1980年日本GP SUZUKI
ヤマハは1975年日本GPの後、500ccファクトリーマシンを全日本選手権で走らせていなかったが、1980年日本GPには出場、スズキとヤマハの対決が実現した。 スズキの河崎裕之、岩崎勝に与えられたのは各々XR34M2、XR34M1で、岩崎のマシンのスイングアームは補強のない新型だった。"Team Suzuki"に掲載されたスズキのワークショップ内の写真には同じく補強のないスイングアームを装着したXR34M1が写っている。撮影者のクロスビーが来日したのは1980年の早い時期なので、このタイプは日本GPのかなり前からテストされていたようだ。また、河崎、岩崎の両方のマシン共、前ゼッケン向かって左に孔が開けられダクトが後ショックユニットに伸びている。 |
3 シーズン後公開されたマシン | |
シーズン後、竜洋テストコースで右のXR34M2が公開された。排気管はB型、前後18インチホイール。 |
4 1981年(2023年1月加筆)
1981年世界GPでスズキファクトリーはXR35(RGΓ500)を走らせたが、世界GP以外ではXR34Mを走らせることもあった。また、HartogにXR35ではなくXR34が与えられた。
(1) トランスアトランティック
マモラがXR34M2、クロスビーがXR34M1に乗った。akioka
on Twitter: "どちらも1980年後期型XR34Mにしか見えないんだが…
英米対抗戦自体はGPシーズン前半に行われるのが通例だから、最新型XR35では参戦しなかったのかしら?" / Twitter なお、チームスポンサーがインガソル、シェル(1980年はテキサコ)なので1981年シーズンと分る。
5 現存するマシン (1)XR34H |
(2)XR34M
RGB500-1103/RGB500-1103? |
-/- (エンジン/フレーム番号不明) |
-/RGB500-1108 (エンジン番号不明) |
"TEAM SUZUKI"によると、エンジン番号1103、フレーム番号1103のXR34Mが現存しているとのことである。この1998年CCTTでマモラが乗ったマシンがそうなのか? | XR34M1。キャブレターは装着されていない。 | XR34M1だが、エンジンはXR22。TEAM NAVA OLIOFIAT XR22 (rgb500.com) チームガリーナからスズキに返却される際、旧型エンジンを搭載したものか。某所に置かれていたが、現在は浅間記念館に展示されている。こちらに記事がある。 |
現存するマシンのフレーム番号からすると、チームガリーナのXR34Hフレームは実はXR27という仮説も成り立つ。
また、各チームに与えられたマシンはチームに固定されたものではなく、スズキの指示の下、各チーム間でマシンのやり取りが行われたようだ。
5 諸元
XR34H | XR34M | |
エンジン形式 | 2ストローク水冷スクエア4気筒 | |
吸気制御 | ロータリーディスクバルブ. | |
ボア×ストローク o | 54×54 | |
シリンダーポート数 | 排気×1、掃気×7 | |
キャブレター | ミクニ36o(チームガリーナは37.5oも使用) | |
クランク | 4気筒別体、メインベアリングはボールベアリング×1、ローラーベアリング×1 | |
動力伝達経路 | 各クランク→クランク間ジャックシャフト→クラッチ→変速機メインシャフト→カウンターシャフト | |
点火間隔 | 180度(対角線の2気筒が同時点火) | |
点火方式 | CDI | |
変速機 | 6速(1〜4速:各4種) | |
最高出力 PS/rpm | 128/10800 | |
フレーム | スチール | |
前サスペンション | カヤバ製テレスコピック(ブレーキ圧作動アンチダイブ機構付)、インナーチューブ径40o、ストローク120o、エアバルブ付 | |
後サスペンション | 2本ショック(カヤバ製) | ロッカーアーム(カヤバ製ショックユニット下部はスイングアーム) |
前ブレーキ | 310oφローター×2、対向ピストンキャリパー×2(チームガリーナはブレンボ製) | |
後ブレーキ | 220oφローター、対向ピストンキャリパー | |
前ホイール | 2.5×18、2.5×16 | |
後ホイール | 4×18 | |
車重 kg | 143(半乾燥?) |