第5戦スペインGP
第6戦ユーゴスラビアGP
第7戦オランダGP
第8戦ベルギーGP
左はセコットの0W45だが、注意してほしいのはエンジンではなく、その上の角張ったアルミ合金製フレームである。
レースは大きな禍根を残す結果となった。従来、ベルギーGPの行われるスパ・フランコルシャンは1周14.1kmの公道の高速コースだったが、公道ではないセクションを造り距離は6.892kmとなった。しかし、その新設部分が非常に滑りやすく、トップライダー達はその危険性を訴えた。結局、ロバーツ、シーンらはレースをボイコットした。レースそのものは行われ、Deninis
Ireland(市販RG)が優勝した。
トップライダー達が残した声明は次のとおり。
"WE THE UNDERSIGNED RIDERS DO NOT PARTICIPATE IN THE BELGIAN GRAND PRIX AT
FRANCORCHAMPS ON JULY 1 1979 BECAUSE WE DO NOT CONSIDER THE TRACK SURAFACE TO
BE SAFE."
第9戦スエーデンGP
プラクティスではロバーツが1分21秒01でポール、セコットは1分22秒178で7位、高井が1分22秒545で8位,サロンは16位以下。レースではPhilippe
Coulon(市販RG)がリードを奪い、4周にわたってトップに立つ。Hartog、ロバーツが続くが、Hartogは5周目にCoulonを抜く。その間、スタートで遅れたシーンはロバーツに迫る。2周後にはロバーツを抜き、Coulonに接近する。17周目にはシーンはCoulonを抜き、19周目にはHartogが転倒、シーンがトップに立つ。ロバーツは再び後ショックが劣化し遅れ出す。Coulonは28周目に転倒、ロバーツは2位に上がるが、Jack
Middelburg(市販RG)、van
Dulmenに抜かれる。レースはそのままシーン、Middelburg、van Dulmen、ロバーツの順でゴール、高井8位、サロン9位だった。セコットは10周目にリタイア。
左はプラクティス中のK1で排気管はA型。
第10戦フィンランドGP
第11戦イギリスGP
プラクティスではロバーツが1分29秒81でポール、セコットが1分30秒72で2位、高井が1分31秒77で6位、サロンが1分31秒97で7位。なお、ロバーツはアルミフレーム仕様も試みたようだが写真でははっきりしない。 レース前のウォームアップラップから帰って来たロバーツの0W45からギアオイルが漏れていた。シフトシャフトのオイルシールが落ちたのだ。あわてて、オイルシールがはめ込まれ、漏れたオイルが拭き取られ何とかスタートに間に合った。レースはHartogが好スタート、9周余りリードを奪う。10周目にロバーツがトップに立つが、後続を引き離せない。シーンが14周目にトップに立ち、5、6周にわたって2人がトップを争う。そして終盤に入るとペースが落ちる。高速コースなので誰も前を走りたくないのだ。そして最終ラップに入る頃、2人の前に周回遅れが現れ、内側を選んだロバーツが外側を選んだシーンからリードを奪う。しかし、シーンもこの遅れを挽回し、最終コーナー手前は15メートルにまで迫る。ロバーツは内側のラインを通常よりゆっくりコーナーに進入、シーンは外側のラインを選んだ。そしてロバーツはシーンに迫られるが、コーナーの後半に入ると外側を選んだシーンにはもう加速する場所はなく、ロバーツが半車差で優勝した。3位Hartog、4位フェラーリ、サロン6位、高井は2周目に転倒、リタイア。最速ラップはシーンの1分29秒98。 この結果、ロバーツがランキング2位のフェラーリに14点差を付け世界チャンピオンに王手をかけた。仮に最終戦、フェラーリが優勝してもロバーツは10位に入れば同点、優勝回数の差でロバーツがチャンピオンになるという形勢である。 |
ピットでのK1。キャブレターは 全アルミ合金製。排気管はA型。 |
K1の後ブレーキマスターシリ ンダー−キャリパー間に設け られたブレーキ圧制御?装置。 |
高井の0W45。フィンランドGPの 車検のステッカーが貼られたまま。 |
第12戦フランスGP
ヤマハ0W45はメーカー選手権を獲得することはできなかったが、より重要な個人タイトルをロバーツにもたらした。そしてそのレプリカともいえる市販レーサーTZ500が翌80年に発売され、ヤマハ2ストローク並列4気筒の優勢はより強化されるのではないかと思われた。結局、ヤマハも1981年にスクエア4気筒の0W54を登場させたので、ヤマハも遅くとも1980年の始めには並列4気筒+ピストンバルブの限界を感じていたのだろう。しかし、ヤマハ並列4気筒+ロバーツの栄光はさらに1年続くこととなった。
備考 高井幾次郎の0W45
故高井幾次郎が1979年に世界GPで乗った0W45について「市販レーサーTZ500プロト」と当時の雑誌等によく書かれている。
1980年に市販されたTZ500は0W45にかなり近い仕様だった。大きな違いはパワーバルブ作動機構、前フォーク、後ショックユニットなどである。なお、1980年のヤマハ0W48のクランクケースはTZ500のものを使用しているようだ。従って、高井が乗ったマシンを外観から0W45なのかTZ500プロトタイプなのか区別するのは困難ではある。
しかし、イギリスGPでの高井の0W45のフレームはアルミ合金製のようだ。また、オランダGP時の写真ではエンジンはパワーバルブ作動機構を含めて(翌年のTZ500は機械式、0W45は電子式制御式)0W45そのもので、前フォークは翌年のTZ500のものによく似ている。
このようなことから、高井幾次郎が乗ったマシンはTZ500のプロトタイプというよりも0W45そのものであると考えられる。そして、0W45を使用して様々なテストが行われ、そのテストの中にはTZ500用パーツもあっただけなのだろう。
最終ランキング
V | Atr | A | I | E | Y | N | B | S | Fin | GB | F | Total | 順位 | |
Roberts | - | 15 | 12 | 15 | 15 | 15 | 3 | - | 8 | 5 | 15 | 10 | 113 | 1 |
Ferrari | 12 | 12 | 10 | 12 | 8 | 12 | 15 | - | - | - | 8 | - | 89 | 2 |
Sheene | 15 | - | - | 8 | - | - | 12 | - | 15 | 10 | 12 | 15 | 87 | 3 |
Sarron | 4 | - | 3 | - | - | 4 | 2 | - | 2 | 6 | 5 | - | 26 | 11 |
Cecotto | - | - | - | - | - | - | - | - | - | 4 | - | 6 | 10 | 19 |