ニベーレ(Nivelles-Baulers)
フーゲンホルツが設計したとされるサーキットにベルギーのニベーレ(Nivelles-Baulers)がある。2輪では1976年と1978年にF750レースが行われ、1976年はゲーリー・ニクソン(カワサキKR750)、1978年はジョニー・セコット(ヤマハ0W31)が優勝した。
このコースはフーゲンホルツ、Roger Caignie(どちらが主なのかは不明)により設計されたとされるコースレイアウトと、完成したサーキットのコースレイアウトが大きく異なっていたことが知られている。
さて、中島のXに1969年1月22日付フーゲンホルツのサイン入りのコース図がある。
下図は1969年3月14日付のコース図で、ホームストレート右にあったショートカットは消えている。パドックエリアが拡大されたためにインフィールドも少し変更された。この変更の設計者が誰なのかは分らない。
F-1用としては矢印のコースが予定されており、コース長は1/22付けの図と同じなら5.9kmである。引用元の図では周辺エリアの用途割についても記載されている。
https://www.racingcircuits.inurope/belgium/nivelles-baulers.html
から引用加筆。
これは小変更だったが、着工が遅れ1971年に完成したコースは下図のとおりで、これらの案と大きく異なったものになった(3.7km)。
この図と3/14付けの図を重ねると下図になる。
3/14付けの図のショートカットコースと比べてもコースレイアウトは大きく変更された。また、パドックの位置が右に移動している。1/22付の図ではホームストレート長は1.2kmで3/14付の図も同じだろうが、完成後は約1.0kmである。
3/14付の図からすれば別のサーキットといってもいいだろう。この変更設計を誰が行ったのかは分らないし、3/14付の図すらフーゲンホルツがどの程度関与したのかも分らない※。
1/22付の図のコースの直線部分が完成後に残っていることから「フーゲンホルツがコースレイアウト設計に関与した」ことは間違いないが、現時点では「フーゲンホルツが完成後のニベーレのコースレイアウトを設計した」とは判断できない。
※次例のように様々な可能性がある。 〇1/22付の図の作成責任者がフーゲンホルツだとしても、その一段階前の図があり、その作成責任者がフーゲンホルツではない可能性 〇3/14付の図の作成責任者がフーゲンホルツではない可能性 |
鈴鹿サーキットの設計者は誰? | |