鈴鹿サーキットコース案の変化
図1〜図6と1966年8月4日撮影航空写(完成4年後)を対比した。各コース案が完成後のどの部分に位置するかは(最終案(図6)を除き)不明確なので、あくまで参考としてご覧いただきたい。
1960年8月26日(原案、図1)
1961年1月16日(塩崎等の視察チーム帰国後、図2)
1961年1月27日(フーゲンホルツ案、図3)
1961年5月29日(図4)
1961年7月8日(図5)
1962年1月15日(最終案、図6)
鈴鹿サーキット用地は丘陵地であること、ため池があることからコースレイアウトに制約があり、例えばヘアピンカーブはヘアピンカーブにしかならない地形だということ、S字周辺、スプーンカーブもため池を避ける位置にならざるを得なかったことが分る。ため池は地元の農業用水というだけでなくサーキットの雨水調整池としての役割があったので、当時は埋めることはできなかったのだろう。
ただ、図2、図3ではスプーンカーブ付近のため池(丸竹池)を埋めることが前提になっている。
鈴鹿サーキットの設計者は誰? | |