MOTOCOURSEの記述を主にストーリーをまとめると、

(1) 第4戦フランスで新型フレームのマシンが2台登場、1台がロバーツ、1台がシーンに与えられた。シーンがシーズン当初0W53(並列4気筒)に乗り、第4戦フランスGPから0W54を与えられたことはよく知られているが、フランスGPでシーンに与えられた0W54はこの新型フレーム1台のみ。

(2)MOTOCOURSEの第5戦ユーゴスラビアの記述は(1)で登場したマシンについてのもの。ユーゴスラビアで登場したとは書いていない。

(3)第6戦オランダでさらに新新型フレームが登場。この頃にはシーンも2台体制になっていた。

 MTORCYCLE RACINGのユーゴスラビアGPの記述は、MOTOCOURSE(あるいはその出典)を訳したものと思われる。ただ、フランスGPでのフレームの記述がないために、新型がユーゴスラビアで登場したかのような記事になってしまったようだ。あるいはライター氏は出典のフランスGPの記事を読まなかったのかもしれない。RACERSの記事もこのMOTORCYCLE RACINGの記述を参考にしたものではないか。

 さて、MOTOCOURSE 1981-82からすると、実戦で用いられたフレームは3種あったことになるが、写真から区別できるのは次の3種。

A 日本GPで登場したフレーム
 左は日本GPでの金谷秀夫のマシン。レース本番は4月19日、500㏄第1戦オーストリアGPの1週間前で、これが実戦初登場。これと同じタイプがオーストリアGPを走ったようだ。これをA型とする。
 A型はシーズン前公表写真のフレームとは若干異なるが、単なる個体差なのかどうかは分らない。

B 補強の入ったもの
 右はバリー・シーンのマシン(レース名不明)で、シーズン前公表写真のマシンに似ているが、矢印箇所に補強が入っている。これをB型とする。

C フレームの一部分の形が異なるもの
 左は500㏄第6戦オランダGPプラクティス時のロバーツの2台のマシン。手前のマシンはA型によく似ているが、これがオランダGPレース本番でスタート位置に着いた(スタートできず)。奥のマシンの矢印の部分のパイプが、他のマシンと異なり路面とほぼ平行。これをC型とする。
 C型には他のフレームにあるバックボーン部の溶接跡(右はシーズン前公表写真の該当部)がなく、他にも差異がある。C型はオランダGP以降で確認できること等からオランダGPで登場したフレームと思われれる。

 問題はB型と左写真の手前のマシンで。次の二通りに解釈してみた。

(1)左写真の手前はA型
(2)左写真の手前がフランスGPで登場したフレームで、これが本来のB型。上右のフレームはB型の改修型(補強型) 

 現時点では後者ではないかと思われる。


 左はオランダGPレース本番でのロバーツのマシン。B型(改修型)の補強がないこと、赤矢印部分の対路面角度とに注目。

 そして、中はイギリスGPプラクティス時の高井幾次郎のC型フレーム。矢印部分のパイプの対路面角度、太さが分る。

 これら実戦写真で確認された3種のフレームのうち、B改修型(補強型)はシーンのみが使用したようだ。ロバーツ用のこのフレームは確認できない

 上右は第6戦オランダの車検時、ロバーツのマシンが3台あり、手前からA型、B型、C型だろうか。第6戦以降、ロバーツはA型フレームを使用しなくなり、B型とC型のみを使用したと仮定すると、
 第6戦オランダ、第7戦ベルギーではB型が使用され、第8戦サンマリノは欠場、第9戦イギリスで初めてC型が、第10戦フィンランドではおそらくC型が、第11戦(最終戦)はC型が使用されたと思われる。

 C型は、オランダでシーンにも与えられ、ベルギーのプラクティスでC型も使用したが、シーンはこのフレームを好まなかったようで、B改修型をよく使用した。
 また、シーズン後半、高井幾次郎が参戦したが、高井のマシンはC型のみが確認できる。
 

3 ステアリング・トップブリッジ
 
フレームだけでなく、ステアリング・トップブリッジ(三又の上側)も外観上、3種ある。

 左は第3戦イタリアGPプラクティス時のロバーツのマシンのトップブリッジで、シーズン前公表写真のものと酷似している。これを仮に1型とする。

 中は第9戦イギリスGPレース時のロバーツのC型フレーム車。オフセットが小さく、前フォークを締め付けるボルトが付く部分が前に突き出ていない。これを2型とする。

 そして、3型。右のオランダ・プラクティス時の2台のマシン共、トップブリッジが平板状で、オフセットも小さい。なお、前述のように手前のB型フレーム車がレース本番で使用された(スタートできず)。

 ベルギーでもB型フレームに3型を装着しレースに出場したが、イギリスではC型フレームに2型が装着されレースに出場した。

 この1~3型だが、さらに細かい寸法が異なる派生型があると思われる。なお、シーンは1型を好んだようだ。
 

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