3 0W35/0W35Kの変化 (1) 排気サイレンサー |
左はオランダGPでのパワーバルブ無と思われるマシンで、突き出しはない。 右は同じオランダGPでのパワーバルブ仕様と思われるマシンで、突き出しはない。 突き出しの有無はパワーバルブの有無とは関係ないと思われる。実戦で使用されたマシンは突き出し有が多いようだが、コースによってサイレンサー、あるいはサイレンサー+排気管を使い分けしていたようだ。 |
(2) 前ブレーキキャリパー等
左はシーズン前公開された1977年型0W35で、前ブレーキキャリパーは、1976年型0W31(YZR750)で既に使用され、1977年型750㏄市販レーサー・TZ750で標準装備されたものと同じようだ。
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(3) 前フォークのエアバルブ 1978年、セコットの0W35Kの前フォーク頂部にエアバルブが装着されることが多かった。右はイギリスGPでのセコットの0W35Kで、前フォーク頂部にエアバルブが装着されている。 片山の0W35Kに装着している例もあるが、片山はエアバルブ仕様を好まなかったようだ。ロバーツはエアバルブ仕様を好まなかったと思われる。 (4) 後サスペンションアーム 1978年型からアルミ合金製になった。 |
4 その他特記事項
(1) ロバーツがセコットのマシンに乗る
1978年シーズン当初、セコットには2台のマシンが与えられ、片山、ロバーツには1台しか与えられなかった。ロバーツには第10戦イギリスから2台体制になったが、片山は?
さて、ロバーツは第7戦ベルギーのプラクティスでセコットのマシン(カラーリングもヤマハカラーそのまま)に乗ったことが知られている。このことについて、RACERS Volume
02(2009三栄書房)では、その写真と共に次のような説明がある。
「~初めて走る苦手の公道コース、しかもウェット路面という悪コンディションの予選で転倒、Tカーのない彼は、同じ0W35Kに乗るチェコットのマシンを借りて予選通過を果した」
MOTORCOURSE1978-79(Hazleton 1979)では次のとおり。
The day before the race, the rain stopped and was replaced by a warm sun.
Seizures had been the fashionable problem during the earlier practice and on the
Saturday they set in with a
vengeance. Roberts's 250 seized, and then his 500, after one lap of the final
practice.~~~Roberts was out on the track, on Cecotto's spare bike.
つまり、晴の最終プラクティス1周目でエンジンが焼き付いてしまったために、セコットのマシンにも乗ったとのこと。これからすると、RACERSの記述は誤りということになる。
さて、セコットに与えられた2台のマシンには、2台のマシンを区別するための印がつけられており、ロバーツが乗ったのは1号車。セコットが乾燥路面のプラクティスで1号車に乗った写真(おそらく最終プラクティスの前のプラクティス)もある。
なお、セコットはレースで2号車に乗った。
また、本来、セコットのマシンのタイヤはミシュラン、ロバーツのマシンはグッドイヤーだが、次の理由からロバーツが乗ったセコットのマシンはミシュランのままだったと考える。
〇後タイヤのハイトが大きくミシュランに見える。写真はこちら(リンク)。
〇セコットの0W35Kは前5本スポーク(カンパニョーロ)、後7本スポーク(モーリス)を装着することが多く、通常、ロバーツの0W35Kは前後7本スポーク(モーリス)だったが、ロバーツが乗ったセコットのマシンは、前5本スポーク、後7本スポーク。
MOTOCOURSEの記述からすると、金曜日のプラクティスは雨、土曜日のプラクティスは晴れだった。ロバーツが土曜日1回目のプラクティスで十分なタイムを出しているなら、2回目(最終)でセコットのミシュランタイヤ装着の、つまり乗りなれてないセコットのマシンに数周乗る必要はないと思える。
また、レース本番では本来のロバーツのマシン+グットイヤーで走るのだから、ミシュランタイヤを履いて走ったとしても、本来のマシンのセッティングの参考になるとも思えない。
考えられることは
ケース1
土曜日1回目のプラクティスで、ロバーツが転倒かマシントラブルで、クオリファイされるタイムが出せなかった。あるいはかなり低順位のタイムしか出せなかった。RACERSの記述はこのことを指しているのかもしれない。
ケース2
土曜日1回目のプラクティス、晴れたとはいえ路面のあちこちが湿った状態だったため、クオリファイされるタイムが出せなかった。あるいはかなり低順位のタイムしか出せなかった。どちらにしても、ロバーツにとって切羽詰まった状況だったようだ。
(2) 高井幾次郎選手の参戦
高井幾次郎選手が1978年スペインGPに参戦したことにほとんど触れられることがない。ヤマハのWGP参戦50周年記念サイト中の1978年の頁にも高井選手の名前はない。
1978年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
まず、別冊モーターサイクリスト79-8の記事を紹介する。
「昨年(注:1978年)も、ヨーロッパへ今年を同じような目的で飛んだが、転倒によるケガのため、その結果は不振に終わった。初戦、フランス・イモラ(注:イモラはポールリカールの誤り。4月9日開催のMOTO
JOUNAL
200)での750㏄世界選手権は4位とまずまずの出足だったものの、スペインでのGP500では先行するマシンの転倒に巻き込まれ転倒骨折、すぐにベルギーに戻って手術。予定されたオーストリアGP500は観戦。続くフランスでのGP500は手術の糸が取れないまま練習開始したが再び転倒、イタリアでのGP500はケガの治らないうちに走り出したものの、手が満足に上がらない状態だったために、ドクターストップ」
ライダースクラブ78-7中、スペインGPの記事では
「~高井が周遅れのマシンと接触転倒してしまい、鎖骨を折ってしまったのだ。惜しいことに、スタートで出遅れた高井が、やっとチェコット、シーン、ベーカーのセカンド・グループに追いついた直後の出来事だったのである」
2誌の記述が異なっている。
このレース、0W35Kに乗るロバーツ、セコット、片山、スズキXR22に乗るシーン、ヘネン、XR14に乗るベーカー、何れも完走しているので、ライダースクラブ誌の記述が正しいと思われる。
なお、高井はスペインGPプラクティスでシーンに0.1秒遅れの6位だった。
スペインGPでの転倒がなかったらどんな結果になったのかと思わざるを得ない。
5 現存するマシン 1978年シーズン当初、割り振られたフレーム番号が セコット用 801、802 とするなら、807は1978年イギリスGPでロバーツに与えられた2台目のマシンということになる? |
0W35-E-811/0W35-B-807 |