ヤマハWGP参戦50周年記念サイト
2011年に公開されたこのサイトだが、幾つかの誤りはすぐに修正されたものの多くの誤りが放置されたままだったので、2011年10月に本頁を公開した。その後、ヤマハが頁を移動したので本頁のリンクがリンク切れとなっていたので、リンクを修正し、若干、加筆して公開する。
さらっと読んで、疑問に感じた箇所のみを示したので、他にも間違いがあるだろう。
なお、既に修正済であれば、ご容赦いただきたい。
RACE ARCHIVES https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/
1961年 1961年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 野口種晴の写真についてRD48との説明があるが、RA41の誤り。野口は250ccTTに出場していない。出場者リスト(125cc、250cc)を見なくても、ゼッケンの地色の濃さで125tであることが一目瞭然なのだが。 |
1964年 https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/season1960_69/1964/
「アイルランド」では「アイルランド共和国」と誤解される。アルスターGPは「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」の一部である北アイルランドの一地方のアルスターで行われる。 125tクラスの記述では、西ドイツGPに参戦したことが忘れられている。 |
1965年 https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/season1960_69/1965/ アイビーのマシンがRD05になっている。日本GPではRD05に乗ったが、マン島ではRD56に乗った。 |
1966年 1966年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「(125tフィンランドGP)観客総立ちとなるがコンマ1秒差でヤマハのリードが逃げ切った」とあるが、公式記録では両者とも56分40.6秒でタイム差なし。ゴール時と思われる写真はこちら。 マイク・ダフはRD05に乗っていない。RD56、RA97のみ。 本橋明泰の250tマシンはRD05AでもRD05でもなくRD56。こちらの頁を参照 |
1968年 1968年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
「125ccは単気筒、250cc以下は2気筒、ミッションは6速という新競技規則を発表した」の「125ccは単気筒」は「125ccは2気筒」の誤り。また、「125cc」に「以下」がないのに、「250cc以下」と書かれると50cc、125ccを含むように読める。
250tタイトル決定方法について「両選手の完走全レースの所要時間の合計を比較」とあるが、「同時完走全レース」の誤り。 |
1969年
1969年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「(250tクラス)ここで旧型のファクトリーマシン2気筒を駆り出場したリードは」 当時の雑誌にもこのような記述があるが、市販レーサーTD2の誤り。 「ここでアンダーソンが優勝すれば、市販レーサーによる世界チャンピオン誕生となるレースだったが」 アンダーソンとカラザースは82点同点だった。アンダーソンがチャンピオンになるのは、カラザースが5位以下になるか、カラザースが4位以上でアンダーソンがカラザースの上位の場合だった。 |
1970年 1970年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「この1969年は、R・ゴールド(GBR)、K・キャラザース(AUS)、K・アンダーソン(SWE)、J・サーリネン(FIN)ら各国の強豪がTD-2を駆り、ヤマハ選手同士の熾烈なタイトル争いが見られた。」は「この1970年は〜」の誤り。 「第9戦アイルランドGPを終えた段階で〜そして9月の第10戦イタリアGPを迎える」は「第10戦アルスターGP〜第11戦〜」の誤り。 |
1972年 1972年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) タイトル写真中、「水冷化したTD-2」は「水冷化したTD-3」の誤り。 「ゴールドとサーリネンは、シーズン後半には水冷マシンを手に入れ」とあるが、グールドのマシンはシーズン当初から水冷。 |
1973年 1973年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「このクラスでは1966年にホンダがコンストラクタータイトルを獲得していたが、その後は休戦していた。」 この日本語では1967年から休戦していたように思える。 「第4戦イタリアで悲劇は起こった。500ccレースの前に行われた250ccレースの開始直後、コース上のオイルにのった先行マシンが横向きになり」 現在ではエンジン焼付きが原因とされている。 |
1975年 1975年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 350ccクラスで「全11戦が開催され、ヤマハ選手が10勝」とあるが、「全10戦が〜」の誤り。10勝のうち1勝はOtello Buscheriniのビモータ・ヤマハだが、セコットのマシンもシーズン後半はビモータフレームなので、ヤマハエンジン車10勝。 |
1977年 1977年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
「(F750)その他のヤマハ選手は市販レーサーTZ750を駆り」 アゴスチーニとチェコットが忘れられている。 |
1879年 1979年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「第8戦スウェーデンGPでは、YZR500開発ライダーの高井幾次郎が参戦し8位となった。またこの日はホンダの4ストロークマシンが2台登場したが、ともにリタイアした。」とあるが、前半のスウェーデンGP、後半のイギリスGPの記述がごちゃ混ぜになっている。 |
1980年 1980年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) チェコットのマシンは最終戦を除きTZ500。 |
1981年 1981年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「英国で“サー”の称号をもつB・シーン」とあるが、シーンはMBEなので本来は「サー」ではない。 |
1982年 1982年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
「〜その後ロバーツはミサノ4位、オランダ2位、ベルギー4位に入るが、終盤の4レースはトラブルなどが続き結局ランキング4位に終わった」とあるが、下線部は「続く2レースはトラブルなどでリタイア、残り3戦は欠場し」とすべき。 |
1984年 1984年
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「ホンダのスペンサー4勝、マモラが2勝し合計6つの優勝を飾ったホンダがコンストラクタータイトルを獲得した。」は「スペンサー5勝、マモラが3勝し合計8つの優勝〜」の誤り。 |
1990年
1990年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 250tのライダーにクリビーレが抜けている。 |
ライダー ライダー一覧(年代別一覧) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
フィル・リード Phil Read - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「♯177、1967年シーズン」は「1968年西ドイツGP125cc」の誤り。 |
ビル・アイビー Bill Ivy - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1966年マン島TT」は「1967年フランスGP250t」の誤り。 |
本橋明泰 本橋明泰 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「3つの表彰台('66年日本125cc3位〜」とあるが、「'66年日本GP250cc3位」の誤り。 |
金谷秀夫 金谷秀夫 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1973年 YZR250(0W17)」は「1973年 TZ350」の誤り。これはイモラ200に出場した時のもの。 |
ヤーノ・サーリネン Jarno Saarinen - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1972年ベルギーGP」は「1972年オーストリアGP250cc」の誤り。このマシンは水冷ではなく空冷だが、サーリネンは前半、250ccクラスでは空冷TD-3に乗っていた。 Wallpaperの写真が1972年ベルギーGP250。 |
テューボ・ランシボリ Teuvo Lansivouri - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 1973年のマシンがTR-3になっているが、序盤はTZ350で後半は0W16。ダッチTTで写されたランシボリ用の0W16の写真が「Yamaha−All Factory and Production Racing Two Strokes」(by Colin Mackellar, The Crowood press 1995)に載っている。 |
バリー・シーン Barry Sheene - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 1980年は大半、TZ500に乗った。 |
クリスチャン・サロン Christian Sarron - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 1977年西ドイツGP250cc優勝していてもランキング14位だったので、これが省略されているのは「ヤマハ市販マシンでランキング5位以内」に当てはまらないからだと思うが、1979年(0W45)、1981年(0W53)が「ヤマハファクトリーマシンに乗車した年」にも関わらず抜けている。 |
マルク・フォンタン Marc
Fontan - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) ファクトリーマシンを与えられたのが1983年のみのような文章だが、1981年(0W53P)、1982年(0W60)が忘れられている。 |
スティーブ・ベーカー Steve Baker - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「翌'78年、スズキのプライベートチームに移籍」 とあるが、チームガリーナでスズキXR14が与えられ、イタリアGPからXR22(つまり1978年型ファクトリーマシン)を与えられた。 |
片山・敬済 片山敬済 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 1974年について「ランキング3位に入った」とあるが、「ランキング4位」の誤り。下の表が正解。ランキング3位はポンス。 |
バージニオ・フェラーリ Verginio Ferrari - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) タイトルは「Verginio」から「Virginio」に修正されたが、ファイル名は「Verginio」のままになっている。 |
ロブ・マケルニア Rob
McElnea - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1987年アメリカGP」は「1987年ユーゴスラビアGP」の誤り。1987年にアメリカGPは開催されていない。 |
フレディー・スペンサー Freddie
Spencer - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1989年アメリカGP」は「1989年ユーゴスラビアGP」の誤り。 |
平忠彦 平忠彦
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
「77年、全日本ノービス250ccでロードレースにデビューし、ランキング3位。ジュニア昇格後1年目の'79年に」とあるが、ノービスランキング3位なら1978年にジュニア昇格しているはず。 |
ウェイン・レイニー 平忠彦
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1992年シーズン」の写真が3枚あるが、2枚目(左下)は「1991年シーズン」の誤り。 |
原田哲也 原田哲也
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1993年日本GP」は「1996年日本GP」の誤り。 |
マシン マシン一覧 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
RD48 RD48
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) ゼッケン35のマシン(写真)はRD48ではなくRA41。ゼッケンの地色の濃さで125ccのRA41と、排気管、排気煙がマシン左側に見えないことから、単気筒のRA41と分る。 |
RD05 RD05A - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) の「2戦目から水冷化されたが」は誤り。1戦目のイタリアGPで水冷RD05がスターティンググリッドに着いている。 |
0W82 YZR250(0W82) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) ラバードがYZRに乗りサンマリノで1勝したようになっているが、ラバードが1985年にYZRに乗ったのはイギリス、スエーデンのみで、サンマリノではTZ250に乗った。 |
YZR250(0WB9) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「1987年から開発が始まった1軸クランク・90度V型2気筒エンジンを受け継ぎ、発展させたマシン。1988年型0W90、1989年型0WA7〜」とあるが、0W90は実戦に登場していない。この書き方であれば、実戦に登場した2軸クランクの0W97のように思えてしまう。 |
0W31 YZR750(0W31) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「外装もYZR500と共通化され、」は1977-79年型のことで、1976年型には当てはまらない。 |
0W45 YZR500(0W45)
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「メインノズルの大気側カッタウェイを廃したVMキャブレター」とある。一方、https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/#500ccの1979 YZR500(0W45)の説明では「・VMキャブレター、市販TZ500のベースモデル」とあり、ライター氏は「VMキャブレター=メインノズルの大気側カッタウェイを廃したキャブレター」と考えているようだ。 |
0W76 マシン一覧
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 1984年型が「Vバンク60度」になっているが、「40度」の誤り。 |
0W48 YZR500(0W48) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「シーズン中、YZR500初のアルミフレームも採用した。」シーズン途中に採用したような日本語。 |
0W48R YZR500(0W48R) - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「最終戦のニュルブルクリンクではアルミフレームに変更(翌年登場の0W53のプロト)して4位に入った。」とあるが、 イギリスGPでアルミフレームに変更された(レースには0W48を使用)。この頁のマシンがそうである。 |
0WP3 マシン一覧
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 2004年の0WP3で「燃料タンク22L(従来型は24L)」とあるが、22Lになったのは2005年型の0WP4。JFRMCブログ 990ccMotoGPマシンの燃料タンク容量規定が24リットル以下から22リットルになったのはいつ?(2) (tou3.com) |
0WP4 YZR-M1(0WP4)
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「 「従来ラジエターを貫通していたエアダクトは、0W4Pではヘッドパイプ付近を」 と、0WP4ではなく0W4Pになっているが・・・ |
コラム ヒストリー&コラム - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
Vol03 コラムvol.03 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「ヤマハは1ポイント差でタイトルを逃がしてしまった。」は「2ポイント差」の誤り。こちらでは正しくなっている。 有効得点はベスト7戦合計で、ホンダは優勝8ポイント×7勝=56点、ヤマハは優勝9ポイント×6勝+2位6ポイント×1回=54点 で、2点差。 「250ccのRD48(写真)と125ccのRA41を投入」とあるが、写真はRA41。排気煙が車体右側にしか見えないのにライター氏はおかしいと思わないのだろうか?(RD48は2気筒) |
Vol07 コラムvol.07
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「2ストローク初の戴冠」は、「ヤマハ2ストローク初の戴冠」か、単に「初の戴冠」とすべき。戦後のGPにおける「2ストローク初の戴冠」は1962年50ccクラスでのスズキ。 写真説明の「第2戦フランス」は「第3戦フランス」の誤り。 |
Vol08
コラムvol.08 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「全長60.725km」、「3周172.175kmでトータル69分32秒8、平均時速157.15km/h、ベストラップ158.59km/hはいずれも当時の歴代新記録。」とある。「172.175km」はもちろん182.175kmの誤りだが、3周の平均速度を計算すると、60.725×3×3600/(69×60+32.8)=157.168km/h。ベストラップの平均速度を同様に計算すると、ベストラップ22分58秒2なので、60.725×3600/(22×60+58.2)=158.62km/h で、これも記事が誤ってっていることが分る。私はそもそも平均速度を小数点以下3桁まで算出する意味はないと考えているが、算出するのであれば正確に越したことはない。 |
Vol09 コラムvol.09
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「排気量以外マシンに制限のない時代。より大きなパワーを出すためには、もっと回転を上げればいい。それには小さくて軽いピストンが必要だ。それなら単気筒より2気筒、2気筒より4気筒が有利に決まっている……。こうして次第に多気筒化が加速し、50ccで3気筒、125ccは5気筒、250ccでは8気筒を開発していたメーカーもあったという。」 「250ccでは8気筒を開発していたメーカー」とあるが、私はそのようなメーカーを寡聞にして知らない。また、この文章では125cc5気筒も「開発していたメーカーもあったという」ことになり、ホンダ125cc5気筒が実戦に登場していないように受け取れる。スズキ50cc3気筒のようなよく知られていたがレースに出なかったマシンも「あったという」ことになる。 「だが同時に、多気筒・高回転化すればするほどパワーバンドが狭くなる。それを補うためにミッション段数も増えていき、50ccで14速、125ccでも12速が当然と考えられていた 〜1966年に開発が始まったRA97の後継モデル、RA31も例外ではない」とある。1966年頃、スズキ50cc2気筒は12段、125cc2気筒は9段で、ヤマハ125cc2気筒が9段変速だったが、これが「50ccで14段、125ccでも12段が当然と考えられていた」と表現されるような状況なのだろうか。 |
Vol15 コラムvol.15
- レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) 「0W41」は「0W46」の誤り。 |
その他
ライダーの名前がおかしい箇所が多い。Proviniが「プリヴィニ」、「Mortimer」が「モニティマ」は、いくらなんでも日本語表記としてどうかと思う。
「ダフ」と「ダッフ」、「ガリ−ガ」と「ガリッガ」、「ポンス」と「ポンズ」のように統一されていない名前もある。
各ライダーの頁で、1971年のマシンがTD-3、TR-3になっている(TD-2、TR-2の誤り)。
1988年、イゴアが乗ったマシンは1988年型の0W98ではなく1987年型の0W86だが、このように年式遅れのマシンが使用されたことが他の年でも無視されている。
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