慣性力

 次の(1)〜(3)の文章は、複数の雑誌の2003年2〜3月号に書かれたホンダRC211Vについての記事である。

(1)エンジン開発において1次振動とカップリング(2次振動)を打ち消すことは、耐久性を確保する上でもライダーの疲労を軽減する意味合いでも、戦略に大きく関わってくる。通常インライン4などでは振動を打ち消すためにバランサーを設けるが、小さく軽いエンジンを目指すなら、バランサーはつけたくない。そこでRC211Vでは3番気筒を中心に左右対称となるレイアウトを採用し、3番気筒をバランサーの役割をさせることで機械的な振動を理論上完全に打ち消している。(ライダースクラブ)

 この文章を書いた人は、

・1次振動と2次振動の違い
カップリング
・並列4気筒に設けられるバランサーシャフトが振動をどのように打ち消しているか

を知らない。「理論上」と言いながら理論を知らず、メーカーの広報資料だけを頼りに読者に「講義」したら珍説になったという見本である。なお下線部の意味は私にはまったく理解できない。

(2)V型5気筒という、これまでにないエンジンレイアウトの選択は、相当の冒険であったと考えられる。〜振動面で不利だからだ。だが、4ストエンジンの研究と技術に関して、ぼう大な研究データを持っていたホンダは、〜前後シリンダーバンク角を75.5度とすることで、一般的なバランサー機構を用いずに1次振動をキャンセルして見せた。(ライディングスポーツ)

(3)素晴らしいのは、V5の挟み角が75.5度であること。この角度ゆえにバランサーが不要になっていることだ。この手法の発案者だが考案者だが、とにかく、いけるゾーッと気付いた人はスゴイ〜思えばホンダは、かつて90度でないV型エンジンの位相クランクピン〜を計算式でパテントにしていたことがあったと思うが、そうしたものの延長線上に今回のアイデアが生じたのだろうか。
(バイカーズステーション)

 V型5気筒エンジンのV角を75.5度にすれば1次慣性力を釣り合わせられることを見出すために必要なのは、「ぼう大な」研究データではなく、

・V型エンジンの慣性力の釣合を理解していること
・ひらめき

である。しかし、雑誌屋には、エンジンの慣性力の釣合についての基本的な事柄や高校生レベルの三角関数の計算式は「ぼう大な」研究データに見えるのだろう。また、雑誌屋の「スゴイ」は、 「理解した上でスゴイ」ではなく「理解できないからスゴイ」と判断した結果であり、小学生が大学生の教科書を見て「スゴイ」というのと同じである。
 
 結局、日本の雑誌において「慣性力」、「1次振動」、「理論上」、「バランサーシャフト」、「技術」はカタログを飾る文学用語に過ぎない。雑誌屋が高校生の物理、数学を理解していないから、そうならざるを得ない。RC211Vエンジンが「スゴイ」エンジンであることは、このエンジンを積んだマシンが世界選手権を獲得したことで充分証明されている。しかし、このエンジンを構想・設計・製作・改良する過程の具体的な内容は、素人には全く理解できないだろう。V角を75
.5度に設定することは具体的な内容の一部であり、そのことを素人に賞賛されて喜ぶ技術者はいない。ホンダに対する雑誌屋の(1)〜(3)のような次元の低い賞賛の言葉の羅列は、技術者の世界では結果的に誉め殺しになっているのである。

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