Honda World Grand Prix 700勝の軌跡(2)

3 マシン編

(1) RC166

https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/RC166/

「1戦スペインから第8戦フィンランドまでは、3RC165でマイク・ヘイルウッド選手が8連勝を達成。第10戦マン島TTレースから、さらに出力を向上させたRC166を投入しました」

 https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/で、RC166について「参戦年:1966年 勝利数:RC166 2勝/3RC165 8勝」とあり、上の説明と矛盾はない。

 しかしhttps://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/history/p03/ の本文では「(1966年)250tにはRC165と熟成版のRC166」とあり、3RC165は消えているし、年表では「1965年10月 日本GPで〜250t6気筒のRC166を投入」とあり、上の説明と矛盾する。

   そもそも、https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/RC166/ の頁タイトルが「RC166」とあるように、ホンダにとって「RC166」は「250t6気筒オイルクーラー付き」を指したり、1966年マン島TTで登場したマシンを指したり、定義が定まっていないのが混乱の原因。

 なお、https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/data/machine/ では、250t6気筒の勝利数について、
3RC164:1勝、RC165:3勝、2RC165:1勝、3RC165:8勝、RC166:2勝、2RC166:7勝とある。これからすると1965年の4勝のうち最終戦日本GPが2RC165、他の3勝がRC165によるものということなのだろうが、私は2RC165は第5戦マン島で登場したマシンで1965年の4勝は全て2RC165によるものと考えている(http://jfrmc.ganriki.net/rc166/rc166-1.htm)。

 また、1967年の7勝が全て2RC166によるものとなっているが、少なくともブライアンズが前半の西ドイツで1勝した時のマシンは2RC166ではない。
(参考:http://jfrmc.ganriki.net/rc166/rc166-2.htm)

 「最高出力over60PS/18000rpm、最大トルク2.36kgm/17000rpm」

 overとあるが、最高出力60PS/18000rpmで最高出力時のトルクを計算すると2.39kgmになり、2.36より大きくなる。テキトーな数字を書くにしても辻褄ぐらいは合わせて欲しい。60ps/18000rpmは、1973年にホンダが雑誌に示した数字。

 元ホンダの八木静夫氏によると、250t6気筒最終型の最高出力は59.2ps/18500rpmで、最高出力時のトルクは2.29kgmになる。

  ところで、上のホンダの頁、1966年の250tクラスについて、「1戦スペインから第8戦フィンランドまでは、3RC165でマイク・ヘイルウッド選手が8連勝を達成。第10戦マン島TTレースから、さらに出力を向上させたRC166」を投入しました」の数行後に「ヘイルウッド選手は、出場した10戦すべてでウィナーとなり」とあり、この二つの記述が同じことについて書かれていることが読者にすぐ分るのだろうか?

(写真説明)「1966年 マイク・ヘイルウッド」

 この頁はRC166についての説明のはずだが、この写真は1967年オランダGP(ダッチTT)350tクラスで、マシンはRC174。素人にはRC166とRC174の区別がつかないとは思うが。

(2) RC149

https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/RC149/

1965年になると2ストローク勢が台頭し、Hondaは勝利を目指して第5戦から4RC146(注:4気筒)を投入し、さらに最終戦ではRC148を投入するものの1勝も挙げることもできずシーズンを終えました。このRC148の発展型として1966年に投入した世界初の5気筒125tロードレーサーがRC149です」

 世界初の5気筒125tロードレーサーがRC149なら、RC1485気筒ではないと思うのが、まともな日本語を理解する人。

「最高出力は34PS20,500rpmという超高回転で達成」

  この数値は1973年にホンダが雑誌に示した数字。元ホンダの八木静夫氏によると、RC149の最高出力は33PS/20000rpm

(3) NS500

https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/NS500/

「〜1983年にNS500は、さらなる軽量化を図り、エンジン出力も最終的には130PS/13000rpmまで向上しました」

 下の諸元表には「over 127.5PS/11000rpm」とある。「130PS」は他の公表値からすると適切な値だが、ライター氏が「500t3気筒で13000rpmは異常な高回転」と気が付かないのは困ったものである。

「チャンピオンマシンとなったNS500は、スペックをほぼそのままにRS500として市販化され、世界中のライダーに歓迎されました」

 この市販レーサーはRS500ではなくRS500R。また、この文からすると、RS500Rの市販はNS500がチャンピオンマシンとなった1983年シーズンになるが、1983年シーズンの誤り。したがって、この文全てが誤り。ホンダGP参戦50周年記念冊子(PDF))の誤り「hondaにとって〜メーカータイトルであり、初の個人タイトルだった。そしてパーフェクトに限りなく近い性能を実現したNS500は、スペックをそのままに市販レーサーRS500として市販され〜」をそのまま継承している。同じライター氏の記事なのか?

  なお、700勝関係ではなく、「ロードレース最高峰クラス Honda50年の歩み」の関係だが 
https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2016/50years/?from=copy
NS500が13勝という誤りは、
https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/data/machine/
では14勝と正しくなっている。

(4) NSR500

https://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/machine/NSR500/

「その後も1987年と1989年にタイトルを獲得するなど〜」

 頁の上の方の月桂冠+数字に1987がないのは、1987年が個人タイトルのみ獲得したからなのだから、そのことをについて書くべき。

「19年という年月で、基本構成をほとんど変えずに」

 エンジンの基本レイアウトだけでも次のように変化している。ホンダのいう「基本構成」は「2ストローク1軸V型4気筒、ボアストローク:54×54.5mm」だけなのだろう。
1984年:後方回転
1985年:後方回転→前方回転
1987年:V角90度→112度、4気筒前方排気→2気筒前方(下方)排気・2気筒後方排気、前方回転→後方回転
1992年:クランク左端動力取出し→クランク中央動力取出し

「10回の個人タイトル、9回のメーカータイトルに輝いた〜」

 頁の上の方の月桂冠と数字は11個ある。1984年はNS500:4勝、NSR500:4勝で、NSR500単独の活躍ではないので、これを除外しても10個。どこから「9」という数字が出たのか不明。

 

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