XR14(1974-77年型RG500)                                      suzuki           SUZUKI


 スズキは1968年2月にGP活動休止を発表して以来、一般市販車をベースにしたTR250、TR500(XR05)、TR750(XR11)によるレース活動を行っていた。世界選手権500ccクラスではXR05(2ストローク空冷並列2気筒)が1971年アルスターGPで優勝(ジャック・フィンドレー)していたが、4ストロークのMVアグスタ500cc3気筒に比べれば明らかに劣勢だった。しかし、1973年にヤマハが2ストローク500cc並列4気筒の0W20を登場させ、第4戦イタリアGP250ccクラスでヤマハのヤーノ・サーリネンが事故死するまではMVに対して優位に立っており、本格的な500cc2ストロークレーサーが4ストロークを駆逐する時代が間近に迫っていることが明らかになった。そして、秋にはスズキも2ストローク500cc4気筒を開発しているのではないか、と噂されるようになったのである。

1 XR14の成り立ち

 スズキが500cc4気筒を開発するに当たって選んだ形式は、ロータリーディスクバルブ・スクエア4気筒だった。1960年代のスズキのGPレーサーの吸気制御は初挑戦の1960年を除きローテリーディスクバルブだったが、TR250、TR500、TR750は一般市販車をベースにしていたため、一般市販車と同じくピストンバルブだった。XR14は市販車との繋がりを考慮する必要はなく、ロータリーディスクバルブを前提に検討された。ロータリーディスクバルブ4気筒となれば並列4気筒という訳にはいかず、2気筒を前後や上下に並べることになるが、1960年代にスズキが散々苦労したスクエア4気筒を敢えて選ぶこととなった。

 1973年7月に計画がスタート、11月末〜12月には1号機エンジンのベンチテストが始まったが、まず問題になったのがクランクシャフト、ジャックシャフト、クラッチに至るギアのトラブルだった。また、クランクシャフトの大端部の破損にも悩まされ、対策としてオイルポンプが装着され大端部にオイルを送るようになった。

 右2枚はシーズン前公開された写真で、すでにオイルポンプが装着されており(右:右前キャブレター下)、テールカウル上にオイルタンクのキャップが見える(左)。フレームはダブルクレードルに見えるが、エンジン下のパイプはボルト留めされている(右)。このパイプは元々なかったが、テストの結果、フレーム剛性が不足したため装着されたもの。前ブレーキディスクローターは直接ハブに取り付けられる。

2 1974年

 1974年、XR14が与えられたのはバリー・シーン、フィンドレー、ポール・スマートだった。シーンは1973年にスズキGBチームに加わり、XR11に乗り1973年から始まったF750(フォーミュラ750)のタイトルを獲得していた。
 なお、フィンドレーはシーズンを通じてミシュランタイヤを、シーン、スマートはダンロップを主に用いた。

第1戦フランスGP(クレルモンフェラン)

 アゴスチーニがスタートから飛び出し独走するが、9周目に変速機故障でリタイア。優勝はリード(MV4気筒)で、バリー・シーン(左)がXR14の初GPで2位入賞をもたらした。以下ジャンフランコ・ボネラ(MV)、Teuvo Lansivuori(ヤマハ0W20)、Michel Rougerie(ハーレーダビッドソン2気筒)。スマート(右)は9日前に腕を骨折しており、1周走っただけでリタイア。
 XR14は基本的にシーズン前公開されたマシンと同じだが、前ブレーキローターは別体のブラケットを介してハブに取り付けられるタイプになった。
第2戦ドイツGP(ニュルブルク)
 左はおそらくシーンのマシン。中のマシンはエンジン下のボルト留めのフレームパイプがなく、右のマシンにはある。ボルト留めパイプなしの状態でテストしたのか、単に整備のためにはずしたのかはわからない。右のマシンの後2気筒のシリンダーヘッド間にエンジンを吊り下げるステーが見える。このステーはクロスメンバーにボルト留めされる。シーズン前公開マシンと異なり、キャブレターがマグネシウム合金製である。

 レースはトップライダー達がコースの安全性を理由にボイコットし、TZ350に乗るCzihackが優勝。
第3戦オーストリアGP(ザルツブルク)

 雨の中のレースは、アゴスチーニとボネラの接戦になりRougerieが続くが、アゴスチーニが逃げ切り優勝。シーン、フィンドレー(左)は4位、5位を走っていたが、Rougerieがリタイアしたため、周回遅れになりながらも3位、4位入賞。スマートはスタートで失敗、レース記録には残っていない。
 
第4戦イタリアGP(イモラ)

 プラクティスでシーン、フィンドレーが5位、6位。
 レースはスタートからアゴスチーニ、シーン(上右)、リード、ボネラによる激しいレースが繰り広げられるが、シーンは変速機故障でリタイア。アゴスチーニが終盤にリードを奪い、そのまま優勝かと思われたが、ガス欠でリタイア。優勝はボネラで以下Lansivuori、リード、フィンドレー。
5戦マン島TTレース(マン島マウンテンコース)

 1973年に引き続いてほとんどのファクトリーライダー達がボイコットしたが、1973年にXR05U(水冷)で優勝していたフィンドレーは出場した。フィンドレーのXR14(右)は新型のダブルクレードルフレームである。このフレームがレースで用いられたかどうかは分らない。
 レースではエンジン故障でリタイアし、TZ350に乗るフィル・カーペンターが優勝。
第6戦オランダGP(アッセン)
 プラクティスはシーン、フィンドレーが4位、6位。
 レースではアゴスチーニが圧倒的な強さで優勝、以下、Lansivuori、リード、ボネラ。シーン(左:レース中)は変速機の異常を感じてリタイア。フィンドレーは転倒リタイア、スマートは1周を走ってリタイア。
 上中はシーンの新型フレームのマシンでレースで使用されたマシンそのものと思われるが、ダブルクレードルタイプであり、シーズン前公開されたマシンとはバックボーン部の形状が大きく異なることが分る。また、モーリス製キャストホイールを装着していることが目を引く(レースでも使用)。右のゼッケン15は同マシンのようだが、この時点では後輪はワイアースポークホイールを装着している。ゼッケン23はフィンドレーのマシン。
 右の写真はイギリス国内のレースで撮影されたようだが、手前はスマートのマシンで、マックストンフレームにXR14エンジンを搭載したもの。ラジエーターはエンジン前ではなく、エンジン横両側に置かれている。背後に見えるのはシーンの新型フレームのマシンで、前輪はキャストホイール。
第7戦ベルギーGP(スパフランコルシャン)
 
 リードが優勝、以下アゴスチーニ、ディーター・ブラウン(TZ350)、パトリック・ポンス(TZ350)、フィンドレー。シーンは序盤、3位に着けていたが、6周目にシフトペダル破損でリタイア。
 スタート時(右)のシーンのマシンを見ると新型フレームで、前輪はワイアスポークホイール。

第8戦スエーデンGP(アンダーストープ)


 シーンはプラクティスで2位に着ける。レースはシーンがリードを奪うが、XR14の水ポンプが破損し水が漏れ、シーンはスリップして転倒、直後を走っていたアゴスチーニも巻き込まれ転倒・リタイア。Lansivuoriが500cc初優勝し、以下リード、Penti Korhonen(TZ350)、ボネラ。

第9戦フィンランドGP(イマトラ)

 フィンドレーのみが出場。レースはLansivuoriがリードするが、リードに抜かれさらにボネラにも抜かれる。終盤、Lansivuoriは追い上げるが、ボネラにブロックされたような形になり、そのままリードが優勝、以下ボネラ、Lansivuori、フィンドレー(右)。この結果、リードの世界選手権獲得が決定した。
 フィンドレーのマシンはワイヤースポークホイールを装着している。また、フェアリングの塗分ラインが変わり色調も明るくなっている。

第10戦(最終戦)チェコスロバキアGP(ブルノ)
 
 シーンが復帰した。ポールはリードで、以下ボネラ、Lansivuori、シーン、アゴスチーニと続き、フィンドレーは9位。
 レースはリードが優勝し、ボネラ2位、Lansivuori3位で、シーン(右)はプラグかぶりと後ブレーキ故障に悩まされ4位。以下ブラウン、アゴスチーニ、フィンドレー。シーンのマシンは新型フレームで前後輪ともキャストホイールを装着。

 1974年のXR14の戦績を見れば、マシンの性能云々以前にエンジン等の故障が多く、1975年に向けて改良すべき点が山積する結果となった。そしてスズキ500cc4気筒の世界選手権初優勝は1975年に持ち越しとなったのである。

ランキング

  F A Atr TT N B S Fin Cz Total (gloss)
Read 15 - 0 10 - 10 15 12 15 15 82(92)
Bonera 10 - 12 15 - 8 1 8 12 12 69(78)
Lansivuori 8 - 0 12 - 12 0 15 10 10 67(67)
Agostini 0 - 15 0 - 15 12 0 - 5 47(47)
Findlay 0 - 8 8 0 0 0 8 4 34(34)
Sheene 12 - 10 0 - 0 0 0 - 8 30(30)
 有効得点は10戦中ベスト6戦の合計得点。
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