0W70(1983年型YZR500)
YAMAHA
ヤマハ0W70は世界チャンピオンマシンではない。しかし、1983年、ケニー・ロバーツと共にフレディー・スペンサーのホンダNS500と激しいチャンピオン争いを演じたマシンとして、そしてロバーツが最後の世界GPを戦ったマシンとして多くの人に記憶されている。
1 0W70の成り立ち
0W70(1983年型YZR500)は、1982年にヤマハが走らせた最初の500ccV型4気筒0W61を全面的に見直したマシンである。エンジンでは0W61で問題となった唐突なスロットル特性に対処するため、クランクシャフトの慣性モーメントが増加された。キャブレターは当初、0W61と同じピストンバルブだったが、第2戦以降フラットバルブの強制開閉式が主に用いられた。 |
ステアリングヘッドはカートリッジ様になっており、スイングアームピボットもシーズン中にカートリッジ様になったものが登場した。前後のホイールは18インチが基本で、前輪については、シーズン前に16インチが試みられたが、GPでは姿を見せず、シーズン中は17インチも使用された。後輪はモーリス製のみが、前輪はモーリス製、ダイマグ製、ベイマグ製(4本スポーク)が確認できる。タイヤはダンロップで、国内レースのみ前輪にミシュランを使用することがあった。
前ブレーキは、当初、住友電工製が使用されたが、後にブレンボ製に変更された。
1983年日本GPで3位入賞した河崎裕之のショックユニット直立型のマシンが、レース後の車検で132kgあったので、燃料なしの状態では125〜130kg程度だろう。ちなみに、同じ車検でスペンサーのNS500は122kg、水谷勝のスズキXR45は123kgだったので、0W70はこれらのマシンより10kg前後重いことになるが、旧型サスペンション車はこれより少し軽かったのではないか。
さて、前述のように0W70には2種類の後サスペンションがあった。下左端・下左は1983年日本GPでの木下恵司の旧型後サスペンション(ショックユニット前傾型)の0W70-E-307/0W70B-307(エンジン番号/フレーム番号、70とBの間の「-」がない)、下中は河崎裕之の新型後サスペンション
(ショックユニット直立型)の0W70-E-308/0W70-B-308である。スイングアーム形状の違い、バックボーン部の点火コイルの有無が分る。下左の木下のマシンのシートレールに孔があるが、テールカウルを固定するためのもの。カウルが小さくなったため不要になり、後期に製作されたマシンに孔はない。
もう一つ、重要な識別点にフレーム内燃料タンクがある。下右、下右端はシーズン前の公表写真で、左ダウンチューブに燃料タップが見え、タップからキャブレターに燃料ホースが向かっている。1982年型カワサキKR500と同様、通常の燃料タンクに加え、フレームを燃料タンクにしていたもの。しかし、これは
シーズン前のレギュレーション変更で使用できなかった。
0W70-E-307/0W70B-307 | 0W70-E-308/0W70-B-308 | シーズン前公開写真 |
Yamaha All Factory and Production Road-racing Two-Strokes From 1955 To 1993 by Colin Mackellar, 1995 Crowood によると、"FIM had banned the practice during the winter of 1982."とあり、1982年シーズン後に禁止されたことになっている。レギュレーションは ”Fuel must be contained in a single tank, securely fixed to the machine." (The Art and Science of Motor Cycle Road Racing by Peter Clifford, 1982Hazleton)。問題はtankが部品としてのtankなのか燃料を入れる部分なのかだろう。 |
2 1983年の戦績等
1981〜82年、ケニー・ロバーツはヤマハファクトリーカラーのマシンを走らせていたが、1983年、ロバーツはマルボロ・ヤマハ・チーム・アゴスチーニに属することになり、チームメイトはロバーツの希望もあり、エディー・ローソンが選ばれた。このチームでは複数のマシンを区別するため、ロバーツのマシンにはK(ケニー)1、K2、ローソンのマシンにはE(エディー)1、E2と記号を付け管理していたので、以下、この記号を使用し記述した。
他には、前年と同様にソノート(ヤマハのフランス輸入元)チームのマルク・フォンタンにも0W70が与えられた。
シーズン前テスト(ラグナセカ) ロバーツ、ローソンによるテストがラグナセカ(アメリカ)で行われた。 左のマシンのフェアリングにはラジエーター排気ダクトがなく、右のロバーツが乗るマシンには排気ダクトある。また、テールカウルのステッカーの位置も異なり、左と右は別のマシンだと思われる。両車とも16インチ前ホイールを使用していることが目に付く。左のマシンのシートレールには孔がない。 |
第1戦南アフリカGP(カイアラミ)
プラクティスはスペンサー(ホンダNS500)が1分26秒60でポール、以下ローソン、片山敬済(NS500)、ロバーツ、ロン・ハスラム(NS500)、マルコ・ルキネリ(NS500)、フランコ・ウンチーニ(スズキXR45)、ランディ・マモラ(XR45)と続きフォンタンは10位。 プラクティス中、メカニックは0W70の始動性の悪さに苦しみ、ピットレーンでかなり長くマシンを押すことになった。高地でのレースで気圧が低いことが原因なのだろうか? 結局、チーム・アゴスチーニでは、シリンダーヘッドを研削し圧縮比を上げることである程度は改善された。 下左はロバーツ用のK1で、フレーム番号は0W70-B-301。ステアリングヘッド下にふたが見えるが、フレームを燃料タンクとして使用するときの燃料注入口である。 下中のマシンはK2=0W70-B-302で、ダウンチューブ下に燃料タップ取付部がない。本来あったものを削除したようにも見えない。とするとフレーム内燃料タンク仕様ではないのだろう。このフレームの製作時期はかなり新しいことになる。ただし、テールカウルはシートレールにボルトで取り付けられている。キャブレターはシーズン前公表されたものと同じピストンバルブのもの(メカニックが一部を手にしている)である。K1、K2共にシートレール孔があるが、シーズン前テストのマシンにシートレール孔はないので、シーズン前テストのマシンとは別のマシンのようだ。 |
また、プラクティス中、K1、ローソンのマシンのフェアリング横に右のように大きな吸入ダクトを装着していた。鈴鹿2&4に出場した浅見貞男のマシンもプラクティス時に同じ吸入ダクト を装着していた。 |
レースで用いられた車(おそらくK2)は左のフェアリングのように冷却風取入口にV字型(前に向かって開く)に板を取り付け、より多くの風を取り込むようにし、さらにフェアリング下側にも穴を開けていた。プラクティスで水温が異常上昇した対策と思われる。ローソンのマシンも同様。 右はソノートチームのマシンで、フレームに燃料タップが残っている。 |
レースでは、ホンダの4人が好スタート、2周目の終わりのメインストレート終わりでスペンサーが片山を交わすとそのまま独走、片山とハスラムが2位を争い。ローソンは最悪のスタート、ロバーツは幾分ましで追い上げる。ロバーツは9周目に2位浮上するが、スペンサーとの差は10秒もあった。3位のハスラムとフォンタンが3位争いを演じるが、ストレートではハスラムが早く、コーナーでフォンタンが追い付く展開。片山はその後ろでチャンスを窺っていたが、残り4周余りでペースを上げ、Jon
Ekeroldを抜く時に転倒・リタイア。レースはそのままスペンサーが優勝、以下ロバーツ、ハスラム、フォンタン、マモラ、ウンチーニ、ロシュ(ホンダRS500)、ローソン。最速ラップはスペンサー(1分26秒43)。 |
フランスGPの1週間後、ノンタイトルのイモラ200(イタリア)にロバーツ、ローソンが出場し、ロバーツが2ヒートとも優勝、ローソンは1ヒート5位、2ヒート3位で総合3位。ロバーツのマシンはK1で、2人のマシンには補助ラジエーターが装着された。 |
第3戦イタリアGP(モンツァ)
スタートからマモラ、ロバーツ、スペンサー、ハスラムの首位争いが繰り広げられ、その後ろにはルキネリ、ロシュ、ウンチーニの第2グループが続く。9周目にハスラムが2位に上がり、ロバーツの後ろにぴったり付くが、間もなくエンジンが異常振動を起こしペースダウン(クランクトラブル)。ロバーツはマモラをリード、16周目には最速ラップ1分52秒80を記録、さらにリードを広げる。しかし、ロバーツは21周目に周回遅れを抜く時にミスをしコースアウト、4位に落ち、しかも最終ラップに0W70がガス欠になりリタイア。レースはスペンサーが優勝、以下マモラ、ローソン、ウンチーニ、片山と続きフォンタンは7位。