間違い記事と行動


 1980年から始まった世界耐久選手権はTT-F1(ツーリスト・トロフィー・フォーミュラ1)という規格のマシンで争われていた。1980年当時のエンジン規格は次のとおり(抜粋)。

適合車

通常の販売ルートを通じ一般ユーザーに販売されるモーターサイクルであって、毎年3月1日までにそのマシンが1000台以上販売されていること

排気量 4ストローク:600〜1000cc、2ストローク:350〜500cc

エンジン本体

形式変更禁止、気筒数変更禁止、ストローク変更禁止、シリンダー・シリンダーヘッド・クランクケースの材質・キャスティング変更禁止

吸排気系

吸排気装置、キャブレターの数、形、サイズは変更禁止

動力伝達系

6速に制限される変速機は、その数の範囲内でギアボックスシェルに変更を加えない限り、変更可

始動装置

始動装置を備えていること

 この規格について、モトライダー誌1980-10号に次のような記述がある。

 「〜一般市販型で毎年3月1日以前に1000台以上販売されたことを証明しなければならないのだ。こうなるとまず年間多くても200台前後しか売られない市販レーサーは除外されてしまい〜」

 この記事を書いた某氏は「一般ユーザー」の意味を理解しておらず、規格の「通常の販売ルートを通じて一般ユーザーに販売されるモーターサイクル」に市販レーサーが含まれると考えていた。もちろん、TT-F1のベースとなるエンジンは公道走行可能なマシンのものでなくてはならず、市販レーサーは製造台数に関係なくTT-F1規格に適合しない。

 とはいっても雑誌屋が理解不足で間違った記事を書くのは珍しくないが、1981年には理解不足の知識を行動に移した結果、メーカーを巻き込む”事件”となった。

 モトライダー誌では1981年鈴鹿8時間耐久に向け、2ストローク単気筒モトクロッサーエンジンのロードレーサーを製作することなった。ヤマハの社員チームが2ストローク単気筒エンデューロマシンのエンジンを使用したレーサーで1980年の鈴鹿8時間耐久レースに出場したことに触発されたのだが、 ヤマハのエンデューロマシンはヘッドランプ、テールランプ等を装着し特定の国では公道走行可能だった。

 一方、いわゆるモトクロッサーは灯火等を装備していないため公道走行はできず、TT-F1に適合しないはずだ。ところが、驚くべきことに

B社からモトクロッサーのエンジンが提供

されることが決まったのである。そして車体製作を受け持つトガシ・エンジニアリングもレイアウト検討を進めていた。ところが、読者の投稿でレギュレーション違反を指摘され、急遽、D社のエンデューロマシンのエンジンを使用することになった。このドタバタの結果、モトライダー誌のマシンの戦績がどうなったかは容易に想像できるだろう。

 この事件では、モトライダー誌、B社、トガシ・エンジニアリングのいずれもTT-F1の規格を理解していなかったことが露呈した。そして、B社の「宣伝さえできればいい」という安易な考えが、モトライダー誌の無邪気な行動を助長させたように思う。B社にとって幸いだったのは、当時はインターネット時代でなかったことである。今であればB社の失態が世界中に発信されるに違いない。

補足

○B社のモトライダー誌へのエンジン提供計画はB社営業部隊の主導によるものと思われる。営業部隊と技術部隊の仲がよくないことが往々にしてあり、営業部隊の勇み足を技術部隊(レース部隊)は冷ややかな目で見ていたのだろう。仮に技術部隊(レース部隊)がTT-F1の規格を知らなかったとしたら、情けない話ではある。

○当時の雑誌記事に「スプリントレースでは不要な始動装置が耐久レースでは必要」というような記述がある。TT-F1は耐久レースでなくても始動装置が必要なはずだが、国内のTT-F1は特別ルールだったのだろうか。上の”事件”からすると、単なる間違いのように思える。
 なお、スプリントレース用マシンに電気始動装置を装着するとしても、始動装置をレースで使用することがないのであれば、軽量化のために容量の小さい(1〜2回始動するのがやっとの容量)バッテリーにした「形だけ」の始動装置だろう。

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