1961年ドイツGP125t6位は誰?
 

 1961年ドイツGP125t6位は島崎貞夫だと思っていたし、こちらの2RC143/RC144の記事もそれを前提に書いた。

 しかし、HONDA MOTORCYCLE RACING LEGEND PART3の114、166頁では、6位は高橋国光になっている。この本が参考にしていると思われる
MOTO-GPの公式サイトでも、6位は高橋になっている。

 過去の記述等を確認してみると、

(1) モーターサイクリスト誌1961-7の64頁には「ルイギ・タベリ(原文のまま)と彼に続く高橋、レッドマンはホンダチームで、5、6、7位の地位を確保した」とあり、高橋が6位になっている。しかし、同65頁の結果表では島崎が6位、オートバイ誌1961-12の166頁のランキング表でも島崎は6位。

(2) 日本のレーシングモーターサイクルの歴史(1973八重洲出版)258頁の結果表では島崎が6位。

(3) Grand Prix Motorcycle Championships of the World (by Maurice Bula, G T Foulis 1975 (スイスで出版された Les As du Continental Circus の英語版)ではK.Takahashiが6位。

(4)ホンダ/サーキットの覇者(クリストファー・ヒルトン、1992ソニー・マガジンズ(英語版はHONDA CONQUERORS OF THE TRACK, Patrick Stephens 1990)では、島崎が6位。英語版も同様。

(5) THE RACE FOR LEADERSHIP 世界のランキングを求めて(1962モータースポーツランド:私所有のものは英語版)38頁に「The only Japanese rider in the event was Shimazaki (Honda). He placed sixth.」とあり、島崎が6位としている。40頁のレース結果表、13頁の年間ランキング表でも島崎が6位。

(6) Mike Hailwood Seine legendären Rennsportjahre(2007Text & Technik Verlag)ではSadao Shimasaki(原文のまま)が年間ポイント5でドイツGP6位をカウントしていない。

(7)右はドイツGP125tでのRC144で、ライダーの顔は明らかに島崎。

 仮に(5)の「only Japanese rider」が誤りで、高橋も出場していたとすると、高橋のマシンは同書の「Taveri, the only man riding a late-1960 model Honda」から、1961年型のRC144になる。しかし、250tクラスで1961年型のRC162が2台しか出場していないのに、125tでRC144が4台も出場したことになる。

(8)島崎自身は次のように回想していた。
 「やはりホッケンハイムは忘れられません。タベさんはちょうど私くらいの体格でした。前に出たかったのですが、私のマシーンはカウルの穴が小さいままだったので、ヒートしてしまって、前に出ることが出来ませんでした」(グランプリ・イラストレイテッド1987-11)。
 この記述は、ドイツGP125t5位がタベリであること、右上写真のRC144のフェアリング(カウル)形状と一致する。

 これらのことからすると、MOTO-GPの公式サイトの記録は誤りである。日本人ライダーとして高橋が有名なので、どこかで島崎が高橋と間違えられ、そのままになってしまったのだろうか。
 

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