XR14(1974-77年型RG500)                                                 SUZUKI

1975年

 1975年型XR14で最も大きく目を引くのが後サスペンションである。1974年型はオーソドックスなツインクッションユニットだったが、右の1975年シーズン前公開写真で分かるように、クッションユニットが大きく前傾しスイングアームもアルミ合金製の太い角断面に変わった。1974年型ヤマハ0W20の後サスペンションがいわゆるモノクロスとなりストロークを伸ばしており、スズキはツインクッションユニットのままストロークを伸ばしたのである。

 前年XR14に乗ったバリー・シーンはそのまま残留し、フィンドレーは放出され、前年ヤマハ0W20に乗ったTeuvo Lansivuoriが加わった。なお、前年、MVアグスタに乗り500ccタイトルを獲得したフィル・リードが来日しXR14をテストしたが、契約には至らなかった。

第1戦フランスGP(ポールリカール)

 1975年GPシーズン開幕前、シーンがデイトナ200マイルレースにXR11(TR750)でエントリーしたが、プラクティスでタイヤがバーストし転倒、重傷を負い第1戦を欠場することとなり、Lansivuoriのみが出場。右はLansivuoriのマシンでシーズン前公開マシンと基本的に同じである。
 プラクティスはLansivuoriが2分12秒3でポール、以下アゴスチーニ(ヤマハ0W23)、金谷(0W23)、アルマンド・トラッカ(MV)、リード(MV)と続く。 
  レースではLansivuoriがリードするが、ギアセレクター故障でリタイア。アゴスチーニ、金谷のヤマハが1-2フィニッシュ、以下リード、トラッカ。最速ラップは金谷(2分13秒8)。
第2戦オーストリアGP(ザルツブルク)
 シーンが早くもサーキットに帰ってきた。プラクティスはアゴスチーニが1分21秒52でポール、以下、金谷、リード、Lansivuori、トラッカで、シーンは1分23秒70でトラッカに続いて6位。しかし、シーンはドクターストップで出走できず。
 レースではスタート前に一悶着があった。レース前夜に雨が降り、レース前もいつでも雨が降ってもおかしくない天気だったため、主催者がスリックタイヤの使用を禁止したのだが、アゴスチーニのダンロップタイヤは中央部に縦3本溝が入っただけのものだった。MVチームから抗議が出たが、結局中央部に3本溝があるのでスリックではないという理由で出走が認められた。なお、スズキチームはミシュランを主に使用したが、ダンロップを使用することもあり、時には前輪又は後輪のみダンロップということもあった
 レースではアゴスチーニはリタイア、金谷が500cc初優勝、以下Lansivuori、リード、トラッカで、最速ラップはアゴスチーニ(1分21秒78)。
第3戦ドイツGP(ホッケンハイム)

 このレースからスタンレー・ウッズにもXR14が与えられた。プラクティスはLansivuoriが2分19秒2でポール、以下アゴスチーニ、金谷、トラッカ、リード、ウッズ、シーン。
 レースではアゴスチーニが優勝、以下リード、Lansivuori(右)、金谷、ウッズで、シーンはキャブレタートラブルでリタイア。最速ラップはアゴスチーニ(2分17秒0)。
 
第4戦イタリアGP(イモラ)

 このレースからトラッカにXR14が与えられ、スズキは4台体制になった。しかし、Lansivuoriがプラクティスで転倒し、代わりにロベルト・ガリーナがXR14に乗ることになった。プラクティスはアゴスチーニが1分59秒51でポール、以下、金谷、トラッカ、リード、シーン、ガリーナでウッズは8位。
 レースはアゴスチーニが優勝し、以下リード、金谷、トラッカ、ウッズでシーンは変速機故障、ガリーナは燃料系統のトラブルでリタイア。最速ラップはアゴスチーニ(1分57秒2)。
5戦マン島TTレース(マン島マウンテンコース)

 1973年、74年に引き続いてほとんどのファクトリーライダー達がボイコット、カワサキH1-RW(水冷並列3気筒)に乗るミック・グラントが優勝。なお、グラントが記録した最速ラップ21分59秒6は、1967年にマイク・ヘイルウッド(ホンダ500)が記録した絶対コースレコード20分48秒8に遠く及ばないものだったが、グラントは1000ccクラス(世界選手権ではない)でKR750に乗り最速ラップ20分36秒8を記録、ヘイルウッドの絶対コースレコードを更新した。
第6戦オランダGP(アッセン)
 ジャックシャフトの故障が74年に続いて起きたことから、イタリアGPの後、日本で改良部品が製作され、GPでは本レースから使用された。また、本レースまでにシートレール-リアアッパーパイプ間(後方気筒排気管の遮熱板前辺り)に補強パイプが設けられた新フレームが登場した。新造フレームなのか、既存のフレームに加工したのかは分らない。
 このレースからウッズに替わり、ジョン・ニューボルドにXR14が与えられた。プラクティスはシーンが2分58秒4でポール、以下アゴスチーニ、Lansivuori、ジャンフランコ・ボネラ(MV)、リード。
 レースではシーン(上右)とアゴスチーニ(上右:シーンの後ろ)の接戦となるが、中盤以降ペースダウンし、互いに様子をみるような状態。そして終盤アゴスチーニがスパートしてリードするが、シーンが追いつき最終ラップの最終コーナーからの立ち上がりでシーンがアゴスチーニをかわしてスズキ500cc4気筒初優勝をもたらした。以下リード、ニューボルド、Lansivuori、ボネラ。最速ラップはシーン(2分55秒5)。
 上左の2台のLansivuoriのマシン、上中の2台のシーンのマシンの内の右側のマシンのテールカウルに数字の1、2が書かれており、マシンを区別している。シーンは1と書かれたマシンをレースで使用した。このマシンの左前フォーク上部に「5」と書かれており、これがフレーム番号を示しているならフレーム番号は1005なのだろう。
第7戦ベルギーGP(スパフランコルシャン)
 
 プラクティスはシーンが2分52秒9でポール、以下リード、ボネラ、アゴスチーニ、Lansivuori、ニューボルド。レースではシーンがジャックシャフト破損でリタイア、アゴスチーニもエンジン故障でリタイアし、リードが優勝し、以下ニューボルド、フィンドレー(ヤマハTZ750にTZ250シリンダーを4気筒分組み込んで500ccにしたマシン)。最速ラップはシーン(3分52秒2)。
  右のマシンはオランダGP優勝マシンと同一のようだ。
第8戦スエーデンGP(アンダーストープ)

 プラクティスはシーンが1分42秒75でポール、以下Lansivuori、アゴスチーニ、リード、ボネラ。ニューボルドにXR14は与えられず、以降のレースではXR05Vに乗った。
 レースはシーンが優勝、以下リード、ジョン・ウィリアムス(ヤマハ)、ボネラで、Lansivuoriは転倒。最速ラップはシーン(1分41秒85)。
 

第9戦フィンランドGP(イマトラ)

 プラクティスはボネラが2分17秒1でポール、以下リード、アゴスチーニ、シーン、Lansivuoriでトラッカが13位。
 レースはアゴスチーニが優勝、以下Lansivuori(左)、フィンドレーでシーン(中)はキャブレタートラブルでリタイア。最速ラップはアゴスチーニ(2分15秒5)
 右はスエーデンGP又はフィンランドGPで撮影で撮影されたと思われるシーンのマシンで、後方排気管遮熱板前にフレーム補強パイプ(赤矢印)が追加されているのが分る。

第10戦(最終戦)チェコスロバキアGP(ブルノ)
 
 プラクティスはLansivuoriが3分37秒4でポール、以下シーン、リード、アゴスチーニ。
 レースではシーンはクランク破損で、Lansivuoriはクラッチ故障でリタイア。アゴスチーニとリードのタイトルがかかったレースはリードが優勝したものの、アゴスチーニは着実に2位入賞しヤマハに初の個人タイトルをもたらした。3位はアレックス・ジョージ(TZ750)。トラッカがXR14で出場したということだが記録は不明。最速ラップはLansivuori(3分41秒5)。

 1975年、XR14の戦闘力は向上し2勝を挙げたものの、依然としてエンジン等の故障が多かった。しかし、シーズン後半に見せた速さはライバルチームにとって脅威であり、スズキが500ccタイトルを獲得する日は近いと思われるようになったのである。

ランキング

  F Atr A TT N B S Fin Cz Total (gloss)
Agostini 15 0 15 15 - 12 0 0  15 12 84(84)
Read 10 10 12 12 - 10 15 12 0 15 76(96)
金谷 12 15 8 10 - - - - - - 45(45)
Lansivuori 0 12 10 - - 6 0 0 12 0 40(40)
Williams 0 0 0 0 12 4 6 10 0 0 34(34)
Sheene - - 0 0 - 15 0 15 0 0 30(30)
 有効得点は10戦中ベスト6戦の合計得点。
 ウッズ、ニューボルド(XR05Vでの成績を含む)、トラッカ(MVでの戦績を含む)はランクキングは16位、8位、9位。
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