0W76(1984年型YZR500)                      YAMAHA

 0W76は1984年にエディー・ローソンに初の500cc世界選手権を与えたマシンであると同時に、ヤマハ500ccV型4気筒として初の500cc世界選手権を獲得したマシンである。
 1983年の500ccGPはフレディー・スペンサー(ホンダNS500)とケニー・ロバーツ(ヤマハ0W70)の二人の激しい選手権争いが繰り広げられ、二人以外の誰も優勝することはなかった。そしてロバーツは1983年を最後にGPから引退し、1981、1982年と世界選手権を獲得したスズキも1984年に活動を縮小することになった。このため、1984年シーズン前には、多くの人が1984年の500ccGPはスペンサーとホンダのものと考えたのだが・・・

1 0W76の成り立ち

 ヤマハは0W61(1982年型)、0W70(1983年型)と500ccV型4気筒・Vバンク間ギア駆動ロータリーディスクバルブエンジンのマシンを走らせてきたが、これらのマシンには始動性の問題があった。1986年までGPのレーススタートは、エンジン停止の状態でスタートを待ちスタートと共にエンジン始動する方式だったため、エンジン始動性がレース展開に大きく影響したのである。このため、1983年シーズンの早い段階で1984年に向けてリードバルブエンジンを開発することが決まった。すでにホンダが1982年からピストンリードバルブV型3気筒エンジンのNS500を走らせていたが、ヤマハが選んだのはクランクケースリードバルブであり、これは期せずして1984年のホンダV型4気筒・NSR500(NV0A)と同じである。ただし、ロータリーディスクバルブエンジンも並行して開発され、結局、両方のタイプが実戦で使用されたが、主に用いられたのはクランクケースリードバルブエンジンである。しかし、シーズン当初はクランクケースリードバルブエンジンの存在は公表されていなかった。

 エンジンは基本的に0W70と同じ40度V型2軸クランク4気筒であり、ボアピッチ、軸間距離等の基本的なディメンションは変わっていないと思われるが、各ボルトの位置は異なる。また、0W70ではエンジン右側にあった水ポンプが左側に移動し、冷却水経路も「水ポンプ→クランクケース→各シリンダー→各シリンダーヘッド→ラジエーター」に変更された。
 車体では、ツインチューブタイプのフレームが上下に太くなり、ダウンチューブが短くなった。また、後サスペンションのクッションユニットがほぼ直立しその下端をロッド/レバーで作動させるいわゆるボトムリンクタイプになった。既に1983年型の0W70でこのタイプの後サスペンションが試みられていたが、全面的に用いられたのは、0W76が最初である。また、0W70では前フォークにアンチダイブ機構が設けられていたが、0W76ではアンチダイブ機構は消えボトムケース下端に圧縮側ダンピング調節つまみを持つ(伸側は前フォーク上端)タイプになった。これは1983年TBCビッグロードレースで平忠彦、河崎裕之の0W70に装着されたものと同じである。
 タイヤはダンロップで前輪は17インチ、後輪は17インチと18インチが用いられたがシーズン中盤からは18インチに落ち着いたようだ。

 上のシーズン前公開写真のマシンはロータリーディスクバルブエンジン。クランクケース右側を観察するとロータリーディスクバルブ駆動シャフト(前後クランクセンターの間)右端の下に回転計駆動ケーブル取出部が見える(上右端の上方)。0W76の回転計は電気式であるが、開発初期は0W70と同様に機械式だったと思われる。また、クランクケース右側の右前シリンダー基部に穴が見える(上右端の下方)。この部分は0W70でフレームマウント部として使用されており、公開時のフレームへの仕様変更が公開の少し前に行われたことが窺える。
 左端/左と右はカラーリングは同じマシンで外装等を交換し撮影したようだが、左端/左は前後輪17インチ、右は前17インチ、後輪18インチ。

2 チーム体制

 ロバーツのGP引退に伴いマルボロ・ヤマハ・チーム・アゴスチーニのエースはローソンとなり、チームメイトとしてビルジニオ・フェラーリが選ばれた(1979〜83年に500ccクラスに参戦していたソノートチームは250ccクラスに専念することになった)。
 このチームは1983年同様、2人に与えるマシンを「頭文字+数字」でE1(エディー・ローソン用1号車)、E2(同2号車)、F1(フェラーリ用1号車)、F2(同2号車)と、第8、9戦に参戦した平忠彦の専用マシンは(タイラ用)と区別していた。
  0W76のフレーム番号は0W76-B-401(以下「401」というように略記)から始まっており、各ライダーに割り当てられたフレーム番号は以下のとおりと思われる。

ライダー フレーム番号 チーム内記号
Eddie Lawson 401 E1
402 E2
Virginio Ferrari 403 F1
404 F2
河崎裕之、平忠彦、上野真一(全日本選手権) 405〜

3 1984年の戦績等

第1戦南アフリカGP前  鈴鹿BIG2&4(3月11日)に河崎裕之が出場。河崎には左の2台(ゼッケン15と15T)のマシンが与えられたが、2台を比較すると、ラジエーターの前のフェアリング開口部の下(前輪後端部の直後)に空けられた穴の位置が異なる。世界GPで用いられたマシンでも2種類確認できるが、これは何の差なのだろうか?レースでは右側のゼッケン15のマシンが用いられたが後輪は17インチのようだ。

 プラクティスは雨の中で行われ、TZ500(フレームは0W53)に乗る上野真一が2分45秒8でポール、河崎は2分51秒67で4位。
 
 レースでは、木下恵司がスタートよく飛び出すが河崎(上右)がすぐに追いつき、2周目に首位に立つとそのままリードを広げ最終ラップ(15周)に入る時には8秒のリードを奪っていた。しかし、最終ラップ、130Rで河崎の0W76のエンジンが停止、木下が先にチェッカードフラッグを受け、2位は伊藤巧(スズキ市販RGB500)、惰性で走りきった河崎が3位入賞した。

第1戦南アフリカGP(カイアラミ)

 プラクティスはスペンサー(ホンダNSR500)が1分26秒57でポール、以下Raymond ロシュ(ホンダNS500エンジン搭載のRS500R)、フランコ・ウンチーニ(スズキXR45)、と続き、フェラーリ5位(1分28秒43)、ローソン11位(1分30秒81)。しかし、スペンサーは木曜日のプラクティスでポールタイムを記録した後、後輪のCFRP製スポークが破損し転倒、両足を傷め、土曜日のレースを欠場することになった。
 下のE1E2を見ると、シーズン前公開されたマシンと異なり、バックボーン上面前側に補強が追加されている(バックボーン側面の上端に溶接跡が見える)。おそらく鈴鹿2&4の時点ですでに追加されていたものと思われる。E1E2で後ホイールのスポーク数が異なるが、4/7本スポークが18インチで5本スポークが17インチのようだ。
 なお、鈴鹿2&4のトラブルの原因であるクランクシャフトの対策部品が急遽、南アフリカに送られた。
 雨天のレースではローソンがスタートよく飛び出し1周目に首位に立ち、一時後退するが、9周目に首位に立つとそのまま独走し、グランプリ初優勝。2位ロシュ、3位バリー・シーン(スズキ)、フェラーリはリタイア。最速ラップはシーン(1分42秒39)。
 レースではE1が用いられたと思われる。この時点ですでにローソンにクランクケースリードバルブエンジンが与えられていたが、シーズン当初のフェラーリのマシンはロータリーディスクバルブエンジンだったといわれている。
E1 E2

第2戦イタリア(ミザノ)

 プラクティスはスペンサーが1分21秒45でポール、以下ローソン(1分22秒55)、ワイン・ガードナー(RS500R)、ロン・ハスラム(NS500)、ウンチーニと続き、フェラーリは15位。
 左端はE1、中はE2でスイングアーム形状が両車で異なる。また、シーズン前公開マシンはスイングアーム前上部補強左右に穴が開けられて
いたが、これもない。また、両車とも後輪は17インチ。

 レースではReinhold Roth(RS500R)、ハスラムがリードするが、2周目の終わりではスペンサーが首位に立ち、そのまま独走。ローソン(E2)は4周目に3位、6周目に2位に上がるが、スペンサーとの差は広がる一方で、 結局スペンサーが優勝、以下、ローソン、ロシュ、ガードナー、ウンチーニ、ハスラム、Boet van Dulmen(スズキ市販RGB500)、フェラーリ。最速ラップはスペンサー(1分21秒34)。
E1 E2 E2
第3戦スペイン(ハラマ)

 スペンサーはアングロ・アメリカ・マッチレースで転倒し両足を傷め欠場。プラクティスはローソンが1分30秒25でポール、以下ロシュ、ランディ・マモラ(このレースからホンダNS500で復帰)、ハスラムで、フェラーリは9位。
 レースはハスラム、スペンサーが飛び出すが、2周目にローソンが首位に立ち、そのまま優勝、以下マモラ、ロシュ、ハスラム。最速ラップはローソン(1分30秒84)。レースではE2(右)が用いられたが、左ハンドルバー近くに後クッションユニットのプリロード調整つまみが設けられた。
 なお、マルボロチームのケル・カラザースの回想では、「シーズン当初、リードバルブエンジンにはピストンバルブキャブレターが組み合わされていたが、アングロアメリカマッチレースの時に0W70のフラットスライドキャブレターに手を加えてリードバルブエンジンに装着しテストしたところ、いい結果が得られたので、その後もフラットスライドタイプを使用した。」とのことである。
第4戦オーストリア(ザルツブルク)

 プラクティスはマモラが1分18秒15でポール、以下ローソン、スペンサー、Rob McElnea(スズキXR40)、ハスラム、ロシュ、Roth、フェラーリ。左のE2のスイングアーム前上に補強が入れられている。後輪は18インチ。
 レースはいつものようにハスラムが飛び出し、McElneaが続く。4周を経過するとスペンサー、マモラ、ハスラム、ローソン(右、E2)による首位グループが形成されるが、スペンサー、そしてハスラムが後退、マモラも少しづつ遅れだし、ローソンが優勝。スペンサーは終盤マモラに2位を譲られた。4位ハスラムで、以下McElnea、ロシュ。フェラーリは14位。最速ラップはマモラ(1分18秒93)。
E2 E2(レース中)
第5戦ドイツGP(ニュルブルク)  

 スペンサーは金曜日まではNSR500に乗ったが、土曜日のプラクティスではNS500に乗りポールタイムを記録、以下1秒28遅れてローソン、McElnea、マモラ、ハスラム、ロシュ、フェラーリ。
 レースでマモラ、ハスラム、McElneaが好スタートするが、1周目の終わりではスペンサー(NS500)がハスラムに迫り、2周目に入りすぐスペンサーが首位に立つ。3周目にはローソン(E1)が2位に上がり5周目頃からスペンサーとの差を詰めるが、ヘアピン進入で外側に出たところを周回遅れにぶつけられコースアウト、コースに復帰した時にはスペンサーとの差は18秒に広がっていた。スペンサーがそのまま優勝し、ローソン2位で以下マモラ、ハスラム、ロシュ、ウンチーニ、フェラーリ。最速ラップはスペンサー(1分43秒43)。
E1 E2
第6戦フランスGP(ポールリカール)

 スペンサーが2分1秒41でポール、以下ローソン、ロシュ、フェラーリ、マモラ、ハスラム。左のE1の後輪は18インチ。
 レースはロシュが飛び出すが、スペンサー(NSR500)が3周目に首位に立ちそのまま優勝。ローソン(E2)は、6周目に2位に浮上するが、スペンサーとの差は縮まらなかった。最速ラップはスペンサー(2分1秒97)。
E1 E2(レース中)

第7戦ユーゴスラビアGP(リエカ)

  プラクティスはスペンサーが1分31秒70でポール、以下ローソン、マモラ、ハスラム、ロシュと続きフェラーリは8位。
 下左のE1、下中のE2共にクランクケースリードバルブエンジンである。また、シーズン前公開マシンと異なり、クランクケース-シリンダー間にスペーサーが挟み込まれている。
 フレームを見るとシーズン前公開マシンと異なり、バックボーン部に開けられた左右バックボーンを繋ぐパイプの穴(点火コイル後方)が円断面になっている。このことが確認できるのは第3戦が最初だが、第1戦時からフレームバックボーン上面前側に補強が追加されていたこと、第2戦時で明らかにスイングアームがシーズン前公開マシンと異なっていることから、シーズン前公開マシンは結果的に公開だけのマシンになったものと思わ
れる。なお、第2戦時と同様にスイングアームがE1E2で異なる。
 レースは、ハスラム、マモラ、ロシュ、スペンサー(NSR500)の順で最初のコーナーに入りローソンは15位、スペンサーは3周の終わりでは首位に立っており、そのまま独走し優勝。ローソンは5周目には5位、7周目には3位に上がるが、終盤、ロシュに抜かれ4位、フェラーリは9位。最速ラップはスペンサー(1分32秒33)。レースではE2が用いられたようだ。
E1 E2 E2
シーズン前公開されたマシン、シーズン後公開されたマシンにはシリンダー-クランクケース間スペーサーはないが、実戦で確認されたクランクケースリードバルブエンジンにはスペーサーがある。写真で最初に確認できるのはアングロアメリカマッチレース(または第3戦スペイン)。スペーサーの厚みは1〜2o程度あり、これは燃焼室容積(及びクランクケース容積)2.46〜4.93ccに相当しポートタイミングも大きく変わる。おそらく、コンロッド長を長くしそれに対応するためにスペーサーを入れたのだろう。第1戦南アフリカに持ち込まれた改良型クランクシャフトと関係があるのだろうか。あるいはクランクケースリードバルブエンジンのみのものなのだろうか。

第8戦オランダGP(バンドレンテ)

 平がオランダGP、ベルギーGPに出場することになった。与えられたのは日本から空輸されたマシン(T)とフェラーリ用F2である。TのスイングアームはE1E2と異なる形状。
 プラクティスはローソンが2分15秒94でポール、以下マモラ、ロシュ、スペンサーと続き平10位、フェラーリ11位。
 レースはスペンサー(NSR500)がリードを奪うが、3周目にエンジン不調になりピットイン、再スタートするがリタイア。首位はマモラでシーン(スズキ)が2位に着けるが、シーンは8周目にリタイア。マモラ、ローソン(E2)、ロシュの首位争いが終盤まで続くが、マモラが優勝、以下、ロシュ、ローソンとなり、大きく遅れハスラム、ガードナー、平(T)。フェラーリは2周でリタイア。最速ラップはローソン(2分15秒75)。
T E2(レース中)

第9戦ベルギーGP(スパフランコルシャン)

 プラクティスはスペンサーが2分31秒66でポール、1秒31遅れてローソン、以下マモラ、ハスラム、ロシュ、フェラーリ、平、ガードナーと続く。下左端の平のマシンはF2で、レースでは第8戦と同様にTが用いられた。
 レースではスペンサー(NS500)が独走で優勝し、2位マモラ、3位ロシュと続き、タイヤトラブルで遅れたローソンが4位、平は6位。フェラーリは6周目に転倒しリタイア。最速ラップはスペンサー(2分32秒78)。ローソンのマシンはE2で後輪18インチ。
F2 E2 E1/T F1
 ベルギーGPの2週間後の7月22日、ラグナ・セカ(アメリカ)で行われたレースにケニー・ロバーツが0W76に乗り出場、優勝した。ロバーツのマシン(左)はステアリングブラケットに「T」と書かれており平が第8、9戦で使用したマシンである。スイングアーム後端及び上部構造に補強が入れられているが、このスイングアームはこのレースで新たに装着されたもので、従来型より20mm程度短縮されたといわれている。後輪は18インチ。

第10戦イギリスGP(シルバーストーン)

 スペンサーはラグナセカ(アメリカ)でのレースで、NSR500に乗り転倒・負傷し、残り3戦を欠場することになった。
 プラクティスはロシュが1分28秒80でポール、以下、Didier de Radigues(NS500エンジン搭載シュバリエ)、ローソン、マモラ(NSR500)、ハスラム、フェラーリと続く。
 レースでは、ハスラム、マモラ(NSR500)が最初のコーナーに飛び込みシーン(スズキ)、de Radigues、マモラ、ローソンと続く。そしてde Radiguesが
2位に上がり、その後ロシュ、マモラ、ローソンが争う。そして8周目にマモラが首位に立ち、ローソン、ハスラム、ロシュ、de Radiguesが続く。1周後、ロシュは後輪ハブが緩みリタイア。17周目からはローソンとマモラの争いが繰り広げられるが、野兎がコースに飛び出し、ローソンの膝に当たった。ローソンのペースは落ち、そのままマモラが優勝、以下、ローソン、ハスラム、フェラーリ。最速ラップはマモラ(1分29秒57)。
 ローソンのポイントは119点でマモラを23点リード、第11戦でマモラが優勝してもローソンは4位入賞すればチャンピオン獲得という形勢である。
 ローソンはE2を使用したが、このスイングアームは現地で短く加工されたもののようだ。
E1 E2(レース中)
第11戦スエーデンGP(アンダーストープ)

 
プラクティスはハスラムが1分38秒80でポール、以下ロシュ、ローソン、マモラと続きフェラーリは10位。
 スタートから予選1〜4位のライダーによる首位争いが繰り広げられるが、ハスラムは10周で水ポンプ故障でリタイア。マモラが首位に立つが、ローソン(右、E1)が首位を奪いリードを広げ出す。そして2周後、マモラのスロットルが固着しリタイア、この時点でローソンの世界選手権獲得が決定した。ローソンは若干ペースダウンし、26周目にロシュに抜かれるが、最終ラップ(30周)、長いストレート終わりの右コーナーでローソンがロシュの内側を奪い、そのまま優勝、世界選手権獲得に花を添えた。2位以下はロシュ、ガードナー、片山敬済(NS500)、McElnea(ヘロンスズキTSR)、フェラーリ。最速ラップはローソン(1分38秒65)。

第12戦(最終戦)サンマリノGP(イモラ)

 プラクティスはロシュが2分3秒18でポール、以下、マモラ(NS500)、ローソン、ハスラム、de Radiguesと続き、フェラーリは13位。
 レースではホンダ勢3人による首位争いが繰り広げられ、マモラが1秒19差でロシュを退け優勝、3位ハスラムで、ローソンは孤独な4位、フェラーリは4周でリタイア。最速ラップはマモラ(2分3秒75)。
 ローソンのマシンはE1(左)で、ラグナセカでロバーツが用いたマシンと同じスイングアームと思われる。おそらく、第10戦から装着されたのだろう。

 1984年、ローソンと0W76が500cc世界選手権を獲得したとはいえ、戦績、ラップタイム/レースタイムを見れば、ホンダのニューマシン・NSR500の不調によるところが多かったことも事実である。しかし、世界選手権を獲得するためには、完走し続けることがいかに重要かが示されたのもこのシーズンだったのである。

ランキング

    SA I E Atr A F Y N B GB S SM Total
1 Lawson 15 12 15 15 12 12 8 10 8 12 15 8 142
2 Mamola - - 12 10 10 10 12 15 12 15 - 15 111
3 Roche 12 10 10 5 6 - 10 12 10 - 12 12 99
4 Spencer - 15 - 12 15 15 15 - 15 - - - 87
5 Haslam - 5 8 8 8 8 6 8 6 10 - 10 77
10 Ferrari - 3 - - 4 - 2 - - 8 5 - 22
16 - - - - - - - 5 5 - - - 10
 
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