XR45(1983年型RGΓ500)                                                  SUZUKI

  1983年のXR45はスズキの事実上最後の500ccスクエア4気筒といってもいいだろう。1984年にはスズキはファクトリー活動を大幅に縮小、世界選手権は2ストロークV型4気筒のヤマハ、ホンダにより争われることになってしまったのである。

1 XR45の成り立ち、チーム体制

スズキの500ccスクエア4気筒レーサーは、1980年のXR34、1981年のXR35、1982年のXR40と、毎年、縮小化が図られた。1983年型のXR45もその路線を受け継いだマシンである。左はシーズン前に公開された写真で、フレームが直線的になっており、剛性は高いが曲げにくい材質のようだ。このマシンの重量は乾燥で106kgといわれており、水・オイル5kgを加えた半乾燥重量で111kg程度になる。公開写真では前輪16インチ、後輪18インチだが、世界GPでは前後16インチ+ミシュランが基本となり後輪は18インチも使用された。実戦ではマシンのウォブルに悩まされ、第2戦フランスGPでXR40のB-1型フレームが再登場、第3戦では新型フレームが登場し、これらとその改良型がその後用いられた。1983年日本GPで5位入賞した水谷勝の最終型XR45は、レース後再車検時の重量測定で123kgあったが、XR40の半乾燥重量は117kgと いわれており、XR45の半乾燥重量もXR40と同程度に落ち着いたようだ。なお、XR45のフレーム番号はRGΓ500-2001」から始まっている ようで、以下「2001」というように略記する。

  1983年、XR45を使用するスズキのチーム体制は次表のとおり。マングはシーズン前、スキーの怪我で大半を欠場、第6戦、第10〜12戦に出場したが、結局、市販RGB500が与えられたようだ。レッジアーニは当初、XR40が与えられたようだが、第2戦プラクティスでの事故でシーズン大半を欠場、第10戦復帰時にXR45が与えられた。

チーム ライダー
HB Team Suzuki Randy Mamola (Anton Mang)
HB Team Galina Franco Uncini (Loris Reggiani)

2 戦績

第1戦南アフリカGP前後

  鈴鹿BIG2&4(3月13日)に水谷勝が出場。水谷には2台のマシンが与えられた。左のマシンはシーズン前公開写真と同仕様と思われるが、直線的なフレームパイプ、バックボーン-ダウンチューブ間を結ぶパイプ(キャブレター付近)がわかる。
 プラクティスはヤマハ0W70に乗る浅見貞男が2分24.31秒でポール、水谷は2分25.53で3位。
 雨天のレースでは、水谷は18インチ前輪を選択しレースに臨み、2周目に2位に上がり、一時は首位に迫るが少しずつ遅れ出し、何とか2位を確保し15周を終えた。
  水谷は第2戦筑波(3月27日)でも第1戦時と同型のマシンで出場するが、転倒し右足を骨折、長期療養を強いられることとなった。

 1983年世界GPでのXR45のフレームのバックボーン部に4桁の数字(写真はベルギーGPのマモラの「2006」)、テールカウルに一桁の数字(写真は南アフリカのウンチーニの「4」)が書かれていることがある。これはフレーム番号を示していると思われ、以下の記述はこれを前提にしている。

第1戦南アフリカGP(カイアラミ)

 プラクティスはフレディー・スペンサー(ホンダNS500)が1分26.60秒でポール、ウンチーニ7位(1分27.67)、マモラ8位。スズキチームは1月にこのコースで3日間のテストを行ったが、ライバルのいる条件ではその成果を示すことができなかった。

 下左端はウンチーニのマシンでテールカウルに「4」と書かれており、フレーム番号2004と思われる。下左はマモラのマシンで、後サスペンションのスイングアームから直接1本のロッドがロッカーアームを押すようになっている。XR40までは逆Y字型(両側のスイングアームからロッドが立ち上がり1本にまとまりロッカーアームにつながる)ロッドだった。ウンチーニ、マモラのマシンとも基本的にシーズン前公開マシンと同仕様と思われるが、後輪は16インチ。下右のマモラのマシンのテールカウルに「6」と書かれており、フレーム番号2006だと思われる。
 

 レースでは、ホンダの4人が好スタート、2周目の終わりのメインストレート終わりでスペンサーが片山を交わすとそのままスペンサーが独走し優勝。マモラは序盤5位で、中盤で6位に落ちるが4位を走っていた片山の転倒で5位入賞、ウンチーニは6位。

第2戦フランスGP(ブガッティ)

 下左はレースで用いられたウンチーニのマシンだが、スイングアームピボットの下部・スイングアームの形状、逆Y字プッシュロッドからXR40のB-1型フレームと思われる。第1戦でハンドリングに苦しんだ対策として持ち込まれたもの。右はウンチーニの2004で、フェアリングにスポイラーを装着している。
  プラクティスはロバーツが1分36.80秒でポール、ウンチーニ6位(1分39.27秒)、マモラ7位。

  レースのスタートで、マモラ(2002)はエンジンがかからずマシンを押している時にセルジョ・ぺランディーニ(市販スズキRG)に追突されふらつき、左足をグイド・パーチ(市販ホンダRS)に轢かれ更に左にふらつき、エンジンがかからずマシンを押していたローソンに追突しリタイア、優勝はスペンサー。

第3戦イタリアGP(モンツァ)

 下左端のウンチーニのマシンは第2戦時と同様、XR40のB-1型フレームと思われるが、スイングアーム本体の後半分と補強部分に囲まれた三角形の部分がアルミ板でさらに補強された。後輪は18インチ。下中はこれとは別のマシンで、スイングアームピボットの位置が通常より前上方にあり、スイングアームは第2戦以前のものと酷似している。このマシンはXR40フレームではなく新造されたもので(2007?)、このGPで初登場したようだ。レースでは下左端のXR40フレームのマシンにスポイラーを装着したものが使用された。下右端のマモラのマシンは下左端のマシンと同じくXR40のB-1型と思われるが、スイングアームの追加補強板はない。

 XR40フレームについて、マモラは「チーム・ガリーナには前年のフレームがまだ残っていたため、彼らはすぐに換えてみることもできた。けれども僕たちは方々を探し回らなければならなかった。やっと見つけ出したフレームは、展示用として保管されていたマシンのものだった。」と書いていることから、マモラがXR40フレームをテストしたのはこの第3戦が最初だろう。
 プラクティスはロバーツが1分52.69秒でポール、以下スペンサー、マモラ(1分53.17秒)、ウンチーニ、ルキネリ、ローソン、ハズラムと続く。マモラは第2戦の事故で左足首を骨折しているため、特製のブーツを使用した。

 レースはスペンサーが優勝、スタートからマモラ、以下7.66差でマモラが2位で、ウンチーニは4位。

上左と同じマシン http://highsider.com/textlager/italy2_textlager/Uncini_83_09.htm
上中と同じマシン http://highsider.com/textlager/italy2_textlager/Uncini_83_08.htm
上右と同じマシン http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_01.htm

第4戦ドイツGP(ホッケンハイム)

 
プラクティスはスペンサーが2分8.66秒でポール、以下1.59秒遅れてロバーツ、ローソン、ルキネリと続きウンチーニ7位(2分11.70秒)、マモラ11位。

 下左端はマモラのマシン。XR40ではラジエーターの下左右の固定をダウンチューブ外横側で行っていたが、XR45ではダウンチューブ前側で行うようになった。また、XR40エンジン前側 のフレーム装着部は2箇所(両側にあるので実箇所は4)ある。XR45エンジンではその2箇所の間隔が広がり、下側の装着部は前クランクセンターの下に近づ き、ダウンチューブ内側にボルト留されたブラケットに装着される。したがって、ダウンチューブ外側に見えるエンジン装着部は残りの1箇所(両側で2箇所)。

  下左のマシンのエンジンは明らかにXR45だが、ダウンチューブ横側には、ラジエーター装着用の孔に加え、エンジン装着用の孔が2箇所並んでいるので、これがXR40フレームであることがわかる。テールカウルに「2」と書かれており、フレーム番号2002だと思われる。おそらく第3戦でフレームのみ現地に送られたが、カルネ等の問題で既存のXR45のフレーム番号を打刻し直したのだろう。 このマシンがレースで用いられた。

 下左、下中はいずれもウンチーニのマシンで、テールカウルのシート後に短い1本線あるいは2本線が書かれ(テープが貼られ)、2台のマシンを区別している。いずれも「XR40フレーム+スイングアーム追加補強板」であり、第3戦で登場した新型フレームは確認できない。第3戦でウンチーニがレースで用いたマシンは「2本線」のマシンなので、「1本線」のマシンが第3戦の新造フレームのマシンの代わりに投入されたようだ。

 下左、下中の「1本線」、「2本線」のマシンとも後方排気管の消音器がテールカウルから突き出ていない。第3戦でのマシンはいずれも後方排気管の消音器がテールカウルから突き出ていた。第4戦でウンチーニがレースで使用したのは「2本線」のマシンで、下右のマシンはレース中のようだが、排気管がテールカウルから若干突き出ている。消音器がテールカウルから突き出ているかどうかは、テールカウルの差ではなく排気管の仕様差のようだ。「1本線」、「2本線」は一時的な識別点だが、以下のレースでもこの表記で2台のマシンを区別する。

 レーススタート直前に雨が降りスタートが遅れるが、すぐに止み20分遅れでスタート。優勝はロバーツで、スズキ勢は首位グループに加わることなくウンチーニ5位、マモラ8位(2002)に終わった。

1本線 http://highsider.com/textlager/italy2_textlager/Uncini_83_12.htm
2本線 http://highsider.com/textlager/italy2_textlager/Uncini_83_11.htm

第5戦スペインGP(ハラマ)

 プラクティスはスペンサーが1分29.87秒でポール、以下ロバーツ、ハズラム、マモラ(1分31.22秒)、ウンチーニ。ウンチーニは土曜日午前中のプラクティスで2台のマシンで2回転倒。

 下左端はマモラの2005で、フレームはXR40だが、第4戦時の2002と異なり、ダウンチューブ前のエンジンマウントの位置が2種設けられている。(写真では後側を使用)。XR45エンジンはXR40エンジンより小さく、エンジン搭載位置を変更できるよう改修されたようだ。下左は同マシンの ユーゴスラビアGP時の写真でフレームのエンジンマウント部の状態がよくわかる。下右は2002で、レースでは2005が使用された。下右端のウンチーニのマシンはおそらく「1本線」で、レースでは「2本線」にスポイラーを装着されたものが使用された。

  レースはスペンサーが優勝、スズキ勢は首位グループから大きく遅れてマモラ4位(2005)、ウンチーニ5位(2本線のスポイラー付)だった。

第6戦オーストリアGP(ザルツブルク)

  ロバーツが1分17.89秒でポール、マモラ4位(1分19.83秒)、ウンチーニと9位。
 レースはロバーツが優勝、マモラ3位(2005)、ウンチーニ5位(1本線)。最速ラップはマモラ(1分18.11)。

マモラ XR40フレーム http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_02.htm

第7戦ユーゴスラビアGP(リエカ)

 プラクティスはスペンサーが1分32.271秒でポール、マモラ3位(1分32.830秒)、ウンチーニ8位。
 
レーススペンサーが優勝、マモラ(2005)2位、ウンチーニは11周でエンジンピストン焼付きでリタイア。

2005 http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_04.htm
    http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_03.htm

第8戦オランダGP(ファンドレンテ)

 ロバーツが2分48.52秒でポール、以下スペンサー、片山、マモラ(2分50.26秒)、ウンチーニ、フォンタン、ローソンでルキネリは15位。
 下左はウンチーニの2007でスイングアームはシーズン後公開されたマシンと同型であり、フレームを含め新型になったと思われる。フレーム番号は従来の番号がそのまま打刻されたようだ。このタイプがこの後のレースで基本的に用いられた。なお、フェアリング、テールカウル形状も見直しされている。
    2007 http://highsider.com/textlager/italy2_textlager/Uncini_83_17.htm

 このレースでSAEC(SAEC=Suzuki Automatic Exhaust Controlという名称が公表されたのは、この機構を用いた市販車が1985年に発売された時ではあるが、便宜上、XR45についてもこの名称を使用する)と呼ばれる排気制御機構を装着したエンジンが登場したが、本レースでは用いられなかったようだ。

 レースはスペンサー、マモラ(2005)が好スタート。2周目、ウンチーニが転倒、起き上がって走り出したウンチーニにガードナー(ホンダRS)がぶつかり、ウンチーニは一時、意識不明となる。優勝はロバーツでマモラは4位に終わった。

マモラ 新型 http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_05.htm

第9戦ベルギーGP(スパフランコルシャン)

 プラクティスはスペンサーが2分32.70秒でポール、マモラ3位(2分33.36秒)。
 マモラはレースで2006(
左、レース中)を使用したが、これは第8戦でウンチーニが使用した新2007と同型であり、これもそれまでと同じフレーム番号を打刻したもの。ただし、テールカウル形状は従来型と同じ。

 レースはロバーツが優勝、マモラ3位。

第10戦イギリスGP(シルバーストーン)

 プラクティスでBoet van DulmenにXR45が与えられたがXR40フレームと思われる。レースでvan Dulmenは自身の市販スズキRGBに乗った。
 レッジアーニが復帰、マモラの2006と同じXR45が与えられた。おそらくウンチーニ用新2007だろう。ペランディーニにもXR45が与えられたが、おそらくXR40フレームだと思われる。

 プラクティスはロバーツが1分28.00秒でポール、マモラ3位、ローソン、フォンタン、ハズラム、片山と続く。下はマモラの2005で第5戦時と基本的に同じXR40フレームでスイングアームが変更されている


2006(プラクティス中) https://mototribu.com/competition/motogp/1983/010angleterre/photo/d/mamola.jpg

  レースでハズラムが好スタートを切るが、すぐマモラ(2006)に抜き、3周にはロバーツが首位に立つ。そして5周目にペースダウンしたノーマン・ブラウン(市販スズキRGB)にペーター・ヒューバー(市販スズキRGB)が追突、2人ともコースに放り出され死亡。赤旗は出されずレースは続けられたが、ライダー達はペースダウン、自主的にピットインするものも現れ、結局、赤旗中断。1ヒートの5周と2ヒートの23周の合計タイムで争われることになった。 

 第2ヒート、スペンサーが好スタートを切るが、1周の終わりにはロバーツが首位に立ちリードを広げ出す。その後ろでスペンサー、マモラ、ローソンが2位争いを繰り広げる。ロバーツがそのままゴール、ローソン、マモラ、スペンサーの順でゴールするが、1ヒートとの合計タイムではスペンサー2位、マモラ3位、ローソン4位。ペランディーニは9周目の第1コーナーで転倒リタイア、レッジアーニもリタイア。

第11戦スエーデンGP(アンダーストープ)

 ペランディーニは第10戦での転倒・踵負傷のため欠場。
 スペンサーが1分37.00秒でポール、マモラ4位(1分39.33秒)、van Dulmen14位、レッジアーニ17位。
 レースはスペンサーが優勝、ロバーツ2位で、マモラ7位(2006)。van Dulmen(XR45)12位、レッジアーニ15位。

第12戦(最終戦)サンマリノGP(イモラ)

 プラクティスはロバーツが1分53.49秒でポール、マモラ4位。レッジアーニは17位のタイムだったがレースは欠場、van DulmenもプラクティスでXR45に乗るものの、レースは自身の市販RGBで出場。        レースはロバーツが優勝、マモラ5位(2005)。マモラはランキング3位となったが、1982年に世界選手権を獲得したスズキは1983年に1勝も挙げられずに終わった。

2005  http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_08.htm
2006  http://highsider.com/textlager/usa2_textlager/Mamola_83_07.htm

ランキング

SA F I A E Atr Y N B GB S SM Total
Spencer 15 15 15 8 15 - 15 10 12 12 15 12 144
Roberts 12 8 - 15 12 15 8 15 15 15 12 15 142
Mamola 6 - 12 3 8 10 12 8 10 10 4 6 89
Lawson 3 - 10 2 5 12 10 6 6 8 6 10 78
Katayama - - 6 12 10 8 6 12 8 5 10 - 77
Fontan 8 5 4 5 4 5 5 4 5 6 8 5 64
Lucchinelli 2 12 1 10 - 4 2 - 4 - 5 8 48
Haslam 10 10 - - - - - - 3 4 2 2 31
Uncini 5 - 8 6 6 6 - - - - - - 31

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