気筒数・変速機段数制限はいつから始まった?

 よく

「1969年から50ccは単気筒、125cc、250ccは2気筒まで、350cc、500ccは4気筒までに、変速機段数はいずれも6段までに制限された。このため、ホンダ、スズキ、ヤマハはグランプリレースから撤退し、その隙間を縫ってカワサキ125cc2気筒に乗るデイブ・シモンズが1969年の125ccタイトルを手にした。」

と書かれている。2002年に各誌に掲載されたヤマハTZ30周年の記事はいずれもヤマハの広報資料をそのまま使った安直なもののようだが、1969年から気筒数制限が始まったとある。メーカー自身がそのように考えているようだ。

  では、1969年の250ccチャンピオンマシンは? ケル・カラザースのベネリ 250cc4気筒ではないか! 

 「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(1973八重洲出版)では、1968年シーズン終了後にマドリットで開かれたFIM総会で新車両規定が決定され、気筒数・変速機段数制限が、50ccは1969年から、125cc、250ccは1970年から実施されることになったとある。モーターサイクリスト誌1969-2にも同様の記事がある。

  また、オートバイ誌(1974シーズン前)には、350、500ccクラスの気筒数・変速機段数制限が始まる、とある。MVアグスタ 350cc6気筒の開発が1960年代末に行われていたことからすると、そのとおりなのだろう。
 
 こういう大事な事実認識が不十分な人に歴史を語る資格はないし、そのような人が書いた記事の内容は推して知るべしである。しかし、そんな人であっても1976年シーズン前にモーターファン別冊で「1976年に向けてMVアグスタが6気筒を開発中とか」などと書いていた根本健氏に較べればましかもしれない。根本健氏は350/500ccクラスが4気筒に制限されていることすら知らなかったのである。

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