1992年型NSR500の点火間隔                       HONDA

 私がサーキットに行くようになってから30年近くなる。その間、多くのレーシングマシンを見てきたが、1992年型ホンダNSR500ほど私を驚かせたマシンはない。初めてこのマシンを見たのは、1992年日本GP時の鈴鹿のピットだった。エンジンに火が入りウォームアップを始めても気が付かなかった。そしてホームストレートを走る音を聞いて気が付いた。「点火間隔を変えたな!」と。そして、あわててペンと手帳を取り出し、略図を書いて慣性力の釣合いを確認した。
(排気音はこちら(音が出るので注意)、ストレートで先行するのはYZR500)

  ヤマハは1973年から、スズキは1974年から500cc2ストローク4気筒のレーサーを走らせていたが、これらはいずれも180度等間隔2気筒同時点火だった。一方、ホンダは1984年から2ストローク4気筒を走らせていたが、当初は90度等間隔点火で、1989年( 「1990年」説もある)からヤマハ、スズキと同様、180度等間隔2気筒同時点火にしていた。

 そして、ホンダは2気筒同時点火のまま各組の互いの点火間隔を不等間隔にし、被スロットルコントロール性を向上させることを狙ったのである。既にこの間隔が「68-292度」だったことがホンダから明らかにされているが(※)、慣性力の釣合いを理解していれば、この点火間隔を推測することは容易である。当時、その場に居合わせたヤマハ、スズキ、カジバのエンジン技術者も排気音を聞いたその場で正解にたどり着いたに違いない。これら3メーカーが1992年型NSR500の排気音分析を行ったと言われているが、事実だったとしても音響分析は参考情報である。4本の排気管からマイクロフォンへの音の伝わり方がそれぞれ異なる(距離、空気の流れ)からである。

※ 私が知る限りこの点火間隔が初めて日本語の活字になったのは、サイクルサウンズ誌2005年6月号に掲載されたホンダの技術者に対するインタビュー記事である。このインタビューは2005年3月19日にホンダウェルカムプラザ青山で行われた第163回バイクフォーラム「今だから明かすビッグバンエンジン開発秘話」を受けて行われたので、このフォーラムで点火間隔が明らかにされたものと思われる。
 1992年型NSR500は112度1軸V型4気筒で、各気筒の配列は右のとおり。これは車体右前からエンジンを見た状態を表しており、Cはクランクシャフトで、図奥がクランクシャフト左端、図手前がクランクシャフト右端である。矢印はクランクシャフト回転方向(後方回転)で、数字は各気筒番号。

 1992年型NSR500がジャックシャフト(クランクシャフトからの動力取り出しシャフト)をバランサーシャフトとして使用していたことが1992年シーズン後に明らかにされているが、バランサーシャフト1本で1次慣性力を完全に釣合わすためには、バランサーシャフトなしの状態で1次慣性力そのものは打ち消しておき偶力が残るようにしておかなくてはならない。バランサーシャフトはどんな振動でも無条件で打ち消すことはできないのである。

 まず、V型2気筒の1次慣性力の釣合いについて考える。ホンダRC211VのV角で書いたように、最大1次慣性力をPとし、単気筒あたりP/2だけ釣合うようにクランクシャフトのバランスウエイトを設定し、V角をV、位相差をdとすると、向かい合う2気筒の不釣合いは、

 P×cos((V+d)/2)

 
cosが0になるのは90度であるから、不釣り合いを0にするためには、
 
 (d+V)/2=90
 d+V=180

   
になるようdを設定すればよい。1992年型NSR500は112度Vなので、

 d+112=180 
 d=180-112=68

 
V型2気筒の1次慣性力を釣合わせるためには向かい合う2気筒の点火間隔を68-292度にすればよい。1992年型NSR500は不等間隔・2気筒同時点火と考えられたので、各組の間隔も68-292度になる。

 これを図で説明する。右図で1・3番気筒が上死点にある時、その1次慣性力とバランスウエイトの遠心力の合力の方向は青矢印になる。これを2・4番気筒の慣性力とバランスウエイトの遠心力の合力で打ち消すためには、その合力は赤矢印の方向になければならない。この状態で図に向かって左回りの偶力が生じているが、これはバランサーシャフト1本で打ち消すことができる。

 前述のように1992年型NSR500のクランクシャフトは後方回転(図では左回り)であり、図では赤矢印が上死点前68度にあるが、クランクピン位置はその線対称位置・上死点後68度にある(最大1次慣性力の1/2だけ釣合うようにバランスウエイトを設定することが前提)。したがって、
 
 点火間隔は1・3番気筒を起点に考えると292-68度になる。
 
※ 仮に1・2番気筒を同時点火にすると(左)、これらが上死点の時の1次慣性力とバランスウエイトの遠心力の合力の向きは矢印のようになる。3・4番気筒も同時点火なら、各組間の点火間隔を180度にする必要があり、不等間隔にはならない。1・4番気筒を同時点火にした場合でも(右)、同様である。
 

補足 1984-91年型NSR500の点火順序
 (以下、最大1次慣性力の1/2だけ釣合うようにバランスウエイトを設定することを前提にしている)

(1)1984年型(90度等間隔点火)

 1984年型NSR500は90度1軸V型4気筒エンジンで、クランクシャフトは後方回転、点火間隔は90度等間隔である。1番気筒が上死点にある時、1次慣性力を完全に釣合わせるためには、各気筒の1次慣性力とバランスウエイトの遠心力の合力の方向が図中の矢印のようになっていればよい。
 点火順序は1-4-3-2になる。
 
(2)1985/86年型(90度等間隔点火)
 1984年型と同様90度1軸V型4気筒だが、クランクシャフト回転方向は前方回転。したがって、点火順序は1984年型の点火順序を逆にして「2-3-4-1-2-3-4-1・・・」、つまり1-2-3-4になる。
(3)1987-89年型(90度等間隔点火)
 112度1軸V型4気筒で、クランクシャフトは後方回転である。同じ後方回転の1984年型と同じ点火順序にすると、慣性力とバランスウエイトの遠心力の合力の方向は図中の矢印のようになり、力としては釣合うが偶力が残る。この偶力はバランサーシャフトで相殺できる。
 点火順序が1-2-3-4では、偶力が残るのは同じだが、バランサーシャフト長または同シャフトのバランスウエイトのいずれかまたは両方を、1-4-3-2の場合より大きくする必要がある。
 したがって、1-4-3-2の可能性が高い。

(4)1990-91年型(180度間隔2気筒同時点火)
 
 ※のとおり、1・2番気筒と3・4番気筒がそれぞれ同時点火、1・4番気筒と2・3番気筒がそれぞれ同時点火のどちらでも成立するが、実際に用いられたのは前者。

 補足1 ホンダ・モーターサイクル・レーシング・レジェンドvol2(2008 八重洲出版)の記述等

(1)上記(3)の90度等間隔点火順序は1-4-3-2とのことである。

(2)128頁の1992年型NSR500についての山下ノボル氏の発言「〜1次振動をバランサーなしに消せる位相にしただけ〜」は山下氏の勘違いか、「〜1次振動をバランサーで消せる位相にしただけ〜」をテープ起こしの段階で間違えたのだろう。

(3)128頁、「気筒番号は前に向かって一番左にあるのが1番で、右に向かって番号が増える。1番のある前バンク〜」の下線部分は「1番のある後バンク」の誤り。従って、その後の記述も誤ってしまっている。同書中の写真でも1番左にある気筒が後バンクであることは分る。

補足2 ライディングスポーツ2012-9の記述

 「このエンジンは2気筒同爆エンジンではあるが〜68度-292度間隔で2気筒ずつが同時に爆発するため〜NSR500のVバンク角が112度であることから、理論的には一次振動をゼロとすることができ、このため、1992年型ではバランサーシャフトが不要となり、3軸構成となったことで、エンジン単体での剛性と精度もアップされていた。」(58頁)

は、補足1-(2)と同様に、ライター氏が1992年型NSR500がバランサーシャフトなしに1次慣性力が完全に釣り合うと勘違いしたことによるのだろう。「3軸構成」は・・・「NSR500 ハイパー2スト・エンジンの探求」(つじ・つかさ、1995グランプリ出版)その他の出版物にバランサーシャフト(つまり4軸構成になる)のことが書かれているので、ライター氏の1次振動に関する誤った認識による想像の産物と思われる。

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