0W45(1979年型YZR500)                                                       YAMAHA

 ヤマハ0W45(1979年型YZR500)はケニー・ロバーツに2つめの500cc世界選手権をもたらしたマシンである。ロバーツは12レース中10レースに出場し5勝、世界チャンピオンになった。

1 メカニズム

 エンジンは2ストローク水冷並列4気筒で、ボア×ストロークは56×50.7oである。以下、1980年に市販された市販レーサーTZ500(0W45の市販レーサー版)のパーツリスト図を見てみる。

  クランクケースの変速機部分は変速機ギアクラスターを抜き出しやすくするため、変速機軸で水平に分割するのではなく一つの箱になっており、右端にふたがある。アッパークランクケースはクランクシャフト周辺のみ。材質はいずれもマグネシウム合金(0W45、TZ500共)(図左端)。クランクシャフトは2分割で、それぞれの内側にギアがありベアリングは各4個で各クランクの外端のベアリングはローラーベアリング、内端はボールベアリングである。2気筒間の2個のベアリングは分割式のローラーベアリング(図左)。  
 なお、特許流通促進事業のサイトに右のような表が掲載されている。
 元資料をご存知の方がおられましたら、ご連絡ください。

  クランク2本の内側に並んだ2個のギアは共通のギアに噛み合う。そしてそのギアの軸の右端のギアがクラッチギアにつながる。したがって、クランクシャフトは後方回転(図右)。シリンダー、シリンダーヘッドは各気筒別体で、シリンダー、シリンダーヘッドは分離締めである(シリンダー、シリンダーを別々のスタッド、ナットで固定する)。

 並列4気筒の内側2気筒の整備性を考えると共締めの方がよいが、シリンダーにパワーバルブを備えるため、そして、各シリンダーのパワーバルブを連結するため、1978年型0W35K(Kは「改」の意)では当初、シリンダー後側が共締め、前側は分離締めだった。このため、前後で荷重の掛かり方が異なり様々なトラブルがあったため、0W45で見直しされたもの。

 水ポンプはクランクケース上面にあり、クランクシャフトから動力を取り出すジャックシャフトにつながる縦方向のシャフトで駆動される。また、このシャフトは同時にクランクケース下方にある変速機オイルポンプも駆動する。回転計ケーブルはジャックシャフト右端からギア駆動される。
 吸気方式はピストンバルブで、キャブレターはミクニVM34でシーズン後半にはVM36も試みられた。また、レクトロン製のフラットスライドのものも試みられたといわれるが未確認である。点火はマグネトーCDIでジャックシャフト左端からギアで駆動される。変速機は6段である。 
 公表された最高出力は120PS(おそらく変速機出力軸)。
 
 車体は1974年以降のヤマハのファクトリー500レーサーと基本的に同じであり、後サスペンションがモノクロス(クッションユニット1個がスイングアームに前傾して取り付けられており、リンク等は介さないもの)であることが特徴である。スイングアームはアルミ合金製。
 なお、ヤマハ500のアルミフレームは1980年型0W48から採用されたといわれているが、1979年の0W45の写真からすると、0W45でも試みられたようだ。以下の文中で、「アルミフレーム」とあるのは、写真から判断したもの。

 翌年、市販された0W45のレプリカともいえる市販レーサーTZ500の公表乾燥重量は138kg(フェアリング含まず)であり、フェアリング、水、オイルを含めると145kg程度になる。また、80年日本GPで優勝した高井幾次郎のヤマハ0W48(アルミフレーム)がレース後の再車検で142kgであったので、0W45(スチールフレーム仕様)は意外と重く142kg(燃料なしの半乾燥)程度だったと思われる。なお、同レースで3位入賞した水谷勝のTZ500は再車検で147kgだった。

   右のシーズン前公開写真では、シリンダーヘッドが非常に小さいが実戦では通常の大きさになった。キャブレターはフロート室、エアファネルのみマグネシウム合金製である。サイレンサーがはCFRP(カーボンファイバー強化プラスチック製)であるが、1978年の0W35Kと同様、後端の突き出しはない(実戦では突き出し有のタイプが使用された)。

2 戦績

 1978年、0W35Kを与えられたロバーツ(チャンピオン)、ジョニー・セコット(ランキング3位)、片山敬済(ランキング5位)のうち、片山が切り捨てられ、替わりにクリスチャン・サロンに0W45が与えられた。0W45のフレーム番号は、0W45-B-901から始まっていると思われ、おそらく、ロバーツに903、904、セコットに901、902、サロンに905、906が与えられたのだろう。

第1戦ベネズエラGP

   ロバーツは2月13日にヤマハの袋井テストコースで転倒・負傷し欠場。0W45を与えられる予定だったサロンもマシンが間に合わず、TZ350(若干、排気量を拡大)に乗ったので、セコットのみが0W45で出場した。
 セコットはプラクティスでは1分35.13秒で3位、ポールはバリー・シーン(スズキXR27(RGB500))の1分34.14秒。
 レースではXR27に乗るWil Hartogが好スタート、ビルジニオ・フェラーリ(XR27)、トム・ヘロン(XR27)、スティーブ・パリッシュ(XR27)、セコットと続く。シーンはスタートで遅れ12位。3周目、ウンチーニ(スズキ市販RG)がセコットを抜く。シーンは追い上げ7周目には2位に浮上、12周目にはHartogが転倒、シーンが首位に立つ。セコットは16周目にサスペンショントラブル、ミッションオイル漏れでピットイン、リタイア。レースはそのままシーン、フェラーリ、ヘロン、ウンチーニの順でゴール、 サロンは7位。

第2戦オーストリアGP

  ロバーツがこのレースから復帰した。
 下左のロバーツの2台の0W45だが、前ゼッケン向かって左に1本(右のマシン)、2本(左のマシン)の線が書かれて(貼られて)いる。これは2台のマシンを区別するためのものである。以下、右のマシンをK1、左のマシンをK2とする。また、2台の排気管の形状は明らかに異なる。仮にK1のものをA型、K2のものをB型とする。この後のレースでもK1にはA型が、K2にはB型が主に装着されている。
 プラクティスではセコットが1分23.39秒でポール、ロバーツは1分24.77秒で4位。

 レースではセコットはスタート準備ができないうちにスタートとなり、大きく遅れた。1周目を終わってフェラーリがトップ、ロバーツ(K2)はすぐ後ろにつける。シーンは6位だったが、ブレーキ故障で少しずつ遅れる。ロバーツは4周にわたってフェラーリの後ろを走るが、満を持してトップに浮上。1、2回、フェラーリがトップを奪い返すが、ロバーツがフェラーリを徐々に引き離す。セコットは追い上げ11周目には6位まで上がるがシケインで転倒、膝のお皿を割ってしまう。レースはそのままロバーツがトップでゴール。

第3戦ドイツGP

   このレースからサロンに0W45が与えられた。プラクティスではシーンが2分16.1秒でポール、ロバーツは2分17秒で5位、サロンは2分17.9秒で8位。セコットはオーストリアでの負傷のため、当分、欠場。
  レースではフェラーリが好スタート、最初に第1コーナーに飛び込んだ。しかし、インフィールドではHartogが首位に立つ。ロバーツ(K2右)は2周にわたってフェラーリの後ろにつけるが、3周目にフェラーリを抜く。しかし、その時すでにHartogはロバーツに5秒差をつけていた。4周後、ロバーツはフェラーリに抜かれ、シーン、Boet van Dulmen(市販RG)の2位グループを形成することになる。7周目、シーンがヘアピンでロバーツを抜くとvan Dulmenも続き、ロバーツは5位に落ちる。10周目、van Dulmenがエンジン故障でリタイアし、4周後にはシーンもエンジン故障でリタイア。ロバーツはペースを上げ、1周に1秒以上、差を詰めるが、結局、Hartogが優勝、ロバーツは3.6秒差で2位、3位フェラーリ、サロンは8位だった。最速ラップはロバーツの2分12秒4。

第4戦イタリアGP

 プラクティスは、シーンが1分56.13でポール、ロバーツは1分5.18秒で2位、サロンは1分58.61秒で14位。
 レースではHartogが好スタート、2周にわたってヘロン、ロバーツ(K2)にリードを保つ。ロバーツは3周目にHartogをかわしトップに立つ。フェラーリは(プラクティスでのクラッシュにもかかわらず)7周目にはヘロンに迫るまで追い上げる。10周目にはHartogがクラッシュ。サロンは10位前後を争っていたが、結局ピットイン・リタイア。残り4周で、ロバーツのマシンの燃料残量警告灯が点灯した、ロバーツは若干、ペースダウンを強いられたが、そのままトップでゴール、2位はフェラーリ、3位ヘロン、4位シーンだった。最速ラップはロバーツの1分56秒0。 K1、K2とも前ブレーキキャリパーがブラケットを介して前フォークに取り付けられている。第2戦でセコットのマシンの1台でもトライされており、直径の異なる複数のディスクローターに対応するためだろうか。

 K2(レース使用車)                 プラクティス中のK1。排気管はA型。ドイツGPの車検のステッカーが貼られたままである。

 
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