レーシングマシンの燃費

 2007年からMOTO-GPの排気量が990ccから800ccに小さくなると共に、燃料タンク容量規制も22リットルから21リットルに厳しくなった。そして、2007年型YZR-M1は燃費の点でも出力の点でも苦心を強いられたが(ヤマハの公開資料参照)、2008年型YZR-M1では燃費、出力共に向上した(ヤマハの公開資料参照)。

1 熱効率と摩擦損失

(1)乗用車エンジンのデータ

 走行燃費は、エンジンブレーキ時を除けば、

エンジンがした仕事とエンジンの熱効率の結果

である。

 熱効率=エンジンがした仕事/消費したエネルギー

であるが、右図はガソリンエンジンの熱収支例である。排気・冷却損失等の他、本来エンジン内部で生み出された仕事の数割が摩擦損失(狭義)、ポンプ損失に消えている。
 ポンプ損失は燃焼室内圧力によるものとクランクケース内のものがあるが、単に「ポンプ損失」といった場合、燃焼室内圧力によるものだけを指す場合もある。雑誌等で話題のポンプ損失はクランクケース内部のものである。

 また、「フリクションロス」、「摩擦損失」といった場合、ポンプ損失を含む場合と含まない場合があるので注意が必要である。以下、ポンプ損失を含むものを単に「摩擦損失」とする。

 右図は某社2リッター直列4気筒エンジンの摩擦損失が回転数によってどのように変化するかを示したものである(「自動車用ガソリンエンジン設計の要諦」(石川義和、山海堂2002)から引用)。

 このエンジンの出力を140PS/6200rpm(トルクは16.2kgf・m)、最大トルク17.6kgf・m/4000rpmとする。それぞれの回転数での摩擦損失は、右図から4.7kgf・m、3.1kgf・mであるので、摩擦損失がないと仮定した場合の本来のトルクは、

最高出力時  16.2+4.7=20.9
最大トルク時  17.6+3.1=20.7

でほぼ同じになる。したがって、最大トルク発生時回転数から回転上昇と共に実トルクが減少するのは摩擦損失の増大が最大の原因ということになる。

 また、燃料消費率(kg/PS・H)が最小になるのは最大トルク発生回転域であるが、その熱効率を32%とすると、摩擦損失がなければ熱効率は

    0.32×(17.6+3.1)/17.6=0.376

になる。仮に最高出力時、摩擦損失がない場合の熱効率を同じ37.6%とするなら、実熱効率は

 某社2リッター直列6気筒

    0.376×16.2/(16.2+4.7)=0.291

と最大トルク発生回転数域の32%より約1割低下する。

(2)レーシングエンジンの摩擦損失

 右図はフォード・コスワースDFVエンジン(3リッターV8)と某社(おそらくホンダ)の2リッターV6レーシングエンジンの摩擦損失である(「サムライエンジニア」(日高義明、スタジオ タック クリエイティブ2007))に掲載された図から計算)。横軸は回転数(rpm)/100、縦軸はトルク(kgf・m)で、青線がDFV、赤線が2リッターV6である。それぞれ近似曲線(黒線)を示したが、近似式は2乗、1乗、0乗の項からなるとした。上図のように少なくとも>1乗の項が必要なことは間違いない。

 某社2リッターV6レーシングエンジンと上図エンジンとを比較すると、同一排気量にも関わらず同回転数ならば前者の摩擦損失が20%程度後者より小さいことが分る。しかし、このエンジンの最高出力を340PS/11500rpm(トルク21.2kgf・m)とすると、摩擦損失は右図から7.6kgf・mなので、最高出力時に本来のトルクの

7.6/(21.2+7.6)=0.26

26%失っていることになる。なお、DFVエンジンは排気量の差を考慮しても摩擦損失が大きい。

2 YZR-M1

(1) YZR-M1の摩擦損失と熱効率

 ヤマハが公開した資料では「全体でも昨年最終仕様との比較で14%のフリクションロス軽減を達成した」、「最大出力12%、最大トルク8%の向上に成功した」、「燃費は約6%の改善を果たすことに成功した」ということである。右図は ヤマハが公開した資料から引用したもので、クランク、ピストン、バルブで摩擦損失が低減している。
 なお、上の2リッター直列6気筒エンジンのデータでは「ピストン&コンロッド」に含まれる「コンロッド」は右図では「クランク」に含まれるようだ。

 公表どおり、2008年型で2007年型より同回転で14%摩擦損失が低減されたとし、さらに以下のとおり仮定すると、各型の損失トルク、推定熱効率は下表のとおりになる。

・摩擦損失は回転数が同じなら排気量に比例する。
・摩擦損失は上の2リッターV6レーシングエンジンの近似式に従って増加する。
・最高出力発生時の、摩擦損失により失われる前の本来の熱効率は40%。
・最高出力、発生回転数は下表のとおり。

  最高出力 PS 発生回転数 rpm トルク kgf・m 損失トルク kgf・m 推定熱効率 %
2006年型 250 15500 11.6 6.0 26
2007年型 215 17000 9.1 5.8  24
2008年型 240 17500 9.8 5.3 26

(2) YZR-M1エンジンの仕事量と消費燃料

 (1)に加え以下のとおり仮定して、各型のスロットル全開時、中間開度時のエンジン仕事量、熱効率、消費燃料量等を計算すると下表のとおりになった。なお、燃料は比重0.75、発熱量11000kcal/kgとした。

・2006年型のレース時間は2700秒、スロットル全開時間(直線加速時間)は420秒、スロットル中間開度時間は1800秒。
・2007年型・2008年型のスロットル全開時間は2006年型と比べ出力の1/3乗に反比例して増加。
・2007年型のスロットル中間開度時間は2006年型と比べスロットル全開時間の増大分だけ減少。
・2008年型のスロットル中間開度時間は2007年型と同じ。
・スロットル全閉時間は480秒でその間、燃料は消費しない。
・スロットル全開時、中間開度時の各平均出力は下表のとおり。
・スロットル中間開度時の平均回転数は2006年型:10000rpm、2007・2008年型:11000rpm。
・部分負荷時の、摩擦損失で失われる前の本来の熱効率は平均27%(部分負荷時、ポンプ損失が増大するが、それは摩擦損失ではなく本来の熱効率の低下で計上)。

 スロットル開度を3段階しか区分していないこと、実際にはスロットル全開制御していること、摩擦損失以外の熱効率の要因が重要であること等、これは無茶苦茶な設定である。
  スロットル開度 平均出力 PS 時間 秒 仕事量 KJ 損失トルク kgf・m 熱効率 % 消費燃料 L
2006年型 全開 245 420 75700 6.0 26 8.3
中間 45 1800 59600 2.8 14 12.0
合計 - 2220 135300 - - 20.3
2007年型 全開 210 442 68200 5.8 24 8.1
中間 47 1778 61500 2.7 14 12.3
合計 - 2220 129700 - - 20.4
2008年型 全開 235 426 73600 5.3 26 8.2
中間 47 1778 61500 2.3 15 11.5
合計 - 2204 135100 - - 19.7

計算では、

・2006年型と2007年型は、ほぼ同じ消費量で、2007年型でのタンク容量制限強化が響いた。
・2007年型に対する2008年型の燃費改善は3.4%(19.7/20.4=0.966)。

という結果になった。無茶苦茶な設定にも関わらず、「当たらずとも遠からず」といっていいだろう。詳細な計算はメーカーに任せるとして、基本的な考え方、つまり、燃費とは

エンジンがした仕事とエンジンの熱効率の結果

であることは変わらない。

追記

(1) ヤマハが公開した資料では、「バルブシステムそのものの重量は40%の軽量化」とある。これをバルブ周りの往復運動部分とすると、バルブ駆動ギアトレインを除けば40%摩擦損失が減少するはずであるが、20%しか減少していない。これはバルブリフト・時間面積を大きくしたためである。もちろん、バルブリフトそのものも大きくなっている。ヤマハの技術者が次のように語ったのはこのようなことを指す。

 「回転数だけに関して言うなら、去年の段階で既にあるレベルには達していましたし、むしろ去年のほうが今よりも回転数は高かったんです。金属バルブと比較したときのニューマチックバルブの有利な点は、一口で言うとバルブのリフトカーブの多様性です。」

(2) ヤマハの公表資料では「最大出力12%、最大トルク8%の向上に成功した」とあるが、出力曲線をよく見ると、最高出力時のトルクは10%程度増加している。また、最高出力時回転数も少し増加しているように見える。(1)の成果はレーシングエンジンであれば事実上、全回転域で得られるが、特に高回転域での効果が高い。

 2-(1)の表に示したとおり2008年型YZR-M1の出力向上は25PS程度と思われる。摩擦損失の低減を同表から0.5kgf・mとすると、それによる直接の出力向上分は

0.5×17000/716.2=12PS

程度になる。また、ポンプ損失の減少により給気量が増大しトルクが増す。摩擦損失の低減と高バルブリフト化による給気量増大で、25PSの出力向上の大半を説明できてしまうように思う。

(3) 2-(1)の図をよく見るとクランクの低減割合(棒グラフの割合)は15%より大きい。(1)からすると実はポンプ損失が減少しているのではないか。高バルブリフトによる高回転でのポンプ損失の減少は、デスモドロミックバルブ作動系の金属バルブスプリングエンジンに対するメリットでもある。

 また、「ケース」の低減割合が数字で示されていないが、棒グラフからすると25%程度減少している。「ケース」にクランクケース内ポンプ損失を含むなら、潤滑方法の変更等が行われたのかもしれない。

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