601(KR250/KR350) kawasaki
3 1978年
(1) 世界GP
1977年に世界GP250tで2勝したカワサキはKR250の改良を行うとともに、KR250のボアを10mm拡げ64×54.4としたKR350も開発し、世界GP250cc、350cc世界選手権獲得を目指すこととなった。
KR250とKR350の車体は共通で、1977年型と比べスイングアームがスチール丸パイプからアルミ角型になったこと、テールカウルが大型化されたことが特徴。
ライダー陣も強化され、250tではカワサキUKからミック・グラント、コーク・バリントン、カワサキ・オーストラリアからグレッグ・ハンスフォード、カワサキ・ドイツからアントン・マング、カワサキ・フランスからジャン・フランソワ・バルデがほぼシーズンを通して出場。クリスチャン・エストロジー(Estrosi)、エディ・ステリンガーが数戦参戦した。350tクラスではグラント、バリントン、ハンスフォード、マングが出場した。
○戦績
MOTOCOURSE
1978-79等による。予選順位が低く、かつレースで序盤にリタイアした場合はMOTOCOURSEの記録に残らないため、これ以外にもKR250/KR350が出場したGPがあるかもしれない。レースに出場しながらレース順位に残らなかったものは全てR(リタイア)とした。
250cc
| YV | E | F | I | N | B | S | Fin | GB | D | CZ | Y | 得点(順位) | |
| バリントン | 5 | 4 | 3 | 1 | 2 | 5 | 2 | 1 | R | 1 | 1 | 3 | 124(1) |
| ハンスフォード | R | 1 | 1 | 2 | 3 | R | 1 | 2 | R | 2 | 2 | 1 | 118(2) |
| マング | 7 | 11 | 11 | 7 | 9 | 4 | 1 | 5 | 10 | 2 | 52(5) | ||
| バルデ | R | 9 | 14 | 6 | 7 | 4 | 19(13) | ||||||
| グラント | R | 6 | R | R | R | R | R | 7 | 4 | R | 17(14) | ||
| エストロジー | R | R※ | - | ||||||||||
| ステリンガー | R | - |
※記録ではマシンはヤマハだが、スタート時の写真からするとKR250。
250t第5戦オランダ終了時点でランキング1位はケニー・ロバーツ(ヤマハ)で、僅差でハンスフォード、バリントンが続いていたが、同第6戦ベルギーでロバーツがリタイア、ロバーツは同第7戦以降500tクラスに専念したため、タイトル争いはバリントンとハンスフォードに絞られ、最終戦ユーゴスラビアで決着した。
ハンスフォードは250t第4戦イタリアまで1977年型KR250でレースに出場していたが、250t第5戦オランダで初めて1978年型で出場した(予選では1977年型にも乗った)。第4戦以前に1978年型が与えられたがレースで用いられなかった可能性もある。また、チェコスロバキアでもハンスフォード用の1977年型と1978年型の両方が確認できるので、シーズン終了まで1977年型もサーキットに持ち込まれていたものと思われる。
下左は250t第2戦スペインGPで優勝したハンスフォードと1977年型KR250で、後排気管の遮熱板は旧型なので1977年シーズン当初にオーストラリアに送られたマシンと思われる。もちろん、エンジン内部には手が加えられていたと思われる。前ブレーキはダブルディスクでブレーキキャリパーはブレンボ。
350cc
| YV | Atr | F | I | N | S | Fin | GB | D | CZ | Y | 得点(順位) | |
| バリントン | 4 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 2 | 1 | R | 134(1) |
| ハンスフォード | R | 7 | 1 | 2 | 8 | 1 | R | R | R | 2 | 1 | 76(3) |
| グラント | R | R | 11 | 7 | 9 | R | 3 | 16(14) | ||||
| マング | R | R | R | 13 | R | 6 | 7 | 6 | 14(16) |
1977年350t世界チャンピオン・片山敬済との争いが予想された。第1戦では片山が優勝するが、350t第2戦オーストリアでバリントンが優勝してからはバリントンがタイトル争いを優位に進め、350t第8戦イギリスでバリントンが優勝、3戦を残してチャンピンを確定させた。
KR350にとって1年目のシーズンの序盤、多発したエンジントラブルの対応に成功したメカニックのドージー・バリントン(コークの兄)の貢献が大きかったとバリントンは評価していた(Korkbook)。
○ブレーキ、タイヤ
基本は前シングルディスク、後シングルディスクだが、前ダブルディスクのこともあった。フィンランドでこちらに写る(リンク)バリントンのKR350(No1)は2台とも前シングルディスクだが、こちらの走行写真(リンク)では前ダブルディスク。
ハンスフォードのKRは前ダブルディスクが標準的で、前ブレーキキャリパーはシーズン序盤のKR350を除きブレンボだった。他のライダーのKRはカワサキ純正キャリパー。これはスウエーデンGP350tのハンスフォード(左)とバリントン(中)(右端は片山)(リンク)。
タイヤは、バリントン、グラントがダンロップ、ハンスフォード、マング、バルデがミシュランを使用した。
○スイングアーム
1978年型は基本はアルミ色のスイングアームだが、下のように黒色のものがあった。
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78 Imatra - Mick Grant (2).jpg (kakeh.com) |
| オランダ(奥がグラントのKR) | オーストリアでのバリントン のKR350(優勝マシン) |
イギリスGPでのハンス フォードのKR350 |
フィンランドGPでの グラントのKR250 |
銀色や明るい色であっても、太陽光線の当たる角度等によって黒っぽく見えることがあるが、これらは明らかに黒色。他と異なる黒色スイングアームの存在理由として次のことが考えられる。
A 製作担当者の気まぐれ
B 何等かの仕様違いを外観で明確にするため
C 何らかの改造跡を隠すため(仕様違いも明確になる)
D CFRP製
Korkbookに350t第2戦オーストリアについて次の記述があるので、Cの可能性は十分ある。そして、カワサキ(明石)で作製した新型スイングアームも他と区別するために黒塗装されたかもしれない。
Dozy(メカニック、コークバリントンの実兄) relates, 'Dunlop came up with a rather larger, new
generation rear slick. Our designers had not foreseen the inevitabe probability
of slicks growing in size so this new monster tyre would not fit the
swingingarm. To remedy this in a hurry, we had to revert to 'bush
mechanic tactics' by heating and crushing each arm in a large vice until the
desired clearance was obtained.'
| 「bush mechanic」はこの映画(リンク)を指すと思われる。 |
○カワサキUKチームでのマシンの割当
バリントン、グラントのマシンを観察すると、下表のようにフェアリング左後端(又は右後端)に一桁の数字が書かれていることがある。この数字はチーム内でマシンを管理するためにマシンに付けられたもので、フレーム番号の末尾の数字と思われる。
| No | マシン | ライダー | レース |
| 3 | KR250 | グラント | マン島TT |
| 4 | KR250 | バリントン | フィンランド ドイツ |
| 6 | KR350 | バリントン | スウエーデン |
| 8 | KR350 | バリントン | フランス、イギリス フィンランド チェコスロバキア |
バリントンによると、シーズン当初、バリントンとグラントにKR250、KR350が2台ずつ(合計8台)与えられた(BALLINGTON UNORKED by Kork Ballington, Redline Books 2008、以下「Korkbook」)。そして、現存するKR250/KR350のフレーム番号からすると、バリントン、グラントが使用したマシンのフレーム番号は以下のとおりと想像する。
| マシン | フレーム番号 | ライダー |
| KR250 | 601F-7801 | グラント |
| 601F-7802 | バリントン | |
| 601F-7803 | グラント | |
| 601F-7804 | バリントン | |
| KR350 | 601F-7805 | グラント |
| 601F-7806 | バリントン | |
| 601F-7807 | グラント | |
| 601F-7808 | バリントン |
.仮にシーズン当初の配分がこの表のとおりだったとしても、実際には、250と350の間で(フレームは共通)、そしてライダー間でマシンのやり繰りをすることがあっただろうし、シーズン途中に新フレームが導入された可能性もある。
(2) 日本でのKR250/KR350
○全日本選手権第3戦・E750/350/250(鈴鹿、4月23日)
和田正宏がKR250、阿部孝夫がKR350で出場。予選で和田は250tコースレコード(2分25.5秒、1977年2&4、清原明彦(KR250))を破る2分23.89秒で6位、250tでありながらポールの河崎裕之(スズキRGA500(XR22))から3.88秒遅れというタイムだった。阿部は練習中に2分20秒台(18秒説あり)を記録したが、予選では1周目に転倒、計測タイムはなく、レースでは最後列からスタートすることとなった。下左はスタート前の和田のKR250で前ダブルディスク。下右は阿部のKR350。

レースで、和田がスタートで出遅れS字で転倒・リタイア。阿部は最高列からスタートよく飛び出しS字で4位まで上がり、1周目の終りでは水谷勝(ヤマハTZ750)の後に迫り、ダンロップコーナーでは首位に立つ。ヘアピンでは水谷が首位になるが、ヘアピン後の右コーナーで阿部が水谷を抜いた直後に転倒・リタイア。
○鈴鹿インターナショナル8時間耐久レース(鈴鹿、7月31日)
鈴鹿では1973年まで全日本選手権の1戦として耐久レースが行われていたが、1973年の8時間耐久レースの後、第1次石油ショックの影響で中断していた。そして1977年、全日本選手権とは別(同時開催のE/J125t、ノービス125tは全日本選手権)として6時間耐久レースが行われ、1978年には国際レースとして8時間耐久レースが開催された(年7月30日)。
1976-77年にヨーロッパの耐久レースで猛威を振るったホンダRCB1000が出場すること、RCBに対抗するマシンとしてヨシムラ・スズキ1000、モリワキ・カワサキ1000等が出場することでレース前の注目を集めたが、本レースは1967年日本GP以来、11年ぶりの国際レースという点でも大きな意義があった。
| 1977年日本GPエキスパートクラスのレースも国際格式だったが、外国競技ライセンスのライダーの出場がなかったため、実質国内レースだった。 |
予選で、杉本五十洋/デビッド・エムデ(ヤマハTZ750、2分19.23秒)が1位、2位は4ストローク勢トップのウェス・クーリー/マイク・ボールドウィン(ヨシムラ・スズキ1000、2分21.45秒)で、和田/清原は2分22.9秒で5位。6位は水谷勝/木下恵司(ヤマハTZ350)で2分24.25秒。
KR350(下左)は前ブレーキがダブルディスク、タンク後端の下に灯火用バッテリーが装着されている。シフトリンケージは和田仕様。
翌日のレース、KR350は1周目5位、3周目は首位ヨシムラ・スズキ、2位TZ750に続く3位になり、4周目にはTZ750に続く2位に。その後に3位に落ちるが、10周目にTZ750に続く2位に上がる。これはレース序盤のKR350(和田)とヨシムラ・スズキ(ウェス・クーリー)(リンク)。しかし、KR350は11周目にピットイン、折れた左ハンドルバーの交換を行ったため大きく遅れる。スタート後1時間の順位は首位(ヨシムラ・スズキ)に2周遅れの21位だったが、スタート後2時間では3周遅れの9位、スタート後3時間と4時間は3周遅れの4位、スタート後5時間では2周遅れの4位と追い上げた。しかし、午後5時頃にヘアピンでストップ、再スタートしてピットインするが、水ポンプ駆動ギヤ破損によるオーバーヒートでリタイア、記録された周回数は131だった(優勝したヨシムラ・スズキは194周)。
下左は和田、下右は清原。
タイヤはミシュランで、後・スリック、前・S41/PZ2(下左・下右:17時頃の最後のピットイン時)。
○全日本選手権最終戦日本GP・E250/J350/250(鈴鹿、9月9日(E750/350レースの前日))
和田、清原、阿部がKR250で出場、TZ350に乗るジュニアライダーを問題とせず1、2、3位。下は和田とKR250で前シングルディスク。

○筑波フェステイバル(筑波、12月17日)
清原がKR350でオープンクラスに出場。予選では1分3.4秒で1位、2位の荘利光(スズキ市販RG500)に1.8秒差、さらにTZ750、TZ350に乗る他のライダーに対して圧倒的な速さだった。
レースでは清原は2周目終わりに石川岩夫(TZ350、1978E350チャンピオン)に続く2位でフィニッシュラインを通過したが、直後の他ライダーの転倒とそのマシンの炎上で、暫くレースはスローダウンするが、6周目に清原が首位に立つ。そして、清原は余裕の演出だろうか、20周目には首位を石川に譲るが、28周目に再び首位に立ち、30周のレースを石川に1.8秒差で終えた。
下はレース中の清原とKR350で前ダブルディスク。
これがKR250/KR350の国内最後のレースになろうとは・・・
(3) アメリカでのKR250
KMCはKR250によるレース活動を休止していたが、デイトナにはカワサキ・オーストラリアからハンスフォード(1977年型KR250)(リンク)、カワサキ・ドイツからマング(1978年型KR250)が出場。
26周のレースはハンスフォードとロン・ピアス(TZ250)が何回も首位を入れ替える接戦となった。ハンスフォードの大柄な体型による空気抵抗のためか直線ではピアスが速く、コーナーでハンスフォードが抜き返すという展開だったが、24周目にピアスがクランク焼付でリタイア、ハンスフォードが優勝。ピアスのチーム監督とピアスは記者に「ガス欠」と語ったが、ピットに戻った監督が「クランクだった」と話すのを聞き逃さなかった記者がいた(ライダースクラブ1978-6)。
マングはランディ・マモラ(TZ250)に僅差で破れて3位。前がマング、後がマモラ(リンク)