4 16インチ前ホイール
 1979年500㏄イギリスGPに出場した2台のホンダNR500は前後ダンロップ16インチタイヤが装着されていたが、NR500があまりにも他のマシンと異なる点が多かったこと、そして成績が散々なものだったために、16インチタイヤはそれほど注目されなかった。しかし、翌1980年、ダンロップ16インチタイヤが影を潜めた一方、ミシュランが16インチ前タイヤを供給するようになり、1981年にはダンロップ、グッドイヤーも16インチ前タイヤの供給を開始した。

 81年に0W54を与えられた3人のうち、ロバーツはグッドイヤー、シーンはミシュランを使用したが、シーズン後半参戦した高井幾次郎はグッドイヤー、ミシュラン、ダンロップをテストしたことが伝えられている。
 16インチ前タイヤが使用されるようになったとはいえ、全面的に16インチに切り替わったのではなく、18インチも使用された。ロバーツの0W54に装着された前ホイール径は、写真等による判別では右表のとおり。プラクティスは含まない。

レース 前ホイール径 備考
オーストリア  16  
ドイツ  16  
イタリア  18
フランス  16  
ユーゴスラビア  16  
オランダ  18
ベルギー  18  
サンマリノ  欠場 体調不良
イギリス  16  
フィンランド  16
スウエーデン  8 ウェット

5 CFRP部品
(1) 前フォークインナーチューブ
  ヤマハ0W54に幾つかCFRP(カーボンファイバー強化プラスチック)製部品が使用されたことが知られている。前頁に載せたこの写真(第6戦オランダGPプラクティス)の奥に写るC型フレーム車の前フォークのインナーチューブが黒く、CFRP製と分る。MOTOCOURSE、当時のライダースクラブ誌でも記述があり、MOTOCOURSEではロバーツのコメントも若干ある。このCFRP製前フォーク、第7戦ベルギーGPプラクティスでもC型フレームに装着されている。また、0W54では前フォークにエアバルブが装着されるのが基本仕様だが、このCFRP製前フォークではエアバルブが装着されなかった。

 なお、ヤマハのCFRP製前フォークが登場するのはこれが初めてではなく、1980年の0W48でも試みられている。リンク先写真は1980年第1戦イタリアGPプラクティス時の0W48

(2) 後ディスクブレーキローター
 1981年、前フォークだけでなく、後ブレーキディスクもCFRP製が使用された。これは5月に菅生で行われた全日本選手権レースで、金谷の0W54の後ブレーキローター。ただし、全日本選手権でこの後に用いられたかどうか、世界選手権で使用されたかどうかは分らないが、おそらく用いられなかったのではないか。

6 キャブレター
 左はロバーツの0W54(イギリスGPプラクティス)のキャブレター、中はバリー・シーンの0W54のキャブレターで、何れもピストンバルブ。右はシーズン前公表写真のキャブレターで、フラットバルブ。

 イギリスGPのプラクティスでの高井の0W54、ドニントンパークでのテスト(第9戦の前)時のロバーツの0W54もピストンバルブ・キャブレター。また、走行中にフェアリングの端からキャブレター上端が見える写真があるが、ピストンバルブのみ確認できる。このようなことから、ピストンバルブタイプが主に用いられたと思われる。

 さて、上中の写真で、フロート室部に「4」と書かれている。このキャブレターは左後気筒のもの、つまり、気筒番号は「3」なので、取付気筒を示しているのではない。よく見ると「4」の前に微かに「3」が見える。ベンチュリー径34mm、つまり、このキャブレターがミクニVM34であることを示してる。わざわざ書いてあるのは、他の径のキャブレターと区別するためだろう。ヤマハの500㏄4気筒のキャブレターは34mmがよく用いられたが、遅くとも79年から36mm等、他の径も用いられるようになった。

 なお、市販レーサーTZ500は80、81年型がVM34で、82年型(最終型)がVM36だった。 

7 クラッチカバー
 
左はイギリスGPプラクティス時の高井の0W54で、クラッチカバーがシーズン前公表写真のものと同じ形。
 右はシーンの0W54のもの(レース名不明)。クラッチカバー形状、クラッチカバー材質(マグネシウム合金→アルミ合金)が異なる。

 ロバーツ、高井、金谷のマシンは変速機シフトレバーが左にあるが、シーンのマシンは右。シーン用に右シフトにするために右クランクケースカバーに追加工し(あるいは新たに右クランクケースカバーを製作し)、シフトシャフトを右側に突き出させシフトリンクを装着したために、当初のクラッチカバーが付かなくなったのではないか。

8 サブラジエーター 
 
左の「7」の数字の下両側の2か所の長方形部分だが、穴がテープで塞がれている。右ではメーターパネルの下にサブラジエーターが設けられている。イギリスGP前、ドニントンでのヤマハのテストセッションでシーンのマシンでテストされ、イギリスGPで姿を見せた。このサブラジエーター、ロバーツ、高井のマシンでは確認できない。


9 0W54の弱点?
(1) 車重
 RACERS Volume 19(三栄書房2013)によると、81年にヤマハ0W54のライバルとなったスズキXR35(81年型RGΓ500)の半乾燥重量(オイル、冷却水のみ含む)は130.4kg(スチールフレーム型)。では0W54の半乾燥重量はどの程度だったのだろうか?RACERS Volume 02(三栄書房2010)に、0W54について次のような記述がある。


「Q17 0W54の性能は前モデルである0W53を凌駕したか? A 最大出力は上がったが、車重も増えた。その重さたるや「開発ライダーの金谷、高井の両氏から”重戦車”と酷評された」と奥氏」
「エンジン形式の変化に伴って重心位置が大きく変わり、それに車重の重さも加わって、なかなか良好なハンドリングを実現できす~」

  これらの記述からすると、0W54の半乾燥重量は相当なものと思われるだろう。

 ヤマハの市販レーサー・80年型TZ500の半乾燥重量は145kg、ヤマハ0W48の半乾燥重量は135~138kgと思われる。0W54が、0W48をベースにした0W53より重くて「ハンドリングが重戦車」なら、0W54の半乾燥重量は145~150㎏辺りなのだろうか?

 TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/ Parker House 2008によれば、500㏄第2戦ドイツGPの車検時、スズキの岡本満、Martyn Ogborneが0W54の重量測定を見に行ったところ、136kgだったということである。このとき、0W54に燃料が残っていた可能性もあるから、この数字は「136kg以下」と理解すべきだろう。

   さて、以下のヤマハのウェブサイトでは0W60は0W54より約6㎏軽量化されたということである。
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/yzr500_0w60/ (2011年公開)
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/exhibition/archives/2003_3/pdf/yzr500_brochure-j.pdf (2003年公開)

 一方、RACERS Volume 02によると0W60は0W54より車重を10㎏近くダウンということである。

 仮に0W60の車重が0W54の6㎏減、0W54の半乾燥重量を136㎏とするなら、0W60の半乾燥重量は130㎏程度になり、それでもXR40(82年型RGΓ500)より9㎏程度重かったことになる。0W54の半乾燥重量を145~150㎏と仮定するなら、82年にもなってヤマハ500(0W60)がスズキ500より18~23㎏も重かったことになってしまう。

 これらのことから、TEAM SUZUKIの記述は妥当であり、0W54はスズキXR35のせいぜい5㎏増し程度の半乾燥重量で、0W48とほぼ同じか幾分軽かったと考える。XR35のスチールフレームに対して0W54はアルミフレームだから、エンジン単体の重量差は8㎏程度だろうか。

 RACERS Volume 02の記述のうち、金谷、高井の「重戦車」評価はライダーの感覚評価(官能評価)だが、「車重も増えた」はライター氏の想像のようだ。
 0W54のハンドリングに対するライダー(ロバーツを含む)の評価が低かった原因は、その車重によるのではない。

参考 
 ヤマハの市販レーサー・80年型TZ500の公表重量は138㎏で、水・オイル4kg、フェアリング3kgを足すと半乾燥重量145kgになる。1980年日本GPで3位入賞した水谷のTZ500のレース後の車重が147kg、レース前日(土曜日)の車検時の糟野のTZ500が145kgという数字がこれを裏付ける。
  一方、1980年日本GPで優勝した高井のヤマハ0W48はレース後に142kgだった。高井は独走、水谷は転倒し再スタートしての追い上げで、二人のマシンの燃料消費量に差があるだろうから、0W48の半乾燥重量は135~138kg程度だと思われる。

(2) エンジン重心位置、その他の要素
 4ストロークエンジンではクランクシャフトとシリンダーヘッドの位置が、エンジンの重心高を大きく左右するが、2ストロークエンジンではシリンダーヘッドは小さく、クランクシャフトの搭載位置が重心高に大きく影響する。


 上左は1980年シーズン前に竜洋テストコースで公開されたスズキXR34H(1980年型スズキRGB500)で、前後車軸を結ぶ空色線と、これと平行なクランクシャフト中心を通る黄線を加筆したもの。
 上中は80シーズン後に竜洋テストコースで公開されたXR34M2。
 そして上右はヤマハ0W45(79年型YZR500)の公表写真。斜め前から撮影した写真なので、黄線はクランクシャフト右端ではなく、その内側のクランクシャフトがあるであろう位置から引いた。

 XR34/XR34M2の2軸のクランクシャフトの平均高と0W45のクランクシャフト高はあまり変わらないようだ。

 上左は0W54公表写真に加筆したもの。0W54の2軸クランクシャフト平均高は0W45より3㎝程度高いように見える。

 上右は前後車軸を結ぶ空色線と、これと平行な変速機カウンターシャフト(出力軸)先端中心(スプロケット中心)を通る白線を加筆したもの。
 前クランクシャフト中心が白線より上にあるように見える。上のXR34、XR34M2(白線は加筆していないが)の写真と見比べれば、前クランクシャフト位置が高く見える。

   各車のタイヤ径が異なること、写真撮影位置が異なる等、比較方法が適切ではないことは承知の上であえて言うなら、シーズン当初、0W54エンジン重心の位置が他車より高かった可能性が高いと考える。実戦ではA~C型フレームが用いられたが、MOTOCOURSEによると、フランスで、続いてオランダで導入された2種のフレームは、それぞれエンジン搭載位置が下げられたとのこと。エンジン搭載位置を下げるにしても、チェーンスプロケットが取り付けられる変速機カウンターシャフトの高さは大きく変えられない。搭載位置を下げるなら、変速機カウンターシャフトを中心にエンジン全体を前傾させる必要がある。シーズン前公表写真のマシン、A型ではシリンダーの路面に対する前傾角が30度程度だったものがB、C型では40度程度になったのはこのためだろう。

 レーシングマシンにとってエンジンの重心位置をどこに置くかが、レーシングマシンのハンドリングに大きく影響することは言うまでもない。もちろん、エンジンの押しがけ始動のときのライダーの体感重さ(ふらつき)にも影響する。
 ライダーに不評だった0W54のハンドリングの原因の一つは、そのエンジン重心位置だったことは間違いないと考える。そして、それ以外にもいくつか原因として想像できる要素がある。

1 それまでのピストンバルブとは異なるロータリーディスクバルブエンジンの出力特性(その特性を調整しきれなかった)

2 長い前後長のエンジンを抱えるフレームの剛性、剛性バランスが並列4気筒車から変化したこと

3 新たに採用した16インチ前タイヤ

4 81年から倒立になった後クッションユニットの耐久性

5 グッドイヤータイヤの性能(1981年限りでレースから撤退)

 1~4、そして重心位置、何れも「準備不足」が共通する要素である。そして、ライバルのスズキXR35(1981年型RGΓ500)より5㎏程度大きな車重は、上の問題点に比べれば取るに足らないと考えている。

10 他の敗因
 
1981年、0W54に乗るケニー・ロバーツはランキング3位に終わったが、0W54にはチャンピオンマシンになるだけの能力がなかったのか?

 ロバーツが500㏄世界GPに参戦した6シーズンにおけるチャンピオン、レース数、チャンピオンの出走レース数、得点は次のとおり。

チャンピオン レース数 出走数 得点 無得点レース数
1978 ロバーツ    11    11  110  2
1979 ロバーツ    11    10  113  1
1980 ロバーツ     8     8   87(120)  1
1981 ルッキネリ    11    11  105  2
1982 ウンチーニ    11    11  103  3
1983 スペンサー    12    12  144(132)  1

※( )内:11レース換算値。
※レース数:トップライターによりボイコットされた1979年ベルギー、1982年フランスを除いたレース数。
※無得点レース数:出走(スタート位置に着いた状態)したレースで無得点だったもの。


 チャンピオンの獲得得点(11レース換算)を比較すれば、0W54が用いられた1981年は少ない方である。
 81年、ロバーツの得点は74だが、無得点レースの原因は次のとおり。

〇オーストリア:後サスペンションユニット不調でリタイア
〇オランダ:スタート位置に着きながらブレーキ整備不良でスタートできず
〇サンマリノ:体調不良で欠場
〇スウェーデン:ウェットレースでのタイヤ選択ミスでリタイア

 そして、低順位に終わったレースの原因は次のとおり。

〇フランス:後サスペンションユニットの不調
〇フィンランド:パワーバルブの故障

 0W54といえば、嵩張る重たいエンジンが戦闘力を失わせていたと言われる。しかし、チャンピオンの獲得得点がそれほど多くなかった1981年の世界選手権を争う上では、信頼性の低さ(オーストリア、フランス、フィンランド)と不運(オランダ、サンマリノ、スウエーデン)がロバーツの足を大きく引っ張ったと思えてならない。

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