第10戦イギリスGP
ロバーツが1分28.00秒でポール、1.38秒遅れてスペンサー、以下マモラ、ローソン、フォンタン、ハズラム、片山と続き、ルキネリ16位。
レースでハズラムが好スタートを切るが、すぐマモラに抜かれ、ロバーツは3位に付ける。3周にはロバーツが首位に立ちマモラ、スペンサーが続く。ロバーツがリードを広げスペンサー、マモラが2位争い、ローソン、フォンタンが続く。5周目にペースダウンしたノーマン・ブラウン(市販スズキRGB500)にペーター・ヒューバート(市販スズキRGB500)が追突、2人ともコースに放り出された。赤旗は出されずレースは続けられたが、ライダー達はペースダウン、自主的にピットインするものも現れ、結局、赤旗中断。1ヒートの5周と2ヒートの23周の合計タイムで争われることになった。
第2ヒート、スペンサー(3001)が好スタートを切るが、1周の終わりにはロバーツが首位に立ちリードを広げ出す。その後ろでスペンサー、マモラ、ローソンが2位争いを繰り広げる。ロバーツがそのままゴール、ローソン、マモラ、スペンサーの順でゴールするが、1ヒートとの合計タイムではスペンサー2位、マモラ3位、ローソン4位。以下、フォンタン、片山、ハズラムと続き、ルキネリは中盤でリタイア。最速ラップはロバーツの1分28.20秒。 3001のスイングアームはアルミ合金製。
第11戦スエーデンGP
スペンサーが1分37.00秒でポール、1.81秒遅れロバーツ、以下、片山、マモラ、フォンタンと続きハズラム7位、ルキネリ8位、ローソン9位。
スペンサーが好スタートするが、1周の終わりではロバーツが2位に付ける。7周にはロバーツが首位に立つ。3位には片山が上がり、フォンタンと3位争いを繰り広げる。ローソンはスタートを失敗するが、ハズラム、ルキネリに迫る。30周のレースの中盤、スペンサーがロバーツに迫り、21周目には真後ろに付ける。はるか後方では片山がフォンタンと3位争い。ローソンはハズラムを抜きルキネリと5位争い。首位争いはそのまま最終ラップに持ち越された。バックストレートの後、ゴールまでは
90度カーブ2つだけだが、バックストレートの終わりでスペンサーがブレーキを遅らせロバーツの内側に飛び込んだ。スペンサーはブレーキが間に合わずロバーツを巻き添えにしてダートに飛び出した。そしていち早くコースに戻ったスペンサーが優勝、2位ロバーツとなった。以下、片山、フォンタン、ローソン、ルキネリ、マモラ、ロシュ、ハズラム。最速ラップはロバーツ1分37.11秒。
この結果、スペンサーが5点差でロバーツをリードすることになり、最終戦でロバーツが優勝してもスペンサーは2位になれば2点差でチャンピオン、スペンサーが3位なら2人は同点で優勝回数も同じ、2位の回数の差でロバーツがチャンピオンという形勢である。
下はレース中の3002でスイングアームはアルミ合金製。
12戦サンマリノGP
プラクティスはロバーツが1分53.49秒でポール、以下スペンサー、ルキネリ、マモラ、ローソン、フォンタン、ハズラム、ロシュ。
レースは最初の2周はルキネリが首位のスペンサー(3001、スイングアームはアルミ合金製)にぴったり付けるが、すぐに後退。ロバーツは4周目に3位に上がり、4周後には首位に立つ。ロバーツにとって重要なのはこのレースに優勝することだけではなく、この時点で4位のローソンを2位に上げることだった。ローソンは17周目にルキネリを抜き3位に上がるが、スペンサーとの差は5秒、そしてその差は縮まらない。そしてそのままロバーツが優勝、2位スペンサーとなりスペンサーが初の500ccタイトルを手中にした。以下ローソン、ルキネリ、マモラ、フォンタン、ロシュ、van
Dulmen、ハズラム。最速ラップはロバーツ(1分53.36秒)。
日本GP
下左はスペンサーのNS500F-3001(プラクティス前)で、スイングアームはアルミ合金製。下中、下右は阿部孝夫をNS500で、フレーム番号の末尾は3007(下中)、3022(下右)。前者はオリジナルNS500で後者はRS500Rベースだろう。3007の右スイングアーム中央に孔はない。また、後ブレーキはカーボンファイバーではなくスチール製通風式。3022のサイレンサーが円筒形なのに注意(スエーデンGPの3002と比較されたい)。レースでは3022が用いられた。
プラクティスでスペンサーは2分19.57秒でポール、このタイムはそれまで全日本選手権で平忠彦が記録していた2分22.42秒を大幅に上回るものだった。
レースではスペンサーがスタートから飛び出し、木下恵司(ヤマハ)が追い上げスプーンカーブ入口で追いついたが、転倒、その後はスペンサーが独走して優勝、阿部は4位。
レース後の再車検での重量測定結果は次のとおり。
1位 スペンサー NS500 122kg
2位 平忠彦 0W70 140kg
3位 河崎裕之 0W70
132kg
4位 阿部孝夫 NS500 123kg
5位 水谷勝 XR45
123kg
6位 伊藤巧 RGB500
140kg
(注:平の0W70の車重については、0W70その2を参照)
1983年型NS500はGP史上、最も美しいマシンの部類に入るだろう。そして、500ccGPレーサーの理想型の一つであると思う。しかし、その可能性を最も疑っていたのはホンダ自身だった。鈴鹿サーキットで新型4気筒が走っているのが目撃され、1984年型ホンダが4気筒になることが明らかになったのは、1983年日本GPでのスペンサーショックが冷めやらぬ頃だった。
シーズン後公開されたマシン
下左はシーズン後のスタジオ写真で、スイングアーム中央に孔がない。下右は試乗に供されたマシンで、おそらく3002だろう。スイングアームはいずれもアルミ合金製。
1982年型及び1984年型のNS500がホンダに現存している。そして1983年型NS500(3002?)が長い間、スペンサーの元にあったが、2010年3月に売りに出された。