レースでロバーツは新型フレームのおそらく203を選択、202のフェアリングを装着してレースに臨んだ。
プラクティスではMiddelburgが2分39秒100でポール、以下スペンサー、クロスビー、シーン、ロバーツ、ルキネリ、van
Dulmen、フォンタン。
下左・中が203、下右が204で、レースでは203が用いられた。赤矢印は補強部分。旧型フレームは姿を消したようだ。
ベルギーGPの1週間後(ユーゴスラビアGPの1週間前)、ラグナセカ(アメリカ)にロバーツが0W61で出場、1ヒート2位、2ヒート1位で総合1位。2位はマモラ。
第9戦イギリスGP(シルバーストーン) プラクティスではロバーツが1分29秒84でポール、以下ウンチーニ、スペンサー、クロスビー、van DulmenI、フォンタン。シーンに0W61が与えられたが、水曜日のフリープラクティスで他の転倒車を避けきれずクラッシュ、重傷を負いレースは欠場(シーンの0W61については本頁末尾参照)。 ロバーツは0W60をテストするが(下左)、レースでは従来どおり0W61(おそらく203)を選択。下右は204で、ゼッケン3の上に後ショックユニット冷却気取入口がある。なお、プラクティスでパワーバルブ無のエンジンもテストされたといわれている。 |
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ランキング |
Arg | Atr | F | E | I | N | B | Y | GB | S | SM | A | Total | ||
1 | ウンチーニ | 8 | 15 | - | 10 | 15 | 15 | 10 | 15 | 15 | - | - | - | 103 |
2 | クロスビー | - | 8 | - | 8 | 10 | 8 | - | 12 | 10 | 10 | 10 | - | 76 |
3 | スペンサー | 10 | - | - | 12 | - | 15 | 8 | 12 | - | 15 | - | 72 | |
4 | ロバーツ | 15 | 10 | - | 15 | 8 | 12 | 8 | - | - | - | - | - | 68 |
5 | シーン | 12 | 12 | - | 12 | - | 10 | 12 | 10 | - | - | - | - | 68 |
6 | マモラ | - | 4 | - | - | - | 6 | 6 | 4 | 6 | 12 | 12 | 15 | 65 |
7 | 片山 | 5 | 2 | - | 5 | 4 | 3 | - | 6 | - | 15 | - | 8 | 48 |
10 | フォンタン | 4 | - | - | 4 | 2 | 2 | 1 | - | 3 | 8 | 0 | 5 | 29 |
1982年の0W61はスペインGPで1勝したとはいうものの散々な戦績だった。その最大の原因は後サスペンションの横置クッションユニットにあるようだ。上左写真に後サスペンションのロッド・レバーが写っているが、スイングアームが上に動き、ロッド・レバーを動かし、クッションユニットを圧縮すると、レバーの支点にフレームを横に広げる力が働く(バイカーズステーション2004-10)。そして、フレーム自体がスプリングとなり、サスペンションが勝手な動きをしてしまう。といって、横剛性を高め過ぎれば、コーナーを曲がりにくいフレームになる。
また、クランクシャフトの慣性モーメントが少なく、スロットル応答性が良すぎることもこの問題に拍車をかけたようだ。
本来であれば、このような問題はテストコースで解決すべきことだが、あまりに実戦投入を急いだために問題点が露呈してしまったのである。
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