RACERS Vol12(スズキ500 1974-80)

 

11頁
○(最下段)「マニュファクチャラーのタイトルはついにMVの手を離れ、同点で有効ポイントの多いヤマハが獲得」

  この年の500tクラスは全10戦なので有効ポイントはベスト6戦。ヤマハ、MV共に5勝(15点×5)+2位(12点)=87点なので、「有効ポイントの多い」は誤り (29頁参照)。2位入賞回数も各3回で同じで3位位入賞回数の差(3対1)でヤマハがタイトルを手にした。

14頁
○「(76年)開幕戦では前年のYZR500=0W23をジョニー・チェコットに貸し出した」

  チェコットがYZR500に乗ったのは開幕戦のみではない。だからこそ現存する0W23の排気管に消音器が装着されているのである。

16頁
○写真説明1「KR500」とあるのはKR750だろう。

22頁
○「 (下段、XR27について)軽量・コンパクト化を推進し〜」

 XR22とXR27のエンジンの基本寸法は同じで、車重も36頁の諸元表では両車同じ。クランクケースをアルミ合金→マグネシウム合金に変更しているので、「軽量化を推進しようとしたが結果的に軽量化できなかった」(≠「軽量化を推進」)だろう。

27頁
○「 (1980年について)美しいが危険なイマトラの公道コースはこの年が最後の開催となった」

  1981年フィンランドGP500t(イマトラ)でルッキネリがXR35で優勝しているが・・・500tについては1981年が、その他のクラスでは1982年が最後のイマトラでの世界選手権フィンランドGPの開催。

23
○「(下段)こうして5ポイント差で5年連続〜」

 33頁の表で分るように6ポイント差の誤り。

28頁
○「(シーンの項、F750について)当時はイギリス主体でヨーロッパ選手権や世界選手権昇格前」

 wikipedeaの記述「The series began in 1973 as a British based series. In 1975 the series was upgraded to European championship status and in 1977, it attained world championship status」を訳したようだ。1973年の開催国はイタリア、フランス、スエーデン、フィンランド、イギリス、ドイツ、スペインなのだが、「イギリス主体」はどういう意味なのだろうか。

○「(ランシボリの項)'72年GP500ランキング3位」、「'75年から'79年のランキングは〜」

  「'74年」、「'75年から'78年のランキングは〜」の誤り。

29頁
○1975年にマン島TTが2回ある。

30 頁
○「(ルッキネリの項)'88SBK世界チャンピオン(ドゥカティ)」

 1988年のスーパーバイク世界チャンピオンはフレッド・マーケル(ホンダ)。

○「(ロッシの項)'79年はGP500(スズキ)とダブルエントリーしたGP250でモルビデリを駆り〜」

 ロッシが1979年にGP500で乗ったのはモルビデリ。

51頁
○「このXR05の世界GPデビューは'70年のオランダGPで、ロブ・ブロンが6位に入った」

 TEAM SUZUKI(by Ray Battersby, Osprey1982/Parker House2008)によると、オランダGPの前のマン島TTでマルコム・アップヒルがXR05で出場している(リタイア)。

○「(左下)GP500におけるYZR500、あるいはフォーミュラ1におけるTZ750の登場により、わずか1年でお役御免となる」

  フォーミュラ1はもちろんフォーミュラ750の誤り。また、1974年にXR14が登場し世界GPからTR500が姿を消したがイギリス国内でシーンが乗っているし、1975年にニューボルドがTR500でGPを走っている (オランダ、ベルギーではXR14)。また、当時スズキはフォーミュラ750用にTR500ではなくTR750(XR11)を走らせていたので、「〜TZ750の登場により」は意味不明。

52頁
○「(1971年)〜ライダー選手権ではフィンドレイの2位を筆頭に3位と5位を得た〜」

 フィンドレーは5位で、2位はターナー、3位はブロン。

○「(1973年)〜マニュファクチャラー選手権ではスズキは3位止まりだった」

 スズキは、MV、ヤマハ、ケーニッヒに続く4位のはず。

53頁
○「(下から2段目)ウォーターポンプのウォームギアの摩耗やそれの取り付けボルトの破損(当初はシャフトとの一体加工ができなかった)」

 64頁ではプライマリーシャフトの構造、ウォームギアについて「当初は左右別に作られたシャフトをドライブギアのところで連結させた構造だった」、「プライマリーシャフトに設けられるウォーターポンプ駆動用のウォームギアは初期のXR14の泣き所のひとつだったが、二次焼き入れ処理による強度アップを図ってからは十分な耐久性を得た」とある。53頁の記述はシャフトそのもの構造とウォームギアの取り付け方を混同しているように思われる。

54頁
○「ロードレーサーでは一般的でないH型リムとなっているなど〜」

 50〜54頁のXR11、XR14の写真ではH型ではなくE型(U型)にしか見えない。54頁左下のXR05がH型で、H型の方が古いタイプであることが分る。ライター氏はH型とE型の区別がついていないのかもしれない。

○初期のXR14開発スタッフに「河崎裕之」

 河崎がスズキ500/650に乗ったのは77年シーズンからで、76年シーズンまではヤマハに乗っていたのだが、どうしたら1974年型スズキの開発に加われるのだろうか。

56頁
○「〜シートカウルだが〜キャップが見える〜なぜか正体が確認できなかった(ひょっとして補助燃料タンク)。

 これは間違いなく燃料タンク。このキャップからブリーザーパイプが伸びている写真も残っているし、ライバルのヤマハ500でも同様にテールカウルにキャップ+ブリーザーを設けている例がある。なお、モトライダー1976-11のRG500解説記事には「リア・カウル内には補助燃料タンクの設置が可能」とある。

58頁
○「(75年型)アルミキャストホイールを恒常的に使用」

  マグネシウムキャストホイールの誤り

○「(1976年)ランシボリ」

 ジョン・ウイリアムズの誤り。

○1979年、シーズンを通じてXR27を与えられたパリッシュが抜けている。また、1975年、2戦のみXR14が与えられたニューボルドが記載されているかと思えば、1979年、第5戦スペインまでXR27に乗ったヘロン、そして1978年は最終戦でXR22に乗り優勝したフェラーリ、ベーカー(第5戦イタリアからXR22)、ルージュリー(第7戦ベルギーからXR22)が抜ける等、 記載ライダーの選定根拠が分らない。

63頁
○「(中段)1-3番シリンダーと2-4番シリンダーという配置的にクロスした2気筒を同時に爆発させていた」

 59頁の諸元表で分るように誤り。

64頁
○「'74年から〜シリンダーのポートは、排気、吸気、掃気×2、ループ掃気の5ポートだった〜54×54oのボア×ストロークとなった'77年のXR14からは、ストロークが伸びたことを利してポート面積を広く取ることが可能になり 、排気、吸気、掃気×3、ループ掃気×2の7ポート式に」

 ・ロータリーディスクバルブ吸気なのでシリンダーに吸気ポートはない。したがってその他のポートの記述も無茶苦茶。ライター氏の想像力には感心する。
 ・ループ掃気はシリンダーの排気ポートの反対側に2つ上下に孔があり、下孔からクランクケースの混合気が掃気経路に入り上孔からシリンダー内に入る。つまり実際に掃気するのは1ポート。
 ・排気ポートに隣接する掃気ポート数をシリンダーの片側のみでカウントしたりはしない。
 ・ボア×ストロークが変更されたのはもちろん76年のXR14。 

65頁
○「(上)サイド吸気だったRGV-Γでも事情は同じだった」

 RGV-Γがサイド吸気とは初耳だが・・・サイド吸気が「クランクケース両外側に吸気口を設ける」という意味とするなら誤り。

○「(下)そこで'77年のXR22からは〜カセットミッション方式を採用。

 '78年の誤り。

○「(下)エンジンの左サイドにクラッチレリーズを設け、カウンターシャフトを押してクラッチプレートを作動させる」

 カウンターシャフトを押す訳がない。押すのは中空カウンターシャフト内のプッシュロッド。

66頁
○「'74年にデビューした当初のXR14では〜アルミリムのスポークホイール〜それがシーズン半ばには、リア→フロントの順でマグネシウム製のキャストホイールが導入され〜」

 フィンドレーはシーズンを通してアルミリム+スポークホイールを使用したようだ。シーンはフランス、オーストリア、イタリアではアルミリム+スポークホイール、(マン島は欠場)オランダは前後マグネシウム合金キャストホイールを使用。右はオランダGPレース中の シーンで、少なくとも前輪はアルミリム+スポークホイールではないことが分る。「リア→フロント」は世界GPでのシーンのマシンに関しては誤り。

67頁
○「(下段、16インチフロントタイヤについて)'80年のXR34からは標準サイズに」

 ミシュランを使用するチームガリーナでは16インチを主に用いたが、ダンロップを使用するヘロンスズキが16インチを用いたことを確認できない。57頁下のクロスビー用XR34M2の前ホイールも18インチ。

○「内径の小ささからブレーキディスクも小さくなり、制動力が落ちること〜」

 ブレーキディスクが小さくなると制動トルクが小さくなるが、タイヤ外径が小さくなれば必要制動トルクも小さくなるので、結果的に制動力は落ちない。 そもそも、この頃の16インチ仕様車は、16インチだからといって18インチ仕様車よりディスク径を小さくしていなかったのではないか。

70頁
○「(ANDFについて)バリー・シーンらはあまり効かせていなかった〜ANDFを最も効かせたコースは、フラットなアッセンだった」

 シーンはこのレースでマルツォッキ製前フォーク(ANDFなし)を使用している。

72頁
○「'74年のチーム・スズキはダンロップを使用〜」

 フィンドレーはミシュランを使用した。右はマン島でのフィンドレーのマシン。

73頁
○「左上の写真について)ウイングスタイルの'76年型XR14と〜この写真2点はともに'77年に撮影されたものだが、上の'76年型は'77年のイギリス国内の〜でスティーブ・パリッシュが駆った車両で、ヘロンの'77年のカラーリングをまとっているという次第」

 このフェアリング、テールカウルは1977年初期型でマシン本体も1977年型。19頁、56頁(奥のマシン)、69頁(左中・下)にも写っている。

○「XR22が口火を切った、ミニウイング30年の〜」

 1974年ベルギーGP500ccプラクティスで、MVアグスタがウィングを装着したマシンを走らせた(レースでは使用せず)。

○「基本的にこの'78年限りでお蔵入り・・・と思いきや、明くる'79年には、今度はガリーナがこのミニウィングを〜」

 23頁の1979年フランスGPでのシーンのマシンにウィングが装着されていることで分るように、シーンはウィング付のマシンを1979年にもよく用いていた。

75頁
○「バリー・シーン走行テストに基づく'79GP出場車〜」

 '78GP出場車の誤り。

78頁
○総軸数ではクランクが2軸あることが忘れられている。

○RGB500−Vのクランクケースがアルミニウムになっている。RGB500-1ではマグネシウムだったが・・・
 

その他 ウィートマン氏のXR14

○62頁写真に写っているシリンダー部品番号は11210-42001、64頁写真のシリンダーヘッドの部品番号は11111-42001。最初の5桁の数字は部品の部位(例えば11111はシリンダーヘッド)で、次の"420"は機種記号で次の01は仕様変更を指す。XR14のものであれば420ではなく11111-XR14○○という部品番号になるはずなのだが・・・これらの部品は市販RG500のもの。もちろん、クランクケースがXR14で市販RG500のシリンダー等を組み込んだものである可能性はある。

○右クランクケースカバーの形状が1975年型XR14(以下単に「XR14」)と若干異なる。

○フレームの後クッションユニット上部取付部の形状がXR14と異なる。

○前フォークはXR14のもののようだ。

○後クッションユニットはXR14のものでも、市販RG500のものでもない。

 これらのことからすると、このマシンは1976年型市販RG500で、一部XR14のパーツを組み込んだものの可能性が高いと思う。

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