1967年125cc日本GP
スズキが必勝を期したレースで、スズキRS67Uは勝つことはできなかった。
本文に書いた再スタート事件であるが、次のような時間経過だと思われる。非常にタイトなスケジュールであり、これがマシンに何らかの影響を及ぼさなかったとはいえないだろう。もちろん、再スタート自体がマシンに何らかの影響を及ぼす可能性もある。
11時 | 最初のレースがスタート |
11時4分 | 赤旗中断 |
11時6〜10分 | スズキチームの抗議始まる |
11時15分 | 11時40分に再スタートすることに決定 |
11時17分 | マシンの準備に取りかかる |
11時30分 | マシン準備(燃料、オイル補給、プラグチェック・・・)完了 |
11時40分 | 再スタート |
そして、何よりもライダーの心理に与える影響は大きいものがある。競技役員の指示に従ってスタートしたスズキチームとスタートを結果的に遅らせたチームがあり、競技役員の指示に従ったスズキチームが馬鹿を見たのだから、スズキのライダーが気勢をそがれるのは当然だろう。
また、グレアムは11日にインフルエンザにかかってしまい体調は十分ではなかった(彼の11日の日記には「Caught
the 'flu.」とある)。グレアムは1980年頃に「If I'd been 110 per cent
fit at the time - I was suffering from 'flu - and had had a bit more sorting-out
time, I think we could've had Little Bill away.」と回想している(by Team
Suzuki)。
もし、RS67Uの完成が1箇月早ければ、片山が転倒しなければ、再スタート事件がなければ、グレアムの体調が十分であれば・・・そして、1968年、スズキがGP参戦を継続していれば、と思わざるを得ない。