XR34(1980年型RGB500)
SUZUKI
1 XR34の成り立ち
1980年のスズキXR34は1979年型のXR27のエンジン周りを用い、車体を中心に改良が加えられたマシンである。1979年、スズキはハンドリングに苦しみ多くのXR27フレームを試みたが、TEAM SUZUKI(by Ray Battersby, Osprey1982/Parker House2008)によると、1980年、ヘロン・スズキチームはXR3400、XR3402H、XR3403H、XR34M1、XR34M2の5種類のフレームを用いたということである。「XR34」は開発上の機種記号であり、部品番号体系上の機種記号でもある。5種のフレームの「XR34」の次の文字は設計変更を意味しているが(「XR」の意味・由来はこちら)、最初の3種が従来型の2本ショック後サスペンション、他の2種が「フル・フローター」後サスペンションのマシンであり、次表のような差と思われる(推定)。
XR3400 | XR3402H | XR3403H | XR34M1 | XR34M2 |
2本ショック後サスペンション | 後サスペンションはロッカーアーム(ショック下マウントはスイングアーム)、いわゆる「フル・フローター」 | |||
シーズン前公開マシン。 |
イタリアGPでのクロスビーのマシン。後ショックユニットの上端付近のフレーム形状が左と異なる。スイングアーム形状も左と異なっており、短くなったようだ。 | ドイツGPでのHartogのマシン。Team Suzukiによると、ステアリングヘッドが20o後退し、スイングアームが20o延長したとのこと。 | フランスGPでのルキネリのマシン。スペインGPで登場。 | 上はシーズン後の公開マシン。イギリスGPで初登場。 |
M1とM2の相違点(こちらも参考にされたい) ・後サスペンション・ロッカーアームピボット周辺のフレームパイプの有無 ・スイングアームのプッシュロッド装着部位置、形状 ・バックボーンとダウンチューブの間のパイプの位置 |
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XR3400、XR3402H、XR3403Hの名称と写真、説明の関係は私の想像。3種の区別が困難なものは「XR34H」と記述する。 | 2種の区別が困難なものは「XR34M」と記述する。 |
排気管のサイレンサーは長いものと短いもの、短いものには突き出しがあるものとないものがある。サイレンサーと排気管本体との間に補強溶接があり、事実上一体となっているので、サイレンサーの違いは排気管そのものの違いのようだ。以下、長いものをA型、短く突き出しのないものをB型、短く突き出しがあるものをC型とする。上の写真では右端がB型、他はA型である。
2 戦績
1975年以降のスズキチームはバリー・シーンを中心にしたチームだったが、シーンはスズキを離れ、1980年のスズキはシーン抜きの次のチーム体制となった。1979年にXR27に乗ったライダーのうち、1980年にXR34を与えられたのはHartogのみ、他の4人は日本のファクトリーマシンに乗るのは初めてだった。
チーム | ライダー | タイヤ |
Heron Suzuki | Randy Mamola | ダンロップ |
Graem Crosby | ||
Nava Olio Fiat Team Galina | Marco Lucchinelli | ミシュラン |
Graziano Rossi | ||
Riemersma Nimag Suzuki | Wil Hartog | ミシュラン |
第1戦として行われるはずだったベネズエラGPは財政的な問題でキャンセルされた。代わって第1戦となるはずだったオーストリアGPも季節外れの大雪のため中止になり、イタリアGPが第1戦として行われた。さらに例年行われていたスエーデンGPも財政的な問題でキャンセルされ、この年の500cc世界選手権は僅か8戦で争われることになった。
第1戦イタリアGP(ミザノ)
ポールはマルコ・ルキネリ(1分22.4秒)、以下ケニー・ロバーツ(ヤマハ0W48)、ランディー・マモラ、ジョニー・セコット(ヤマハTZ500)、フランコ・ウンチーニ(市販スズキRG500)と続き、Hartog6位、グラチアーノ・ロッシ8位、グレーム・クロスビー15位。下左端はルキネリのマシンでXR3402Hと思われる。排気管はA型。プラクティスでC型排気管を装着したルキネリのマシンも確認できる。前輪は16インチで、このチームはシーズンを通して16インチ前輪、ブレンボ製前ブレーキキャリパーを使用した。下左のゼッケン16はクロスビーのXR3402H、奥はマモラのXR34Hで何れも排気管はA型。テールカウルの形状がルキネリのマシンと異なる。
レース(40周)序盤、ルキネリ(下右、A型排気管)、ロバーツ、マモラ(下右端、C型排気管)がトップグループを形成するが、14周目にロバーツが2人との差を広げ出し、そのまま優勝。ルキネリ、マモラはいずれも中盤にクランク破損でリタイア、2位ウンチーニ、3位グランチアーノ・ロッシ。グレーム・クロスビーはピストン焼付、、Hartogもクランク破損でリタイア。
第2戦スペインGP(ハラマ)
XR34M1が登場、マモラ(下、C型排気管)、Hartog、ロッシに1台ずつ与えられた。ルキネリにもXR34M1が与えられたが、レースではXR3402Hを選択した。また、第1戦で多発したクランク破損の対策クランクが空輸された。
ポールはロバーツ(1分31.7秒)、以下マモラ、ルキネリ、ウンチーニと続き、ロッシ6位、10位クロスビー。
レース(36周)序盤の9周、ロバーツ、ルキネリ(XR3402H、A型排気管)が首位を争うが、その後はロバーツがリードを広げ優勝、マモラは孤独な3位、ロッシ、Hartogは序盤に転倒・リタイア。トランスアトランティックトロフィーで転倒し足を傷めたクロスビーは12位。
3戦フランスGP(ポールリカール)
プラクティスでルキネリは強風をうまく使い2分3.42秒でポール、以下ロバーツ、セコット、マモラと続き、ロッシ(下、XR34M1、A型排気管)は6位、Hartogは欠場。HartogのXR34M1がマモラに回され、マモラは2台のXR34M1を使い分けたが、HartogのXR34M1は第2戦の転倒で変形していることが判明した。
21周のレース、ロバーツはスタートに失敗するが追い上げ、マモラ(XR34M1)、ルキネリ(XR34H)を交わして優勝、2位マモラ、3位ルキネリ、4位ロッシ(XR34H)、5位クロスビー(XR34H)。
第4戦オランダGP(アッセン)
プラクティスでジャック・ミドルブルフ(TZ500(フレームはニコ・バカー製))がポール(2分57.6秒)、マモラ3位、ルキネリ4位、ロッシ9位、12位Hartog12位。
レースはロバーツのリードで始まるが、3周目にミドルブルフが首位に立ち、ロバーツはマモラ(XR34M1)、にも抜かれ3位に落ちる。マモラ、ロバーツ、ロッシ(XR34M1)にも抜かれる。マモラはシールドが曇りペースダウンし、ロバーツは前タイヤトラブルでピットイン、ピットアウト後1周でリタイア。ミドルブルフがそのまま優勝、ロッシ2位、マモラ5位、クロスビー8位(XR34H)。Hartog(XR34M1)はインターミディエイトタイヤを選択したが、終盤にボロボロになりリタイア。
第5戦ベルギーGP(ゾルダー)
プラクティスはマモラがポール(1分40.41秒)、ルキネリ3位、ロッシ6位、クロスビー9位、Hartog10位。
レース(30周)ではクロスビー(XR34)が好スタートを切るが、1周目途中でマモラ(XR34M1)がリードを奪い、ルキネリ(XR34H)が続く。2周目終わりではロッシ(XR34M1)がルキネリを抜き、4位はロバーツ。マモラは少しづつリードを広げるが、5周目にロッシは転倒、ルキネリはコースアウト、6位で復帰、中盤には2位に浮上。そのままマモラが初優勝、ルキネリ2位、クロスビー4位、Hartog(XR34H)5位。
第6戦フィンランドGP(イマトラ)
ロッシがポール(1分53.8秒)、以下ルキネリ、Hartog、ウンチーニ、ロバーツ、マモラ。ルキネリはレースで初めてXR34M1を選択。クロスビーは鈴鹿8時間耐久出場のため欠場。下はマモラのXR34M1で、XR34M2とのフレーム等の違いがわかる。
レース(26周)はルキネリ(XR34M1)が好スタートしリードを広げる。ロッシ(XR34M1)、Hartog(下左、XR34M1)、ロバーツが激しい2位争いを演じるが、ロッシが12周目の後にエンジントラブルで脱落。終盤、ルキネリの燃料タンクのブリーザーパイプが外れ燃料タンクが漏れヘルメット、皮つなぎ等あたり一面に飛散、そのままリタイア、Hartogが首位に立ちそのまま優勝、2位ロバーツ、3位ウンチーニ、4位マモラ(XR34M1)。前輪16インチの初優勝。
第7戦イギリスGP(シルバーストーン)
このレースでXR34M2フレームが登場、下左がマモラのXR34M2。
プラクティスではロバーツがポール(1分30.71秒)、ルキネリ2位、ロッシ3位、マモラ4位、クロスビー6位、Hartog8位。下右はクロスビーのXR34M1で後ブレーキのトルクロッド前端がスイングアームピボットの上にある。クロスビーはレースでXR34Hを選択。
レース(28周)はクロスビー(XR34H)、マモラ(XR34M2)、Hartog(XR34M1)のスズキ勢が好スタート、1周目途中でマモラが首位に立つ。2周目になるとマモラ、ルキネリ(XR34M1)、ロバーツが首位を争うようになるが、ロバーツ、ルキネリはタイヤトラブルを抱え遅れ出す。。レースはそのままマモラが優勝、2位ロバーツ、3位ルキネリ、4位ロッシ、クロスビーはタイヤトラブルで13位、Hartogはクランク破損でリタイア。
ランキングポイントはロバーツが79で1位、マモラが66で2位で最終戦、マモラが優勝してもロバーツは9位に入賞すればロバーツがチャンピオンという形勢である(この場合、得点、優勝回数は同じで2位入賞回数でロバーツが上回る)。メーカータイトル争いはヤマハが94ポイントでスズキを1ポイントリード。
第8戦ドイツGP (ニュルブルク)
プラクティスでマモラがポール(8分24.91秒)、Hartog3位、ルキネリ4位、クロスビー7位。ルキネリにXR34Mが2台与えられた。このチームはマシンをライダーの名前と数字で区別しており、下左がルキネリ用1号車でXR34M1、下中はルキネリ用2号車でXR34M2のようだ。イギリスGPで使用されたのはルキネリ用1号車。下右のHartogのマシンはクッションユニット上端周辺のフレーム形状からするとXR3403Hのようだ。後クッションユニットはAragosta製で前輪は16インチ。HartogはレースではXR34Mを使用。
レース(6周)はマモラ(XR34M)が好スタート、ルキネリ(XR34M)、クロスビー(XR34H)、Hartog(XR34M)、ロバーツが続く。1周を終わり、ロッシ(XR34H)はコースの危険性を理由にリタイア。2周目を終わり、マモラ、ルキネリ、クロスビー、Hartogだが、マモラのマシンは排気管から煙を吐き出しペースダウンを強いられロバーツに抜かれ5位に落ちる。
そのままルキネリ、クロスビー、Hartogのスズキ1-2-3、4位ロバーツ、5位マモラで、スズキはメーカータイトルを獲得したものの、個人タイトルはロバーツのものとなった。
1980年終盤、明らかにスズキXR34はヤマハ0W48に対して優位に立っていた。XR34の基本的な機構を受け継ぎながら全面的に見直しされた1981年型XR35のテストが1980年シーズン中に始まっており、そのXR35が1981年に500ccタイトルをヤマハから奪回した。その意味でXR34はXR35の基になったマシンなのである。
GPで用いられたマシン種別(プラクティスのみ用いられたマシンは示していない)
I | E | F | N | B | Fin | GB | A | |
Mamola | H | M1 | M1 | M1 | M1 | M1 | M2 | M |
Lucchinelli | H | H | H | H | H | M1 | M1 | M |
Rossi | H | M1 | H | H | M1 | H | H | H |
Hartog | H | M1 | - | M1 | H | M1 | M | M |
Crosby | H | H | H | H | H | - | H | H |
HはXR3400、XR3402HまたはXR3403H、MはXR34M1またはXR34M2。赤字は優勝。 |
ランキング
I | E | F | N | B | Fin | GB | A | Total | |
Roberts | 15 | 15 | 15 | 10 | 12 | 12 | 8 | 87 | |
Mamola | 10 | 12 | 6 | 15 | 8 | 15 | 6 | 72 | |
Lucchinelli | 12 | 10 | 12 | 10 | 15 | 59 | |||
Uncini | 12 | 4 | 10 | 5 | 10 | 5 | 4 | 50 | |
Rossi | 10 | 8 | 12 | 8 | 38 | ||||
Hartog | 6 | 15 | 10 | 31 | |||||
Cecotto | 8 | 5 | 2 | 5 | 6 | 5 | 31 | ||
Crosby | 6 | 3 | 8 | 12 | 29 |