RK65-RK67U                                                                      SUZUKI

 本頁の内容は、スズキの技術者だった中野広之さんの「日本モーターサイクルレースの夜明け」から多くの記述、写真を引用させていただいている(引用した写真は※で区別)。

1 1965年

 スズキ 50cc2気筒の開発は1963年の初めに始まった。ボア×ストローク・31×33oの空冷並列2気筒RM64Xである。すでに1962年全日本選手権でホンダ50cc2気筒・RC112が登場し、スズキ勢の相次ぐ転倒によるとはいえ優勝していたし、2ストローク勢ではトーハツの空冷並列2気筒が姿を見せた(このレースは走らず)。スズキの50cc単気筒も発展途上とはいえライバルの進歩を考えると単気筒のみに固執する必要はなかった。
 1963年3月には設計図が出来上がりエンジン試作を開始、1963年半ばにはエンジンテストを開始したと思われる。そしてテストの結果ボア×ストローク32.5×30oのRM64Y(空冷?)として設計変更、1963年12月には試作を開始した。すでにこの頃にはスズキが50cc2気筒を開発していることは公然の秘密となっていた。そして1964年1月には水冷化する等改良を加えたRM64YUの試作も開始した。左下は「39.1.15」(昭和39年=1964年1月15日)の日付の入ったRM64YUの構想図(※)である。
 1964年シーズンへの出場を目指していたが結局、エンジン出力持続性の問題で投入は見送られた。また、並行して開発していた、単気筒RM63をベースにボア・ストロークを変更したRM63Yで大幅な出力向上が得られたこともその要因となった。
 1964年シーズンはRM63Y及びRM63YをベースにしたRM64を用い、序盤は圧倒的な強さを見せたが、中盤以降、ラルフ・ブライアンズの乗るホンダが4連勝し、もはや単気筒に頼ることはできなくなっていた。そしてRM64YUの問題の解決にも見通しが立ち、1965年シーズンにRK65として投入することになった。

 第1戦USGP、ホンダは欠場、エルンスト・デグナー(下左端のゼッケン3、K5-3/K5-2(エンジン番号/フレーム番号、以下同じ))、ヒュー・アンダーソン(K5-6/K5-5、下左)、市野三千雄(K5-5/K5-3、下左端のゼッケン6)、越野晴雄(RM64、下左端のゼッケン5)が1〜4位を独占した。
 アンダーソンのマシンのみガーリング製後ショックを装着しており、その後のレースでも同様である。また、このレースで使用されたフェアリングは他のレースで用いられたものよりコンパクトな印象を受ける。
  第2戦ドイツGPは、ホンダのブライアンズ、タベリが1、2位。アンダーソン(下中、K5-5/K5-5)は中盤までエンジン不調だったが、その後快調になり追い上げ3位。4位伊藤光夫(K5-6/K5-7)、デグナー(K5-7/K5-8)はコンロッド大端焼付でリタイア。
           
             US               ドイツ      スペイン      フランス   
 
  第3戦スペインGP、アンダーソン(上右※、K5-10/K5-5)が優勝し、ブライアンズが2位。伊藤(K5-6/K5-7)はキャブレターオ−バ−フロ−によるプラグかぶりで7位。デグナー(K5-3/K5-2)は同トラブルでリタイア。
 第4戦フランスGP、ブライアンズ、タベリが1、2位、デグナー(K5-7/K5-8)、伊藤(K5-6/K5-7)が3、4位、アンダーソン(K5-10/K5-5)はタンクキャップ不良でピットインし6位。上右端は左からデグナー、アンダーソン、伊藤のマシン。

  第5戦TTレ−スでは新型エンジンが登場した。クランクベアリング潤滑用のオイルポンプが装着されたものと思われる。レースではアンダーソンを除き新型エンジンを使用した。
  レースは悪天候で30分遅れて11時30分スタ−ト、1周目、伊藤(下左端、K5-52/K5-7)が2位のタベリを12.2秒離して首位に立つが、2周目、
コンロッド大端焼付でリタイア、タベリが優勝。アンダーソン(左※、K5-10/K5-5)、デグナー(右※、K5-56/K5-2)はエンジンの調子がよくなく2、3位。市野(右端、K5-54/K5-3)はクランク室へのミッションオイル吸い込みで不調で大きく遅れ、50ccレースの次の500ccレ−スに差し支えるため、レ−ス中止命令を受けた。  TT

  第6戦オランダGP、ブライアンズが優勝、アンダーソン (下左端、K5-9/K5-6)、伊藤光夫(K5-52/K5-7)、デグナー(K5-7/K5-2)が2、4、5位、市野(K5-54/K5-3)はリタイア。3位はタベリ。
 下左はアンダーソンのマシンだが、クランクケース上のオイルポンプ、配管が見える。下中は同マシンの後部で、シートストッパー上にオイルタンクのキャップのようなものが見える。下右はアンダーソンの別のマシンで、これがレースで使用されたK5-9/K5-6(オイルポンプなし)だろう。下右端はデグナーのマシンでオイルポンプ装着車のようだ。デグナーはレースでK5-7エンジンを使用しているので、下右端のマシンはレースでは用いられなかったのだろう。
     オランダ

  第7戦ベルギ−GPは、デグナー(左・ゼッケン32、K5-56/K5-2)、アンダーソン(左・ゼッケン10、K5-9/K5-6)、伊藤 (右、K5-52/K5-7)、藤井敏雄(K5-59/K5-9)が1、2、4、7位、タベリ、ブライアンズが3、5位。この結果、個人の選手権争いは日本GPに持ち越された。メ−カ−タイトルは優勝した方がタイトル獲得、アンダーソンとブライアンズの個人タイトル争いは、ブライアンズが3位以上に入賞すればアンダーソンの順位に関係なくチャンピオンという形勢だった。 ベルギー
  第8戦(最終戦)日本GP(10月24日、14周)、新型エンジンが持ち込まれたが、どこが変更されたかは不明である。また、アルミフレームが登場し、全ライダーに与えられた。最初にアルミフレームの走行テストが竜洋テストコースで行われたのは1965年9月9日である。なお、クライドラ-に乗っていたハンス・ゲオルグ・アンシャイトがスズキに加入した(クライドラ-はフランスGPを最後にGPから撤退)。
 プラクティスではアンダーソンが2分47秒3でポール、タベリが2分47秒7で2位、以下ブライアンズ、伊藤、藤井、谷口、市野、森下勲(ブリヂストン、スズキから移籍)、アンシャイト、伊藤晶(ホンダ)、的野征治(ブリヂストン)、伊藤一広(ブリヂストン)。

 レースは1周目を終わりブライアンズ、藤井(K5-152/K5-53)がほぼ並んでストレートを通過、以下タベリ、伊藤(K5-157/K5-54)、アンダーソン(K5-155/K5-52)、アンシャイト(K5-11/K5-51)と続く。2周の終わりでは藤井がトップに立つが、すぐにブライアンズが抜き返す。そしてこの接戦も6周目に藤井が転倒し終わった。一方、アンダーソンは1周目5位から6周目には3位と追い上げ、11周目にタベリ、ブライアンズの前に周回遅れが現れ、ぐんと差が縮まった。そして12周終わりではアンダーソンが2位に浮上、13周目のヘアピンではトップで通過したが、14周(最終ラップ)の左100Rで転倒。結局、タベリが優勝、ブライアンズ2位、伊藤光夫、アンシャイト、市野三千雄(K5-153/K5-55)が3、4、5位となり、ブライアンズが個人チャンピオン、メーカーチャンピオンはホンダが手にした。
  下右端のアンシャイトのマシンのシートストッパー上面中央に黒いオイルタンクキャップらしいものが見える。このマシンはアルミフレームの新型車
なので、シートストッパーもオイルタンク装着用になったのだろう。エンジンはK5-11なので、オイルタンクは使用されなかったと思われる。   日本

 1965年の戦績を振り返るとスズキとホンダの差は僅かなものだったことがわかる。また、最終戦で個人タイトル獲得のチャンスのあったアンダーソンが2位入賞した4回のレースのうち、2回はデグナーが優勝しているのである。そして、最終戦でアンダーソンが転倒しなければ。
 スズキとホンダの接戦は翌年も展開されることになる。最後の50cc2ストロークと4ストロークとの対決が。

1965年使用されたマシン
 
1965年にGPレースに出場したRK65のエンジン、フレームは次表のとおり。

E/F番号  US A E F TT N B J 備考
エンジン K5-3 Degner   Degner           1型、デグナー用
K5-5 市野 Anderson             1型
K5-6 Anderson 伊藤 伊藤 伊藤         1型、アンダーソン用→伊藤用
K5-7   Degner   Degner   Degner     1型、デグナー用
K5-9           Anderson Anderson   1型、アンダーソン用
K5-10     Anderson Anderson Anderson       1型、アンダーソン用
K5-11               Anscheidt 1型 
K5-52         伊藤 伊藤 伊藤   2型、伊藤用
K5-54         市野 市野 市野   2型、市野用
K5-56         Degner   Degner   2型、デグナー用
K5-59             藤井   2型
K5-152               藤井 4型
K5-153               市野 4型
K5-155               Anderson 4型
K5-157               伊藤 4型
フレ|ム K5-2 Degner   Degner   Degner Degner Degner   鉄、デグナー用
K5-3 市野       市野 市野 市野   鉄、市野用
K5-5 Anderson Anderson Anderson Anderson Anderson       鉄、アンダーソン用
K5-6           Anderson Anderson   鉄、アンダーソン用
K5-7   伊藤 伊藤 伊藤 伊藤 伊藤 伊藤   鉄、伊藤用
K5-8   Degner   Degner         鉄、デグナー用
K5-9             藤井  
K5-51               Anscheidt アルミ
K5-52               Anderson アルミ
K5-53               藤井 アルミ
K5-54               伊藤 アルミ
K5-55               市野 アルミ

 エンジン番号に「1〜」、「50〜」、「150〜」の3種あるので、少なくとも3種類のエンジンが用いられたようだ。また、エンジン番号「100〜」が欠番になっている。「100〜」が試作されたが、期待どおりの性能を発揮できずレースで用いられなかったのか、単に担当者の気分の問題、あるいはカルネ取得の際の気まぐれなのか・・・上表ではK5-100〜が存在したと仮定し、1型〜4型と書いた。2型は第5戦マン島TTで登場したようだが、第6戦オランダGPでのアンダーソンのマシンでオイルポンプが確認されているので、2型はオイルポンプが装着されたことが1型との大きな差異だろう。ただし、アンダーソンはベルギーGPまで1型を使用した。4型はどこが変更されたかは不明である。
 フレームは鉄フレームとアルミフレームの2種があり、アルミフレームは最終戦で登場した。

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