写真の特定


 本、雑誌、ネットに掲載されている写真のレース名の説明が間違っていることが少なくない。その理由として、

1 原資料は間違っていなかったが、原資料から写真を抜き出して編集する段階で間違えた。

2 原資料そのものが間違っていた。

の2通りがあると思う。

 1の場合、原資料が何段階にも亘って引用されることがあり(現記事←・・・原資料2←原資料1)、誤りを生じたのが古い段階であればあるほど、その誤りが正しいものとして確定されやすくなる。

 1968年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com) で「ベルギーGP 250ccで優勝した♯2 P・リード」とあるが、当初は「ベルギーGP 250cc、MZの選手を〜」となっていた。1968年の「ヤマハニュース」(こちらに公開PDF、4頁目)に同様の記述「プラグ交換で最後尾からレースに復帰したリードは、高速コースを飛ばしに飛ばし、最終周でトップを走るMZのロスナーをキャッチ。これを抜き去った。ベルギーGP250。」があるので、その時点での誤りが43年後の記事で復活したことになる。そして、修正後も誤っている(正しくはオランダGP125t)のは、ヤマハニュース掲載が写真撮影から間もないものであり、43年後のライター氏もその記述が全て誤っているとは思わなかったのだろう。

 当時のレースに興味がある方なら、マシンがヤマハ125とカワサキ125で、ライダーがリードとシモンズであることにすぐ気が付くはずである。

 ただ、ヤマハニュースも本当の原資料ではなく、本当の原資料は写真そのもの(ネガ、プリント)である。「MZの選手を〜」はヤマハニュース編集段階の誤りだろうが、「ベルギーGP」は写真提供者(カメラマン)自身が写真を整理する段階で誤った可能性もある。この段階で誤りが生じると、その誤りを修正するのは困難になる。

 右写真1は、Team Suzuki by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008 54頁のもので、

 By 1965, Team Suzuki outgrew their Fernleigh TT workshop and rented another garage at the Falcon Cliff hotel. Here, chaos seems to reign as Shigeno prepares Perris' RZ65.

 と説明書があり、写真提供者はぺリス(Perris)自身になっている。しかし、マシンは明らかにRZ63-U(1963年型250t4気筒)で、写真説明は誤りである。そして、この誤りの原因はぺリス自身と思われる。
 右写真2〜6は、SUZUKI AT THE TT RACES 1960-1967(by Elwyn Roberts with Raymond Ainscoe, Ilkley Racing Books 2010) 40-41頁のもので、次の説明書がある。

 The Suzuki effort for the 1965 TT was immense. Frank Perris recalled "We were entered in the usual three classes and each rider probably had two bikes per class. There were about seventeen bikes and there must have been about twenty mechanics plus the management team." Indeed, there were so many bikes that Suzuki had to take an extra garage at the Falcon _Cliff Hotel to supplement the workshop at the Fernleigh hotel.

  Thanks to Frank Perris, we now see a number of previously unpublished shots of the Suzuki stable.

  この一連の写真のうち、3は他の写真と建物の構造(レンガ造がどうか)が異なり、別の建物で撮影されたものである。そして背景から1と同場所・同日に撮影されたもので、1からエンジンを下したのが3の状態と思われる。

 また、背景に250t用のゼッケン5のフェアリングが写っているが、このゼッケン5はヒュー・アンダーソンが1963年日本GPで使用している。この写真は日本GP前の鈴鹿でのテストの後、スズキ社内で分解した時のものだろう。

  そして写真2、4〜6の一連の写真は次の理由から、1965年マン島TTではなく1964年マン島TTのものと分る。

・5、6の250t4気筒のマシンはRZ65ではなくRZ64。、
・2に写っている人物は元スズキの中野広之氏だが、中野氏がマン島に行ったのは1960、1962、1964及び1966年であり、1965年にはマン島に行っていない(こちらを参照)。
・6の背景に写っている250tマシンのゼッケン番号は4、6で、125tマシンのゼッケンが×0(10の桁が読めない)。1964年、1965年に両クラスでスズキのライダーが使用したゼッケンは次のとおりで、写真のゼッケンは1964年のゼッケン。
 
  1964年 1965年
125 3 越野(欠場) 8 ぺリス
6 ぺリス 11 片山
10 シュナイダー 17 アンダーソン
12 アンダーソン 21 デグナー
250 4 ぺリス 10 ぺリス
6 シュナイダー 14 アハーン
14 アンダーソン    

 なお、SUZUKI by Jeff Clew, Haynes 1980 にはPerrisが撮影した写真として、上の写真2、4〜6と同じ場所で撮影されたものが掲載されているが、その説明書では「1964」になっている。

 これらのことからすると、 「Perrisは、当初、写真を整理していなかったが、写真をまとめて整理する段階で撮影場所の記載を間違えた」ことが、このような誤りを生じた原因と思われる。

 このように資料写真の撮影場所・時期の説明書には、原資料が何であれ誤りの可能性があり、資料写真を引用する際にはこのことに留意する必要がある。本サイトに掲載した写真は私自身がチェックをし、撮影場所・時期 を特定するようにしているが、気が付かれた点について教示いただけると幸いである。

 もう一つ例を示そう。

 右上の写真は1966年ベルギーGPとされているが、その説明には疑問がある。

・1966年ベルギーGPは250t、500ccのみ行われたが(除サイドカー)、整備中のマシンは350tのホンダRC173で、明らかにエンジンの形が500tのRC181と異なる。オランダGPと東ドイツGPの間のベルギーGP期間中に、メカニックの手が空いたので、350tマシンの整備をしていることになる。

・写真右端にゼッケン61のフェアリングが写っている。ゼッケンの地色の濃さからすると350tクラスのゼッケン。また、1966年の世界GPのあらゆるクラスを通じてゼッケン61を使用したホンダRCレーサーは東ドイツGP350tクラスでのヘイルウッドのマシンのみ。したがって、ベルギーGPの2週間後の東ドイツGP用ゼッケンを既に付けていることになる。しかも61の横に「T」も書かれており、車検に向けた準備もされている。

 ここまで気が付けば、この写真が実は東ドイツGPで撮影されたものではないか、と疑問を持たざるを得ない。

 そして右下の写真には1966年ドイツGP(ホッケンハイム)という説明書きが付いていたが、右上と同じ日に撮影されたことが分る。そして右下の右端には東ドイツGP125tでルイジ・タベリが使用したゼッケン177のRC149が写っている。

 これらのことからすると、これらの写真がベルギーGPではなく、東ドイツGPで撮影されたものである可能が高い。また、「東ドイツGPの1週間後のチェコスロバキアGP会場に移動後、マシンの整備開始直後」 の可能性もある。もちろん、ベルギーGPである可能性は否定できないが、撮影時のフィルムに他に何が写っているか等の確認なしに「ベルギーGP」という説明を無条件に受け入れることはできない。

 
   
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