昔の鈴鹿サーキット

 私が初めて鈴鹿サーキットに行ったのは1978年7月、鈴鹿8時間耐久レースの時だった。ここではその頃の風景と近年の風景(google)とを比較してみる。
 文章の下の写真が昔のもの、その下の写真が近年のもの。なお、こちらに最近の詳しい写真があるので参考されたい。
【完全/最新版】鈴鹿サーキットの攻略ガイド!観戦&撮影ポイントまとめ。〔りゅー。のレースラボ - Vol.57〕 - りゅー。のモタスポ漂流記 (hatenablog.com)

 下左は1978年8耐公式予選中のヘアピンカーブでライダーはジャン・クロード・シュマラン(ホンダRCB)、下右はレース中のヘアピンカーブ。ライダーはウェス・クーリー(ヨシムラ・スズキ)とグレーム・クロスビー(モリワキ・カワサキ)。緑は多いし、観客席は整備されていない。

 下左、下右は1979年日本GP公式予選(土曜日)のヘアピンカーブで、下左のライダーは木山賢吾(ホンダRS1000)。下左にあった観客席は縮小され、奥の木々は伐採され小さなスタンドが設置された。ヘアピン出口側もきれいに伐採され大きなスタンドが設置された。そして、ヘアピン内側・外側のエスケープゾーンが拡大された。1981年8耐レース中、ジョイ・ダンロップ(ホンダRS1000)がヘアピン手前の110Rで転倒、ガードレール近くまでまで吹っ飛んできた(その後、再スタート)のを思い出す。


 この写真は【完全/最新版】鈴鹿サーキットの攻略ガイド!観戦&撮影ポイントまとめ。〔りゅー。のレースラボ - Vol.57〕 - りゅー。のモタスポ漂流記 (hatenablog.com)から引用。

 
 1978年8耐レース中の最終コーナーでのシュマラン(ホンダRCB)。コース外側のエスケープゾーンが拡大され、コース内側の斜面が整備されて駐車スペースになっている。




 
 1978年8耐レース中、最終コーナー出口からメインストレートを見る。緑が多く見通しがよかった。



  下左は1979年日本GP国際A750/350のスタート。この年からコントロールタワーに「OMEGA」の広告が入った。スタンド前のフェンス高は低く、マシン/ライダーがよく見えた。ダンロップブリッジを抜けるマシン/ライダーもよく見えた。手前の赤い看板はピットに渡る地下通路の入口を示すもの。
 下右は1979年鈴鹿8時間耐久、先頭はグレーム・クロスビー(モリワキ・カワサキ1000)で、2周目に入るところだろうか。シケインのない最終コーナーから姿を現すライダー/マシンは美しかった。


  下左は1979年鈴鹿8時間耐久のスタート、下右は1979年日本GP国際A750/350のスタート。

 1979年日本GP国際A125予選、逆バンクを出て左に切り返したところで、ライダーは江崎正(ヤマハYZR125(0W37))。小山は削られ緑も無くなり、エスケープゾーンは拡大された。1979年8耐の予選日(土曜日)、私が見ていた場所にCB750(SOHC)に乗った人が入って来た。公道からの進入ゲートの管理が悪かったのか、それとも・・・

 下は1979年のグランドスタンド下端。椅子は新しくなったが、スタンド下のコンクリート壁は昔のままなのか?

  私が最初に鈴鹿に行った頃から40年以上が経ったのだから、この程度の変化は当然だろう、むしろ、コースレイアウトがあまり変化していないからこそ、上のような比較ができるのである。最初にこのコースレイアウトを定めた人に感謝したい。

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