RACERS vol02

 2009年10月から発刊が始まったRACERS(三栄書房)は、過去のレーシングマシンにスポットをあて、「今だから話せる」、「今だから出せる」事実を盛り込みまとめたものであり貴重な資料となっている。2010年8月現在、vol05まで発刊されているが、その中ではvol02に間違いが多いようなので校正してみる。

7頁
○「長らくケニーのために0Wの開発を務めた河崎裕之氏」とある。ケニー(ロバーツ)がGPでヤマハ500cc4気筒に乗ったのは1978-83だが、河崎は1977-82はスズキに乗っており、ヤマハ500ccの開発に携わったのは1983年型以降。この記事のライターにとって1年間は「長らく」になるらしい。

13頁
○85年のラグナセカでのレースについて「0W81改580ccを駆った'85年は〜」とあり、このマシンが580ccであると確定的に書かれている。一方、74頁のQ95では「もしかしたら、500ccではなく、スノーモービル用のピストンを使って、ボアアップを図り、60×50.7mmの573ccまで排気量を拡大していたという話もある。」と、噂話のように書かれている。次のような理由から「噂話」としか思えない。

・複合めっき・アルミシリンダーの2ストロークエンジンでは「ボアアップ」加工すれば、再度複合めっきが必要になるが、複合めっきが行える工場は限られる。また、ボア拡大するだけのシリンダー壁厚が0W81にあるとも思えない。580ccマシンが走ったとすれば、500ccシリンダーのボアアップ加工をしたのではなく、新シリンダーを用意したことになる。それにも関わらず、ピストンのみ新規製作ではなく「スノーモービル用を流用」するだろうか。
・15%排気量拡大すれば、排気管の改造も必要になるが、外観では排気管形状に差はないように見える。
・0W69は、1983年にトランスアトランティックトロフィー、ラグナセカも走っており、デイトナのためだけに製作されたマシンではないが、わざわざラグナセカのためだけに0W81の15%排気量拡大版のマシンを製作するだろうか。

17頁
○1984年ベルギーGPでの平について「Tカーのない1台体制でのGP初挑戦において」とあるが、平がエントリーしたオランダGP、ベルギーGPではレースで使用したマシンの他にフェラーリ用2号車が与えられ、2台体制だった。右写真は ベルギーGPプラクティス中のもので、ステアリングブラケットに「F2」と書かれており、平がフェラーリ用2号車にも乗っていたことが分る。

23頁
○0W61について、「急造した鋼管フレームにV4エンジンを載せてテストを開始した。ライダーの評価は悪くなく、0W60のテビュー戦と前後して0W61用アルミフレームの完成にこぎつけた。ヤマハコースが他の予定で詰まっていたので、鈴鹿のスポーツ走行に混じってシェイクダウンをし、大急ぎでヨーロッパに向けて発送した。」とあり、鈴鹿でのシェイクダウンのみで実戦投入されたような文になっている。

 このライターが、3月7日のデイトナ200と3月28日のアルゼンチンGPのどちらを0W60のデビュー戦にしているのか分らないが、仮に3月28日のアルゼンチンGPの頃がアルミフレームの完成時期とすると、5月2日のオーストリアGPまでの1ヶ月に行われた0W61のテストが鈴鹿での1回のみとは考えられない。

 また、60頁のQ23では0W61について「走行テストが始まったのは早くても'81年の年末です。〜エンジン設計を担当した塩原さん〜が暫定使用の鋼管フレームも設計し、最初はそれを使って先行的にテストをしました。'82年のレースに投入したアルミフレーム仕様は年が明けてからの開発です。」とある。仮に1月中旬に0W61アルミフレームの開発が始まったとするなら、アルミフレーム1号機が完成するのが3月28日頃とは思えない。3月7日頃(デイトナ200)とするなら、5月2日のオーストリアGPまで8週間あり、「鈴鹿でのシェイクダウンのみ」がますます怪しくなる。

 実際にはOW61アルミフレーム1号機の完成は1982年1月末〜2月中旬ではないかと思える。

24頁
○「先代RGBをモデルにした0W54を投入したヤマハ」とあるが、これが「モデルにした」にあたるのであれば、「ホンダRC212V(2007年以降の800ccV型4気筒)はスズキXRE4(2006年型GSV-R・990ccV型4気筒)をモデルにした」ということになる。

○1981年について「スズキは、同じスクエア4ながら、〜軽量・小型化を徹底するとともに、ボア×ストロークを54×54mmから56×50.5mmとして〜フロントに16インチホイールを正式採用するなど〜ニューマシン・RGΓを投入。」とある

 1981年型RGΓ500(XR35)のボア×ストロークは54×54mmで、ショートストローク化されたのは1982年型のXR40。なお、XR40のボア×ストロークには56×50.5mmと56×50.7mmの2説があるが、後者が正しいようだ。
  1981年のXR35は全面的に16インチ前ホイールを使用したわけではない。ダンロップタイヤを使用するヘロン・スズキチームのマモラ、クロスビーは18インチ前ホイールも使用している。
 レーシングマシンの仕様にとって「正式」という用語は無意味である。「正式」があるなら「非正式」があるはず。一般市販車なら、認定を受けた状態が正式で、必要な届出を行わずに変更するなら「非正式」になる。レーシングマシンにとって、部品変更、構造変更は日常茶飯事なのだから、「正式」、「非正式」は用いるべきではない。上の「正式採用」は「本格使用」というべきである。

27
○「0W48のアルミフレームで開幕戦に臨み、0W48Rのアルミフレームで最終戦を走るまでの間、それぞれの鋼管フレーム使用も持ち込み、4種類のマシン」とあるが、0W48のスチールフレーム仕様はシーズン前公開マシンを除き確認できない。

○「KR250/350で世界GPに挑戦していたカワサキは、'78、'79年の2年連続で250ccクラスのチャンピオンを獲得したコーク・バリントンをステップアップさせ」とある。この書き方であればバリントンはこの2年間、350ccクラスのタイトルは手にしていないようだが・・・

28
 OW48Rについて「オランダとベルギーを走った後、いったん引き上げられた」とある。また、28頁にはフィンランドGP、イギリスGPで従来型0W48が登場、最終戦西ドイツGPでアルミフレーム0W48Rが登場したように書かれている。

 「引き上げられた」という表現は、「○○へ引き上げる」というように、引き上げ先があることが前提であり、上の文は「現場(サーキット)からヤマハの基地に引き上げられた」ように受け取れる。しかし、0W48RはフィンランドGP、イギリスGPのプラクティスを走っている。また、アルミフレームの0W48Rは西ドイツGPで初めてレースで用いられたが、その前戦・イギリスGPプラクティスを走っている。詳細はこちら

31頁
○写真説明で「このレースからワークスRGBを貸与されて調子に乗る」とあるのは「前のレース・ダッチTTからワークスRGAを貸与されて」の誤り。

〇「〜初めて走る苦手の公道コース、しかもウェット路面という悪コンディションの予選で転倒、Tカーのない彼(ロバーツ)は、同じ0W35Kに乗るチェコットのマシンを借りて予選通過を果した」

 MOTORCOURSE1978-79(Hazleton 1979)によると
The day before the race, the rain stopped and was replaced by a warm sun. Seizures had been the fashionable problem during the earlier practice and on the Saturday they set in with a vengeance.Roberts's 250 seized, and then his 500, after one lap of the final practice.〜〜〜Roberts was out on the track, on Cecotto's spare bike.

34頁
○「並列2気筒・250ccのパワープラントを横に2基並べたようなレイアウト、左右2気筒ずつのサブアセンブリーを中央のカップリングギアで連結したクランクシャフト構造、そこからプライマリーシャフトを介して〜といった、エンジン設計の基本構想は初代YZR500(0W20)以来変わらずに受け継がれている。」とある。

 カップリングといえば軸と軸を繋ぐものを指す。1981年のTZ250は右クランク左端のギアが左クランク右端のギア内側に噛み合うようになっており、この構造であれば「中央カップリングギアで連結」になる。しかし、1980年型TZ500のパーツリスト図では左右クランクのギアは連結されておらず、それぞれのギアがジャックシャフト(プライマリーシャフト)上のギア(1つ)に繋がる構造。記事のライターはヤマハ500/750のクランク構造をTZ250のクランク構造と基本的に同じと勘違いしたようだ。

○「この年に実戦投入されたスズキRG500に対して低出力・高重量であったため、500cc専用に全面新設計した後継モデル、0W23を〜」とある。1974年、ヤマハのライバルはMVアグスタであり、0W23が登場するまではマン島TTを除き2勝2敗だった。まさかスズキに対抗するために0W23を登場させたとは思えない。

51
 0W76について「フラットバルブになったキャブレター」とあるが、0W70用フラットバルブキャブレターは1983年第2戦フランスGPから使用された。現存する0W70も1983年シーズン後公開時はフラットバルブキャブレター仕様だった。55ページの諸元表でも0W70はフラットバルブになっている。

52頁
○0W20のボアピッチが92mmになっているが、102mmの誤り。

○0W48R(ALF)でアルミ製ダブルクレードルフレームとあるが、写真はベルギーGPでのスチールフレーム。

53頁
○例えば1979年のワークス出場台数が「ヤマハ1台、スズキ4台」になっているが、ヤマハではセコット、サロン、高井(ユーゴスラビアGP以降)、スズキではパリッシュ、ヘロン(前半で事故死)が忘れられているように、間違いが非常に多い。

55

 表中のパワーバルブの鼓/スライドの区別と私の評価は次のとおり。例えば0W53はRACERSでは鼓型になっているが、右はDulmen の0W53で、シリンダーに装着されたスライド作動機構が見える。
機種 0W35K 0W45 0W48 0W48R 0W48R(ALF) 0W53 0W54 0W60 0W61 0W70 0W76
RACERS 鼓型 鼓/スライド 鼓型 スライド 鼓/スライド
評価 鼓型のみ確認 鼓/スライドを確認 スライドのみ確認 鼓/スライドを確認 スライドのみ確認
58頁
○Q10でYZR500でレクトロンキャブレターを装着して走ったことはないとされた。1978年第1戦ベネズエラGPでロバーツが乗った0W35(パワーバルブなし仕様)で、キャブレターがミクニのものとレクトロンのもの(右)がある。おそらく、レクトロン仕様はレースでは走ってないだろうが、少なくともプラクティスは走ったことが分る。
65頁
○Q48で「写真はありませんが、図面の履歴からフレームに取り付けられた給油口が抹消されたことが分かります」とある。

 これは「ヤマハに写真が残っていない」だけであり、フレーム燃料タンク仕様のマシンはレースで用いられた(フレームの燃料タンクそのものは用いられず)。左、中でははっきりと、右ではかろうじて燃料注入口が見える。
第1戦南アフリカGPのロバ
ーツ0W70-B-301
第5戦スペインGPのローソン用
1号車(おそらく0W70-B-303)
日本GPの木下用
0W70B-307

66頁
○Q50で1983年「第10戦イギリスGPから、それまでのベルクランク式のリアショックからボトムリンク式に仕様変更」とあるが、誤り。ボトムリンク式のマシンは第3戦イタリアGPプラクティスで登場するが、ロバーツがボトムリンク式の0W70をレースで用いたのは第9戦ベルギーGPのみ。こちらを参照

参考
  Yamaha−All Factory and Production Racing Two Strokes」(by Colin Mackellar, The Crowood press 1995)では、新型サスペンション車について「Available from the third round in Italy, it was debugged over the next four GPs. By Assen it was ready with a dramatic improvement in results.」とあり、オランダGP以降にレースで走ったように書かれているが、これも誤り。

69頁
○Q68で、シーンとフォンタンに0W53、0W53Pがドルメン、浅見、フルチに与えられたように書かれているが、フォンタンのマシンは0W53Pのように見える。また、0W53Pが与えられたライダーにサロンが抜けている。

72
○Q86で、1978年、ロバーツが乗ったTZ250について「そのTZ250のフレームには、〜キャラザースのモディファイが随所に施されていた」とあるが、モディファイというより、TZ250とは全く別のフレームに見える。こちらを参照(バックボーン部形状、シートレール位置が1978年型TZ250と全く異なる)。

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