83年型NS500(NS2B)

 1983年型NS500(社内呼称NS2B)は、フレディー・スペンサーがケニー・ロバーツとの激しいタイトル争いを制し、ホンダに初の500cc世界選手権をもたらしたマシンとして歴史に名を残している。また、私にとっては、1983年日本GPでの圧倒的な速さで、日本人にGPのレベルを知らしめたマシンとして思い出深いマシンでもある。

1 83年型NS500の成り立ち

 1982年に登場したホンダNS500の市販タイプがRS500Rとして83年に販売された。そして1983年シーズン前公開された1983年型NS500の写真を見ると、外観上、RS500Rと次のような違いがあるが、根本的な違いではない。

・後方2気筒にATACが装着されている。
・後ブレーキのトルクロッドの取り回しが異なる(シーズン中、スペンサーは好まなかった)。このため、スイングアーム右側の中央、フレーム右側のスイングアームピボット上部に孔があけられている。
・後ブレーキディスクがカーボンファイバー製である。
・前フォーク、前ブレーキローターの形状が異なる。

 シーズン前公開されたNS500。後カーボンディスクローター、後ブレーキトルクロッドの取り回し、スイングアームピボット上部の孔(孔の上にホースがある)に注意。     左がRS500R、右が83年型NS500
 さて、1983年シーズン中の片山敬済のマシンを観察すると、ステアリングブラケット、テールカウル後端等に「23」、「24」という数字が見られる。これはチームが2台のマシンを管理するために記入したもので、フレーム番号の末尾2桁だと思われる。しかし、シーズン当初から使用されたNS500のフレーム番号にしては大きすぎる。

 おそらく片山のシーズン当初のマシンは、RS500Rをベースにしたマシンなのだろう。片山によると本来の83年型NSはシーズン当初スペンサーのみが乗っており、スペインGPから片山にも与えられたということである。スペインから新しいフレームが与えられたとしても、カルネ等の問題からそれまでと同じフレーム番号を刻印したのだろうか。
 このように83年型NS500にはオリジナルNS500とRS500Rベースのマシンの2種類があるようだ。そして、RS500Rベースのマシンを世界選手権ではNS500、全日本選手権ではRS500Rと公表していたのだろう。83年東京モーターショーに展示されたゼッケン3のNS500(左上)のフレーム番号はRS500RF-3026で、ロン・ハスラムのマシンと思われる。 

2 メカニズム

 エンジンは2ストローク水冷112度V型3気筒で中央前1気筒、両端後2気筒、ボア×ストロークは62.6mm×54mmである。クランクシャフトは1本で動力取出は左端から行われ、ジャックシャフト(バランサーシャフトを兼ねる)、クラッチ、変速機メインシャフト、カウンターシャフトへと伝わる。したがって、クランクシャフトは後方回転する。
 ジャックシャフト左端では後2気筒のATAC(前1気筒はATACなし)のガバナーを作動している。また、ジャックシャフトは水ポンプ駆動シャフトにもつながっている。
 点火方式はCD、点火間隔は120度である。

 フレームはアルミ角断面パイプのダブルクレードルタイプで、後サスペンションはボトムリンク方式。リンクの位置が82年型ではスイングアーム上にあったがものがスイングアーム下になった。スペンサーのマシンのスイングアームはシーズン当初CFRP製のものが主に用いられたが、終盤でアルミ合金製が主になった。
 ブレーキキャリパーは前後共ニッシン製で、前ディスクローターはRS500Rとは異なるタイプであり、後ディスクローターはカーボンファイバー製がシーズンを通して用いられた。全日本選手権でのRS500Rはスチール製通風式がシーズンを通して用いられたようである。
 前後ホイールは16インチのコムスターホイールで、CFRP製が主に使用されたようだ。

 83年日本GPでスペンサーの乗ったマシンは、レース後の再車検で122kgあった。阿部孝夫のRS500R(NS仕様)が同じ車検で123kgであり、オリジナルNS500もRS500Rベースのマシンも車重に大きな差はなく、燃料なしの状態で118kg程度と思われる。なお、同じ車検で水谷勝のスズキXR45が123kg、河崎裕之のヤマハ0W70は132kgだった。

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