第5戦スペインGP

 プラクティスではマイク・ボールドウィン(市販RG500)が1分33.9秒でポール、ロバーツは1分33.9秒で2位、サロンは欠場。
 レースではフェラーリが序盤をリード、ロバーツ(k2)が続く。ボールドウィンはスタートに失敗、追い上げを強いられるが9周目には5位まで上がる。Hartogもスタートに失敗したが追い上げ、10周目にはトップに立ち、しばらくロバーツとのトップ争いが演じられる。23周目にロバーツがトップに立つとそのまま差を広げトップでゴール、2位Hartog、3位ボールドウィン、4位フェラーリだった。シーンはスタートでエンジンがかからず、大きく遅れ、結局10周でリタイアした。

 下はおそらくイタリア、またはスペインで撮影されたK1。シーズン前と異なるシリンダーヘッドの形状がわかる。キャブレターはファネル、フロート室のみマグネシウム合金製。

第6戦ユーゴスラビアGP   

   このレースからセコットが復帰、高井幾次郎(下)も加わった。プラクティスではロバーツは1分50.57秒でポール、サロンが1分53.6秒で8位、セコット、高井は16位以下(順位不明)。

  レースは、Hartogが例によって好スタートしたが、5周目にはロバーツ(K2)がトップに立つ。シーンはマルコ・ルキネリ(市販RG500)の跳ね上げた石に膝を直撃され、リタイア。フェラーリはルキネリの後を走っていたが、ルキネリがリタイアし、前に出る。ロバーツは2位フェラーリへのリードを12秒まで広げるが、フェラーリが少しずつ差を詰める。結局、ロバーツは3.4秒差で優勝、2位フェラーリ、3位ウンチーニ。サロンは7位、セコットは中盤でリタイア、高井は不明。

第7戦オランダGP

 下左はセコットに与えられた2台のマシンの1台だが、フレームが角張っており、アルミ合金製と思われる。本レースでは使用されなかった。プラクティスではロバーツが2分55.9秒でポール、セコットが2分56.4秒で2位、サロンは3分0.1秒で12位、高井は16位以下。下右はおそらく高井の0W45で排気管はB型。前フォークは翌年のTZ500と同じ?
 
  レースではHartogが好スタート、シーン、フェラーリ、van Dulmenと続く。ロバーツ(K2)は彼らの後に続くが、少しずつ遅れだす。後ショックアブソーバーのガスが抜け、初期ストロークでダンピングが全くなくなってしまったのだ。4周目にはフェラーリがHartogを抜き、6周目にはシーンもHartogを抜く。フェラーリはシーンを引き離し始めるが、12周目にはシーンは差を詰め、13周目にはトップに立つ。その後の2人の争いが続くが、フェラーリがシーンを0.1秒差で退け優勝、3位Hartog、ロバーツ8位、サロン9位、高井14位だった。最速ラップはフェラーリの2分54秒5。

第8戦ベルギーGP

 下はセコットの0W45だが、注意してほしいのはエンジンではなく、その上の角張ったアルミ合金製フレームである。

 従来、ベルギーGPが行われたスパ・フランコルシャンは1周14.1kmの公道の高速コースだったが、1979年は公道ではないセクションを造られ距離は6.892kmとなった。しかし、その新設部分が非常に滑りやすく、トップライダー達はその危険性を訴えた。結局、ロバーツ、シーンらはレースをボイコットした。レースそのものは行われ、デニス・アイルランド(市販RG500)が優勝した。
 トップライダー達が残した声明は次のとおり。
"WE THE UNDERSIGNED RIDERS DO NOT PARTICIPATE IN THE BELGIAN GRAND PRIX AT FRANCORCHAMPS ON JULY 1 1979 BECAUSE WE DO NOT CONSIDER THE TRACK SURAFACE TO BE SAFE."

第9戦スエーデンGP

 プラクティスではロバーツが1分21.01秒でポール、セコットは1分22秒178秒で7位、高井が1分22.545秒で8位,サロンは16位以下。
 レースではフィリップ・クロン(市販RG500)がリードを奪い、4周にわたってトップに立つ。Hartog、ロバーツが続くが、Hartogは5周目にクロンを抜く。その間、スタートで遅れたシーンはロバーツに迫る。2周後にはロバーツを抜き、クロンに接近する。17周目にはシーンはクロンを抜き、19周目にはHartogが転倒、シーンがトップに立つ。ロバーツは再び後ショックが劣化し遅れ出す。クロンは28周目に転倒、ロバーツは2位に上がるが、ジャック・ミドルブルフi(市販RG500)、van Dulmenに抜かれる。レースはそのままシーン、ミドルブルフ、van Dulmen、ロバーツの順でゴール、高井8位、サロン9位だった。セコットは10周目にリタイア。

第10戦フィンランドGP

 プラクティスではvan Dulmenが1分53.7秒でポール(計時ミス?)、ロバーツは1分55秒6秒で2位、セコットが1分56.2秒で4位、サロンは1分56.6で6位。
 レースではところどころウェットの状態でスタート、van Dulmenが序盤からリードを奪う。Hartog、ロバーツ(K1)、シーンと続くが、3周目の終わりにシーンがロバーツを抜く。4周目にロバーツがコースアウト、復帰するが大きく遅れる。結局、van Dulmenがそのまま初優勝、ランディ・マモラ(市販RG500)が2位、3位シーン、サロン5位、ロバーツ6位、セコット7位だった。最速ラップはミドルブルフの1分57秒0。
 このレースの結果、メーカー選手権はスズキのものとなった。

第11戦イギリスGP

  プラクティスではロバーツが1分29.81秒でポール、セコットが1分30.72秒で2位、高井が1分31秒77秒で6位、サロンが1分31.97で7位。なお、ロバーツもアルミフレーム仕様を試みたようだが写真でははっきりしない。
 下左端はプラクティス中のK2。下左はK1でャブレターは全アルミ合金製。排気管はA型。下右はK1の後ブレーキマスターシリンダー−キャリパー間に設けられたブレーキ圧制御?装置。下右端は井の0W45。フィンランドGPの車検のステッカーが貼られたまま。

 レース前のウォームアップラップから帰って来たロバーツの0W45(K2)からギアオイルが漏れていた。シフトシャフトのオイルシールが落ちたのだ。あわてて、オイルシールがはめ込まれ、漏れたオイルが拭き取られ何とかスタートに間に合った。レースはHartogが好スタート、9周余りリードを奪う。10周目にロバーツがトップに立つが、後続を引き離せない。シーンが14周目にトップに立ち、5、6周にわたって2人がトップを争う。そして終盤に入るとペースが落ちる。高速コースなので誰も前を走りたくないのだ。そして最終ラップに入る頃、2人の前に周回遅れが現れ、内側を選んだロバーツが外側を選んだシーンからリードを奪う。しかし、シーンもこの遅れを挽回し、最終コーナー手前は15メートルにまで迫る。ロバーツは内側のラインを通常よりゆっくりコーナーに進入、シーンは外側のラインを選んだ。そしてロバーツはシーンに迫られるが、コーナーの後半に入ると外側を選んだシーンにはもう加速する場所はなく、ロバーツが半車差で優勝した。3位Hartog、4位フェラーリ、サロン6位、高井は2周目に転倒、リタイア。
 この結果、ロバーツがランキング2位のフェラーリに14点差を付け世界チャンピオンに王手をかけた。仮に最終戦、フェラーリが優勝してもロバーツは10位に入れば同点、優勝回数の差でロバーツがチャンピオンになるという形勢である。

第12戦フランスGP

 プラクティスは、ロバーツが1分38.13秒でポール、フェラーリが1分38.43秒で2位、セコットが1分38.46秒で3位、サロンは1分39.68秒で9位。
 レースではHartogが例によって好スタート、シーン、フェラーリ、ロバーツ(K2)、マモラと続く。5周目、フェラーリがトップに立ち、6周目にはシーンもHartogを抜く。10周目シーンがリードを奪う。フェラーリはコースアウト、8位で復帰し追い上げるが13周目に転倒、リタイア。ロバーツは18周目にトップに立ち、マモラも2位に上がり、19周目にはマモラがトップに立つ。Hartogはクランク・メインベアリング破損でリタイア。マモラは4周にわたってリードするが残り4周となってロバーツがトップに立ち、シーンも2位に上がり、そのまま最終ラップに入る。しかし、ロバーツは目の前の周回遅れの転倒でコースアウトし大きく遅れ、レースはシーンが優勝、マモラ2位、ロバーツ3位、セコット5位、ロバーツの2年連続世界チャンピオンが決定した。

 ヤマハ0W45はメーカー選手権を獲得することはできなかったが、より重要な個人タイトルをロバーツにもたらした。そしてそのレプリカともいえる市販レーサーTZ500が翌80年に発売され、ヤマハ2ストローク並列4気筒の優勢はより強化されるのではないかと思われた。結局、ヤマハも1981年にスクエア4気筒の0W54を登場させたので、ヤマハも遅くとも1980年の始めには並列4気筒+ピストンバルブの限界を感じていたのだろう。しかし、ヤマハ並列4気筒+ロバーツの栄光はさらに1年続くこととなった。

                                                            
備考 高井幾次郎の0W45

 故高井幾次郎が1979年に世界GPで乗った0W45について「市販レーサーTZ500プロト」と当時の雑誌等によく書かれている。

 1980年に市販されたTZ500は0W45にかなり近い仕様だった。大きな違いはパワーバルブ作動機構、前フォーク、後ショックユニットなどである。なお、1980年のヤマハ0W48のクランクケースはTZ500のものを使用しているようだ。従って、高井が乗ったマシンを外観から0W45なのかTZ500プロトタイプなのか区別するのは困難ではある。
 しかし、イギリスGPでの高井の0W45のフレームはアルミ合金製のようだ。また、オランダGP時の写真ではエンジンはパワーバルブ作動機構を含めて(翌年のTZ500は機械式、0W45は電子式制御式)0W45そのもので、前フォークは翌年のTZ500のものによく似ている。

 このようなことから、高井幾次郎が乗ったマシンはTZ500のプロトタイプというよりも0W45そのものであると考えられる。そして、0W45を使用して様々なテストが行われ、そのテストの中にはTZ500用パーツもあっただけなのだろう。

最終ランキング

  V Atr A I E Y N B S Fin GB F Total 順位
Roberts - 15 12 15 15 15 3 - 8 5 15 10 113 1
Ferrari 12 12 10 12 8 12 15 - - - 8 - 89 2
Sheene 15 - - 8 - - 12 - 15 10 12 15 87 3
Sarron 4 - 3 - - 4 2 - 2 6 5 - 26 11
Cecotto - - - - - - - - - 4 - 6 10 19
その1 MENU 0W48