現存する61年のホンダ125ccレーサー
honda
(1)2RC143E-50017/RC144F-50001
ホンダコレクションホール所蔵のマシン。下左は1973年、ホンダ創立25周年記念行事の一環として荒川テストコースを走った時のもの、下中・右は1995年頃撮影したもの。フェアリングはRC143FのものでありRC144Fのものではない。エンジン写真参照。 前述のように第2戦ドイツGPでフィリスの乗ったマシンには「A」と書かれている。A→1号車、B→2号車とすると、このマシンのフレームは第2戦で登場したものなのだろうか。
(2)RC143E-50022/RC143F-50003
ホンダコレクションホール所蔵のマシン。その1で書いたように、第1戦スペインGPでフィリスが乗ったマシンの前フェンダーには「C」と書かれていたが、Cは3号車なのだろうか。とすると現存するRC143F-50003はホンダ初優勝マシンそのものなのだろう(エンジンは?)。
なお、キャブレターが60年型(フロート室別体型)とは異なることから、「キャブレターはオリジナルではない」とされることが多いが、明らかに1961年に走ったマシンであり、1961年に使用されたRC143E/RC143Fとしてはオリジナルである。
下左は1973年、荒川テストコースで公開された時のもの、下右は1995年頃。エンジン写真参照。
(3)RC144E0002/RC144F0005(またはRC144F-50005)
最初に存在が明らかになったのは1986年、イギリスのブランズハッチ・サーキットで行われた「MOTOR
100」というイベントに展示された時である。その時は展示されただけの不動状態だったが、後にエンジンは始動できるようになった。そして、ある日本人が購入し、1997年スズカヒストリックミーティングで走った。下左、下中は1997年スズカヒストリックミーティング時で、フレーム番号は再塗装のためはっきりしないが末尾は「0005」(おそらくフレーム番号はRC144F-50005またはRC144F0005)。
なぜ、第2戦のみで姿を消したRC144E/RC144Fがホンダから流出したのだろうか?前述のように、第4戦マン島TTプラクティス時にRC144E/RC143F仕様のマシンも確認されることから、125ccマシンのエンジン不足は深刻だったようだ。したがって、第2戦で姿を消したとされるRC144E/RC144Fも第3戦以降、全く走らなかったかどうは分らない。また、ホンダは多くの外国人ライダーにチャンスを与えていたため、エンジン不足の中で、RC144E/RC144Fが無名のライダーに貸与された可能性が高い。現存するRC144E/RC144Fもこのようなルートで流出したのだろう。
(4) RC143E-50012/-(フレーム番号不明)
マン島のバンガロー地点にあったMANX
MUSEUMに1961年仕様のRC143E/RC143Fが展示されていた、ホンダから寄贈されたマシンである
(5)-/-(エンジン/フレーム番号不明)
ある日本人ジャーナリストのレポートでは2RC143E/RC144Fがスイスにあるとのことである。