クランクケース減圧

 競技用4ストロークエンジンではクランクケース内ガス圧力(以下「ガス圧」)を低下させることで、クランクケース内ポンプ損失(以下「ポンプ損失」)を減少させることが通例となっている。ここでは誤謬を恐れず、ガス圧低下によるポンプ損失削減の要因等と実例について考えてみた。

1 ポンプ損失の要因等

(1)圧縮履歴損失

 
ピストン下降によるガス圧上昇は「発熱反応」でピストン上昇によるガス圧低下は「吸熱反応」である。例えば、ピストン下降時にガス温度が上昇しその熱がクランクケースから外気に逃げれば、本来の(熱が逃げない場合の)ガス圧に達せず、ピストン下降時にガスが吸収したエネルギーをピストン上昇時に全量回収できない。

(2)移動損失

 
右図はこちらのページで公開したもので、MOTO-GPエンジンのピストン下容積変化(推定値)を示している。縦軸は全ピストンが上死点にあるというありえない想定なので、各エンジンのそれぞれの変化量に意味がある。凡例のエンジンの点火間隔は次のとおり。

・〜2004ZX-RR   :180度等間隔(4気筒)
・2004YZR-M1推定 :270-180-90-180度 or 180-270-180-90度
・D16-GP推定       :270-180-270-180度
・RC211V             :284.5-75.5-104.5-180-75.5度


  180度等間隔点火4気筒エンジンではピストン下容積があまり変化しないが、例えば、両外側のピストンが下降行程にあるとき、そのピストン下のガスが内側2気筒(上昇行程)のピストン下に移動するが、通路が限られているため、両外側ピストン下のガスが圧縮(抵抗成分)され、

通路を通り、内側2気筒のピストン下に移動するが、移動が遅れるため内側ピストン(上昇行程)下の圧力は低くなり抵抗になる。そして移動が進んだ時には内側ピストンが下降を始めており、抵抗になる。また、(1)の損失も一部生じる。

 単気筒エンジンでも同様に、ピストン下と変速機ギア室の間でガスの移動があり、通路が限られるため、ピストン下のガスが圧縮され、ピストンが上昇する時には、変速機ギア室のガスがピストン下に移動するのが遅れ、ピストン下が陰圧になり抵抗になる
   

(3)固有振動損失

 
ガスに圧力変化を与えればガス圧の振動が起きる。右図はマツダの特許出願資料(「エンジンのポンピングロス低減装置」1991年8月29日出願)で、ガス圧によってポンプ損失がどう変化するか、回転数毎に示したもの(縦軸のポンプ損失は比率)。特定のガス圧でポンプ損失が低下する理由として、マツダは次のことを挙げている。

○回転数により、ガスの固有振動のガス圧上昇時期とピストン下降時期が重なると、ポンプ損失が増大する。

○ガス圧を低下させるとその固有振動数が小さくなる。固有振動数と回転数が一致し、固有振動のガス圧低下時期とピストン下降時期が重なるとポンプ損失が低下する。

 
 右図はトヨタの特許出願資料(「内燃機関」2006年6月26日出願)で、各クランク室連通路を可変とした場合、回転数によりポンピングロスが変化することを示している。
 これは連通路開度により固有振動数が変化するためと考えられる。

 ただし、十分な連通路開度を与えれば、(乗用車エンジンの回転数では)、開度の影響は小さくなる。


(4) 空気抵抗損失

 
例えば、エンジンのストロークを40mm、回転数15000rpmとすると、クランクピンの周速は次のようになり、クランクの空気抵抗上、無視できない速度である。

 3.6×40×円周率×15000/(60×1000)=113km/h

 ただ、狭い空間での回転であり、ガスも回転するので、単純に「時速113km」と考える程には空気抵抗は大きくない



 これらの抵抗は、ガス圧低下により、(1)〜(3)はガスの分子数密度が、(4)がガス質量密度が低下することにより、基本的に抵抗が減少する(固有振動数のマッチングの課題を除く)。

 なお、(2)、(3)のような問題が発生するエンジン構造上の理由として、次のことが考えられる。

(ア)ウェットサンプ潤滑で各気筒の潤滑油を回収するためには、各気筒のピストン下の空間が繋がっている必要がある。このために(2)移動損失を生じる。各室間の通路を拡大しても移動損失は解消されない。また、ドライサンプエンジンでも、最小限のオイル通路が必要。

(イ)各室間が繋がることにより、ガス固有振動数が変化し(3)固有振動数損失を生じる。

(ウ)バイク用エンジンでは一般にクランクケースとギアボックスが一体構造で、オイルサンプも共通(両室が繋がっている)のため、(2)移動損失低下要因になる。また、回転数によっては(3)固有振動損失に悪影響を及ぼす。

2 RC211V

 ホンダRC211V(990cc75.5度V型5気筒)はクランクピンが3本あるが、各ピンごとにクランク室が閉鎖されており、1-(2)移動損失を減らしている。また、クランク室容積減少により1-(3)固有振動数抵抗も改善している可能性がある。

 各室間のオイル通路をなくすために各室1個のオイルポンプを設けられており、このオイルポンプがオイルを素早く排出しオイル攪拌抵抗を減らすと同時に、エンジン運転中に常時70kPa(注:0.7気圧)程度の負圧を発生させている。

 この結果、2002年型RC211Vの最高出力は4%向上したとされる(エンジンテクノロジーVol.06 No.2(2003山海堂))が、「4%向上」の対照となる潤滑方式が分らないので、参考程度にされたい。

 右図はホンダの特許出願資料(「エンジンの潤滑装置」2003年12月16日出願)で、図中25、38あたりがオイルポンプのある位置である。

参考 1992年のホンダRA122E(3.5リッター75度V型12気筒)では4個の排出用トロコイド式オイルポンプを備え、オイルを排出すると同時にガス圧を大気圧に対して30%下げている。その結果、14000rpm時に2%の出力向上を得たという(「勝利のエンジン50選」(2004ニ玄社))。

 

3 YZR-M1(2004以降)
 ヤマハYZR-M1エンジンは並列4気筒であり、各クランク室を閉鎖しオイルポンプを設けるなら4個のオイルポンプが必要になり、その損失が無視できない。 このため、YZR-M1では一般的な並列4気筒と同様、各クランク室は閉鎖されていない。

 下左図はヤマハの特許出願資料(「並列多気筒4サイクルエンジン及び鞍乗形車両」2004年10月27日出願)で、2005年型YZR-M1のものと思われるが、ロアークランクケース上面のメインベアリングの前が開いている。
 
 さて、YZR-M1は排気流速による減圧機構を採用している。

 右写真は2006年型YZR-M1エンジン(エンジン番号YZR-M1-E-0626)で、シリンダヘッド上部後方から2本の細いパイプが排気管装着部に伸びている。このパイプは排気流速及び排気脈動によりクランク室ガスを吸引するものだが、4番気筒(向かって左)に伸びるパイプが湾曲しており、1番気筒(向かって右)に伸びるパイプとほぼ同じ長さになっている。

 パイプをわざわざ長く湾曲させているのは、この減圧機構が連続減圧ではなく断続減圧であり、この脈動がポンプ損失に影響するためだろう。

 右写真は同エンジンで、クランクケース下端が半円筒形状になっており左端に蓋(矢印)がある。この半円筒形状部分がオイル流路のようだが、一般的な並列4気筒エンジンでは、1・4番気筒と2・3番気筒のクランクピンが180度異なる位置にあり、1-2番気筒間、3-4番気筒間のガス移動量が大きく、オイルが逆流することも考えられる。しかし、YZR-M1では、1・4番気筒と2・3番気筒のクランクピンのずれはそれぞれ90度であり、各気筒間ガス移動量はそれほど大きくはなく、これでもオイルは中央部に集まるのだろう。

 なお、2007年以降のYZR-M1も排気流速による減圧機構が装着されているが、ガスを吸引する場所が、2005-06型ではギアボックス上部中央だったものが、2007年型以降ではギアボックス上部前端になっている。潤滑方式が2005-06年当時から変更され、クランク室とオイルパン・変速機ギア室を区分し、クランク室専用のオイル排出ポンプを装着している可能性がある。

備考

1 1-(3)右の図の縦軸が「全装備抵抗(レシオ)」となっているが、資料説明ではポンプ損失の比率となっている。そもそも何に対する比率なのだろうか。2リッターエンジンの全摩擦抵抗(ポンプ損失を含む)トルク(kgf・m)かもしれない。

2 ガス圧が低下すればオイルの気化量が増加するが、沸騰する程ではない。右図はパラフィン系炭化水素(炭素数n=20〜30)の温度と飽和蒸気圧の関係(「エンジン燃焼室壁面における潤滑油蒸発量の予測」(2008宇都宮大学紀要)で、縦軸は10-4〜106Paで横軸は℃。104Pa(0.1気圧)まで減圧しても(炭素数20〜30パラフィンでは)沸点は250度以上あり、レーシングエンジンで想定される局部温度を上回っている。

3 排気流速を利用した減圧機構は、排気の廃エネルギーを利用するので、この減圧機構そのものの損失はないと考えている人がいる。「損失」の定義にもよるが、ガスを減圧するためにはエネルギーが必要であり、その分だけ排気流速が低下する。従って、排気効率が低下し、その分だけIMEP(図示平均有効圧)が低下する。IMEPは実測される数値である。
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