2  1981年型KR500(603)AWASAKI
 
 1981年型カワサキKR500は1980年型の基本的なメカニズムを踏襲している。下左は1981年500t第9戦イギリスの写真、下右は1980年500t第2戦スペインの写真。

 

 アルミモノコックフレームの燃料タンク部が下に長くなり、スイングアームピボット部を支えるフレーム下部が小さくなった。そして、フレームのサイドプレート(燃料タンク部とフレーム下部を繋ぐボルト留めの板)が追加された。前側のダウンチューブは無くなったが、エンジンの前側フレームマウント部は残されている。スイングアームは1980年のB型に似た形状。前フォークも新型となり、上部前側にリザボア?がありフォーク下前側から細パイプで繋がっている。前ブレーキキャリパーが新型になり、前ブレーキキャリパーブラケットを利用するアンチノーズダイブ機構が装着された。ラジエーターは縦流から横流になり、水入口はラジエーター左上、水出口はラジエーター右下。

(1)配布写真

   1981年シーズン前、日本で1981年500tクラス参戦が発表され、KR500がボア×ストローク:54×54.4、排気量:498.4t、キャブレター:ミクニVM34で、アンチノーズダイブ機構装備であることも示された。
  下は配布資料のものだが、下右は下中の一部を拡大したもので、黄矢印の先に孔とその周りの溶接跡がある。当初はサイドプレートが写真のものより大きく、フレーム燃料タンク部にサイドプレートを取り付けるボルトのねじ孔が設けられていたが、サイドプレートが小さくなったためねじ孔が露出したものと思われる。ホイールはモーリス。


  大きな前フェンダーが目を引くが、フェアリングに関するFIMのレギュレーションではフェアリングは前車軸を通る平面より後にフェアリングがあること、前ホイールが両横から見えることとされている。1960年代のホンダ50cc2気筒レーサーのホイールの直径の軸側50%程度を覆うホイールカバ-が認められていたのだから、「この前フェンダーは「フェンダー」でありフェアリングではない」とカワサキが判断したのだとしても不思議ではない。ただ、「大丈夫なのか?」と思った人は少なくなかったはずである。

 ライダーはコーク・バリントンとグレッグ・ハンスフォードとされたが、ハンスフォードは4月のイモラ200に出場し転倒、負傷し500t第6戦オランダで復帰したが、次戦ベルギーで転倒し重傷を負い、その後は欠場(引退)した。

(2)世界GP開幕前(ハンスフォード)

 1981年に入りオーストラリアでグレッグ・ハンスフォードによるテストが行われた(下左)。そして世界GP開幕前、イモラ200(4月4日)にグレッグ・ハンスフォードがKR500で出場したが(下中、下右)、転倒・負傷  左、右のマシンはシーズン前配布写真のマシンと基本的に同じ。下右でフレーム燃料タンク部ねじ孔があることが分る。分りにくいが、下左のフェアリングにも(1)、下中と同様にフェアリング側面の冷却風排出口がある。ホイールはモーリス。

 また、スイングアームが(1)のマシンより短くなったように見える。
 このマシンのフレーム番号はフレーム番号は、TF603-8101(以下「TF603-」は省略)または8102と想像する。

(3)世界GP開幕前(バリントン)

 右はGPシーズン前、ドニントンパークでの写真。ゼッケン8を付けているが、テストならゼッケンは不要なはず。バリントンはGP第1戦オーストリア(4月26日)の前、4月12日にドニントンパークで行われたMOTOR CYCLE NEWS/SUPERBIKE CHAMPIONSHIP RACE(2ヒート、映像はこちら)と4月11-12日(おそらく11日)のITV World of Sport Challengeに出場しており、この時の写真かもしれない。 
 映像からするとフレーム燃料タンク部ねじ孔はないようだ。
 (1)、(2)のマシンとスイングアーム長は同じ。フェアリング側面の冷却風排出口がなくなり、前後ホイールがモーリスからダイマグになった。また、カラーリングが変更された。

(4)バリントン用実戦型フレーム  

 左は第1戦オーストリアでのゼッケン12(12Tではない)で、フレーム燃料タンク部ねじ孔はない。このフレーム番号は8103だろう。このフレームと8104は(1)、(2)のマシンの後に製作されたもので、(3)のマシンと同型と思われる。また、テールカウルのカラーリングが変更された。
 以下、フレーム番号の記述は2基のフレームが新型に更新されることなくシーズンを終えたと仮定した上での想像。

(5)前フェンダー

 世界GP第1戦以降、前フェンダーのレギュレーション違反の可能性から、フェンダー横が大きくカットされた穴開き型が使用された。上右は第1戦でのゼッケン12T(8104)のもので、手加工のためカット形状が上左と異なる。バリントンの自伝(Ballington Unkorked: The Autobiography of a World Champion Road Racer by Kork Ballington, Redline Books 2008)では「The front mudguard was ruled at technical inspection for the first Grand Prix at Salzburgring and had to be modified by cutting holes in the sides to meet regulation」とあり、車検で引っ掛かったために修正加工されたとしている。

 さて、右はカワサキ明石工場で撮影されたもの。フレーム燃料タンク部に孔はなく、前フェンダーは穴開き型で、排気管はシーズン前半に用いられた長型(後述)。右端はチーム監督の鈴木健夫で、KR500の隣にKR250が置かれている。シーズン終了後、マシンが日本に戻った後の記念写真なら、排気管が長型なのはおかしい。また、フェアリングの塗分けラインの対地角度が実戦型と異なり路面に対して水平ではない。これはシーズン前、イギリスに発送する前の記念写真だろう。WEB Mr.BIKE - ライムグリーン伝説・KR500 (mr-bike.jp)にも写真がある。
 
 したがって、この前フェンダーは現地で手加工されたものではなく、レギュレーション違反になることも想定して日本で製作されたものなのだろう。MOTOCOURSE 1981-82(Hazleton 1982)でも「before the first Grand Prix」とされている。ただ、十分な数が揃えられず現地で手加工されたものもあったかもしれない。
 上右と右の前フェンダーは同型のようなので、右は8104かもしれない。



(6)排気管

 (1)シーズン前公開写真、(4)左の第1戦オーストリアでは、前2気筒排気管(サイレンサーを除く)がステップの後方20cm程度まで伸び、サイレンサーが後車軸辺りまで届いている。
 下左は第4戦フランスのゼッケン12Tで前2気筒排気管が短いのが分る。ゼッケン12は長型であり12Tのみが短型であること、シーズン後半は短型のみが用いられたことから、第4戦フランスで短型が登場したものと思われる。下中はベルギーでのゼッケン11(8103)、下右はイギリスでのゼッケン9T(8104)で、何れも短型。

 なお、上左と上中・上右は同じ単型でも、形状が少し異なる。単なる個体差ではなく、短型に2種類あったようだ。フランス型(上左)はオランダでも12Tに装着された(備考の右写真)。イギリスでは装着されていない。

(7)スイングアーム

 1981年シーズン後半、短型スイングアームがバリントンのKR500に装着されたことがよく知られている。
 上右(イギリスでのゼッケン9T(8104))は上中(ベルギーでのゼッケン11、8103)は何れも短型排気管だが、サイレンサー後端と後車軸との位置間隔が異なり、上右が短型スイングアームと分る。また、後車軸付近のスイングアームの上下の各パイプ間の長さも異なる。
 また、レギュレーション上、排気管(サイレンサーを含む)は後タイヤ後端を通る平面より前になければならないが、スイングアームを短くしたことに伴い、上右では後気筒サイレンサーが加工され短くなっている。      

 左はフィンランドGPプラクティス時のバリントンのゼッケン10T(8104)。排気管の影がスイングアームにあるので少し分りにくいが、これも短型スイングアーム。右は同じフィンランドGPプラクティスに備えてスチュアートにより整備されるKR500(8103、ゼッケン10は書き込まれていない)で、長型スイングアーム。
 もちろん、両車とも短型排気管。

 1981年終盤、フィンランド、スウェーデンとチームカワサキに同行取材したいわたげん氏(神田頼樹)の記事(ライダースクラブ1982-1)では「通常「T」マークをつけて公式練習に備えるドージィ担当のマシン(以下ドージィ車)と、基本的には同一仕様のスチュアート担当車の2台〜今年の後半戦では、ドージィ車は30mmホイールベースが短い仕様を基本にしていた」とある。フィンランドの写真からすると、いわたげん氏のレポートどおりである。この短スイングアーム導入時期については後述。  

(8)ハンスフォードが世界GPで乗ったKR500  

 第6戦オランダでハンスフォードが1981年世界GPに初めて出場した。下左の手前のマシンは(2)のイモラ200時と同様、フレーム燃料タンク部に孔+溶接跡がある。別の写真から奥のマシンも同様であることが分り、イモラ200の時のフレームがそのまま用いられたのではないか。手前のゼッケン24Tが8102、奥のゼッケン24が8101だろう。両車ともスイングアームは長型で排気管は短型。レース(下右)で使用されたマシンはテールカウルがカットされ後方気筒排気管の一部が見えるようになったが、このマシンはプラクティス時のゼッケン24(8101)のようだ。下左のマシンのホイールはゼッケン24Tがダイマグ、24がカンパニョーロだが、下右のマシンはダイマグ。
  第7戦ベルギーでハンスフォードが乗ったマシンもこれらのマシンと同じと思われる。そして、このベルギーがハンスフォードにとって最後のGPとなった。

(9)CDIローター

 左端から右端へ順にイモラ200、第4戦フランスでのゼッケン12(12Tではない、キャブレターの影が写っている)、第9戦イギリスのゼッケン9T、第7戦ベルギーのゼッケン11(11Tではない、8103)、第10戦フィンランドのゼッケン12(12Tではない、8103)のもの。
イモラ R4フランス R9イギリス R7ベルギー R10フィンランド

 少なくとも3種類のCDIローターが用いられたことが分る。右、右端はローター外側にピックアップがあり、1982年も同型が用いられたので、これが1981年シーズン後半に登場したようだ。第4戦フランス(上左)でイモラ200(上左端)とは別の型が用いられたが、第9戦イギリス(上中)でイモラ200と同型のローターが認められるので、この2種に優劣は特になかったようだ。

(10)16インチ前タイヤ

 1979年500tイギリスGPに出場した2台のホンダNR500は前後ダンロップ16インチタイヤが装着されていたが、翌1980年、ダンロップ16インチタイヤが影を潜めた一方、ミシュランが16インチ前タイヤを供給するようになり、1981年にはグッドイヤー、カワサキが契約していたダンロップも16インチ前タイヤの供給を開始した。しかし、KR500に関しては、世界GPの写真、映像では第6戦オランダ(備考の写真)、第7戦ベルギーのプラクティス((6)の左写真)で16インチ前タイヤを確認できた。MOTORCOURSE 1981-82のオランダGPについての記述「〜for the first time at a Grand Prix, sported a 16"front wheel. 」ではオランダで初めて試みられたとしており、このことを裏付けている。

 しかし、他GPの写真で16インチ前タイヤは確認できず、イギリスGP以降は用いられることはなかったのではないか。ただし、イギリス国内レースでは16インチが用いられることがあった。

(11)現存するマシン

-/TF603-8103(エンジン番号不明)

 フレーム燃料タンク部ねじ孔はなく、長型スイングアーム、短型排気管。そして前フェンダーの形状も1981年シーズン終盤の(プラクティスでゼッケンにTが付けられない)マシンと同じで、バリントンが乗った8103そのものと思われる。 ホイールは前後18インチのダイマグ。

   左は1982年シーズン直後に撮影されたと思われる1981年型。フレーム燃料タンク部ねじ孔なし、長型スイングアーム、長型排気管で、前フェンダー形状も現存する8103と同じで、前後18インチタイヤ。また右は左のCDIローター部を拡大したものだが、現存する8103(こちらの写真参照)、(9)の右/右端のCDIローターと同型。
 左は8103だろう。おそらく8104はテストのため日本に戻されたが、8103はイギリスに置かれたままになったものと思われる。

 なお、1981年型KR500の複製品が製作され、各種イベントで姿を見せている。Kawasaki KR 500 1980 Replica for sale at Classic Motorbikes (classic-motorbikes.com)

備考 短型スイングアームの導入時期

  チーム監督だったの鈴木健夫氏は次のように語っている(RACERS Volume 06(三栄書房 2010)) 。「じゃあスイングアームを短くしよう、ということで、まずはイギリスで40mm短いものを暫定的に作ってスネッタートンで走らせてみたら断然いい〜これはイケるということでアッセンに持って行ったらファステストラップを獲って〜」
 
 RACERS Volume 06でのライター氏の記事は次のとおり。「急速に戦闘力を高めたKR500は、その後、スネッタートンで行われたイギリスの国内選手権レースに出場し、コークがバリー・シーンを相手にまったく引けを取らないレースをやって2位に。そしてKR500のキャリアで最大のヤマ場となったシルバーストーンでのイギリスGPになだれ込んでいった。」、「第8戦サンマリノGP〜そして3週間のインターバルを利用してKR500の改良を行った。スイングアームを40mm短くしたのだ」

 鈴木氏の回想とライター氏の記述が矛盾している。鈴木氏の回想とライター氏の記事に関して、記録で確認できることは次のとおり。

(1) 関連GP開催日:5/17 第4戦フランス、5/31 第5戦ユーゴスラビア、6/27 第6戦オランダ、7/5 第7戦ベルギー、7/12 第8戦サンマリノ、8/2 第9戦イギリス
(2) オランダGP(アッセン)でバリントンは最速ラップを記録している(ウェットレース)。
(3) サンマリノとイギリスの間の3週間にスネッタートンで行われたレースの開催日は7月19日で、バリントンは次のレースで入賞している。
 MOTOR CYCLE NEWS SUPERBIKE CHAMPIONSHIP  ファーストレグ、セカンドレグ(各12周)、何れも1位。
  Race of Aces(12周) 2位。1位はクロスビー(スズキ)。ライター氏のいう「バリー・シーンに引けを取らないレース」は確認できなかった。
(4) ユーゴスラビアとオランダの開催日に26日の差がある。その間にバリントンが出場したスネッタートンのレースはない。6/21(6/20の可能性もある)にドニントンパークのレース(ショートコース18周)に出場し4位。1位はシーン(ヤマハ)。

 さて、MOTORCOURSE 1981-82(Hazleton 1982)では第9戦イギリスGPについて「〜but the biggest improvement came from shorter swing arm that reduced the length of the long wheelbase machine by about 11/2"(注:38mm) making the machine much easier to handle」と、イギリスGPで導入されたように書かれている。
 バリントン自伝では次のように書かれている。「In July a parcel arrived from Japan. It contained a special swinging arm designed to our specifications. For the next race, the British GP at Silverstone, we eagerly fitted the short swinging arm and it proved to be a big step in the right direction.」とあり、MOTORCOURSEの記述と合致する。
 
 さて、左はオランダGPレース中の8103で、右はプラクティス中の8104(ゼッケン12TのTは前ゼッケン右にあるため見えない)。排気管は何れも短型だが、(6)で書いたように右はフランス型。そして、スイングアームは何れも長型。

 写真等からすると、短型スイングアームは第9戦イギリスで登場したようだ。鈴木氏が語った「イギリスで40mm短いものを暫定的に作ってスネッタートンで走らせてみたら断然いい〜これはイケるということでアッセンに持って行ったら」が正しいとするなら、次のようなストーリーが考えられる。鈴木氏の勘違いの可能性もあるが・・・
 〇イギリスで暫定的に短いスイングアームを製作、ユーゴスラビアGPの後、スネッタートンでテスト走行した。
 〇オランダGPプラクティスで使用したが、何らかのトラブルが発生し、長型スイングアームに交換した。
 〇7月に日本で製作された短型スイングアームがイギリスの届き、スネッタートンのレースで用いられた後にイギリスGPで使用された。

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