全日本選手権最終戦・日本GPに高井幾次郎が0W48、金谷秀夫が0W48Rでエントリーした。ヤマハ500ccファクトリーマシンが日本のレースを走るのは1975年日本GP以来である。
高井の0W48
前フォークは新型でフォークの前部は可変ダンピング機構のようだ。フォーク頂部にエアバルブ装着。スイングアームは世界GPでの0W48のものを補強したような形。ステアリングブラケットはGPシーズン前半型。シート右下に見える左端気筒の排気サイレンサーのみアルミ製(下右)。
金谷の0W48R
前フォーク、スイングアーム、ステアリングブラケットは高井の0W48と同じ。バックボーン下の補強はないようだ。排気サイレンサーは4つとも小さい。キャブレターはフラットバルブ。
プラクティスで金谷は2分14.68秒のポールタイムを記録するものの、4周目にヘアピン先右200Rで転倒・負傷し、レースは欠場した。
レース(17周)ではXR34Mに乗る河崎裕之、岩崎勝が好スタートを切るが、高井が第2コーナー出口で3位に上がり、1周終わりのホームストレートは高井が河崎をぴったりマークし通過。2周目に首位に立った高井はそのままリードを広げ独走。TZ500に乗る水谷勝、毛利良一、TZ750に乗る佐藤順造が河崎を抜き激しい2位争いを繰り広げるが、13周目、水谷がヘアピンでクラッチ不調のため転倒、他の2人も巻き込まれ転倒、河崎が2位に立つ。水谷は素早くマシンを起こし復帰、毛利もかなり遅れて復帰するが、佐藤はそのままリタイア。高井は独走で優勝、2位河崎、3位は追い上げた水谷。
3 現存する(と思われるマシン)
下左・中はかつてフジモーターミュージアムに展示されていた0W48。ロバーツが1980年シーズン後半に用いたマシンと思われるが、スイングアームは当時のものよりやや太く、フィンランドGP時での0W48Rのものに似ている。下右はアメリカで展示されたマシンで、下左端・左のマシンと同一と思われる。
備考 0W48R(実は0W53?)
ヨーロッパに現存する右のマシン(下)は0W48Rとされているが、フレームを含めて0W53にしか見えない。0W48Rと共通なのはカラーリングのみのようだ。レポーターによればフレームに1980年型であることを示す打刻があるということだが・・・
4 諸元
0W48 | 0W48R | |
エンジン形式 | 2ストローク水冷並列4気筒 | |
排気方向 | 前方 | 前方(内側2気筒)、後方(外側2気筒) |
吸気制御 | ピストンバルブ | |
ボア×ストローク o | 56×50.7 | |
シリンダーポート | 排気×1、掃気×4 | |
キャブレター | ミクニ34o、36oまたは38o・ピストンバルブまたはフラットバルブ | |
クランク | 2気筒別体、メインベアリングは各ローラーベアリング×4(内側2個は分割式) | |
点火間隔 | 180度(外側2気筒と内側2気筒がそれぞれ同時点火) | |
点火方式 | CDI | |
変速機 | 6速(1、2速:各4種、3、4速:各3種) | |
最高出力 PS/rpm | 124/11000 | 126/11000 |
フレーム | アルミ | スチール→アルミ |
前サスペンション | テレスコピック(ブレーキ圧作動アンチダイブ機構付、位置依存可変ダンピングまたはダンピング可変 フィンランドGP以降、フォーク頂部にエアバルブ装着 |
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後サスペンション | モノクロス(ショックユニットの上端はフレーム、下端はスイングアームに直付け) | |
前ブレーキ | 320oφローター×2、対向ピストンキャリパー×2 | |
後ブレーキ | 220oφローター、対向ピストンキャリパー | |
前ホイール | 2.5×18 | |
後ホイール | 3.5×18、4×18 | |
車重 kg | 135〜140(半乾燥) |