初期のミシュランレース用タイヤ

  ミシュランのバイク用タイヤの歴史|2輪用ラジアルタイヤの時代を切り拓いたフランスの名門 (autoby.jp)

「1973年6月8日、マン島TT 500ccクラスで優勝したミシュランユーザーのジャック フィンドレー(スズキ)〜豪州人のフィンドレーによる勝利はミシュランのグランプリ最高峰クラス初優勝として歴史に刻まれることになった。 」  

 ライター氏は写真のマシンを500tレースのものとしているが、この写真のマシンはスズキTR500U(1973年型XR05)ではなく1973年型TR750(1973年型XR11)で、F750(フォーミュラ750)レースのもの。横ゼッケンの地色が黄色ではなく白色なのですぐ分るが、フェアリングの形も500とはかなり異なる。 正しい写真は右。Sale of Suzuki TR 500 (XR 05), 1973 | Classic Motorbikes (classic-motorbikes.com)
 

 「同年ミシュランはPZレンジのタイヤを発売したのだが、このタイヤは一般のタイヤショップで購入できる製品にも関わらず、レース専用タイヤ並みのポテンシャルを有していた。丸みのあるPZのプロファイルは大きい接地面積を稼ぎ、強いグリップを確保することが出来たのである。」

  

 当時のミシュランのレース用タイヤは、一般市販車用タイヤと同じ外観だった。M38、S41、M45の3種だと記憶する。上写真のXR05の前輪を拡大したのが左で、これはS41。右は市販車用S41。

 しかし、一般市販車用タイヤがレースでそのまま用いられマン島TTで優勝したのではない。レース用タイヤでは当然、コンパウンドが一般市販車用とは異なり、このレース用タイヤが(PZではなく)PZ2、PZ3、あるいはPZ4と称されていた。前述のように3種類のパターンがあるので、これらを区別するときは例えば「S41 PZ2」とされていた。

 

参考 ミシュラン技術者の回顧

 Dupasquier, 67, first joined Michelin in the early 60s and became fully involved in the company's race efforts in '73, just before Charade was struck from the GP calendar. "It was an absolutely marvellous circuit, like a mini Nurburging," he recalls. "It was in the hills, so it was uphill, downhill, blind crests, amazing, but also very dangerous. I remember the last few GPs there, giving our new PZ2 tyres to Christian Bourgeois, who was one of the first riders to start going really fast with our tyres. The PZ was just a road tyre, the PZ2 was the same tyre with a softer compound for racing. But these were the tyres that started us on the road to the success that we enjoy today." French GP: Michelin preview (motorsport.com)

 PZ2以外にPZ3、PZ4も用いられたが、DupasquierがPZ2のみを取りあげているのは、初期はPZ2のみだったからだろう。では、PZ2が登場したのは冒頭の記事のように「同年(1973年)」なのか?

 Charade シャレードはクレルモンフェランのコース名で、ここでフランスGPが行われたのは1974年が最後で、その前の開催は1972年だった(1973年はポールリカール)。言うまでもなく、クレルモンフェランにはミシュラン本社がある。

 Dupasquierは1960年代初めにミシュランに入社し、1973年にレース部門に全面的に関わることになるが、彼がこのコースについて語っているのは1974年のことなのか? 
 1974年なら、彼がサーキットの現場に行くことは珍しくなかっただろうし、GPでのミシュランユーザーも増えていた。1972年であれば彼がレース部門に全面的に関わる前に、地元のGPで見た数少ないミシュランユーザーのBourgeoisのことを取りあげる理由が明白だ。

 

  さて、 La Ténor de Camberoque » GP de France Charade 1972 (unblog.fr) は1972年フランスGPの一連の写真。
 500tクラスでのBourgeoisのマシンのタイヤの形状が他のマシンのタイヤ(ダンロップ)と異なる。また、左は前タイヤ、右が後タイヤを拡大したもので、タイヤに見える縦筋が他のライダーのタイヤ(ダンロップ)と異なり、ミシュランS41のように見える。
 
  christian-bourgeois-gp-france_hd.jpg (640×408) (lerepairedesmotards.com)  は1972年フランスGP350tの写真で、前のライダーがBourgeois。
 前タイヤ周りを拡大し、比較のために後続のライダーの前タイヤの写真を赤枠で貼りつけてみた。
 当時のダンロップレーシングタイヤは所謂「三角おむすび」形状で、バンク時に接地面積が大きくなるような形状だったが、赤枠内のタイヤはその典型例。Bourgeoisのマシンのタイヤの断面はこれとは異なる。

  このようなこと、そしてBourgeoisは1972年フランスGP500tで2位入賞したこと(一般市販車用タイヤとは思えない)から、1972年当初(フランスGPは第2戦)の時点でミシュランレース用タイヤがレースで用いられていたと考える。  

  Les records Bourgeois-Yamaha à Montlhéry - Z'humeurs & Rumeurs (over-blog.com)  は1971年12月4日にMontlhéryで行われた速度記録挑戦の記事で、ライダーはBourgeois。 
 125t(ヤマハAS3+レースキット)のタイヤはダンロップだが、ゼッケン7(ヤマハTR2)は前後ともミシュランS41が装着されている。PZ2かどうかは分らない。ゼッケン11のTD2(頁末尾の雑誌写真のマシン)のタイヤもミシュランS41のようだ。  

 1972年第4戦イタリアGPの記事(by 横山篤、モーターサイクリスト誌1972-8) 「タイヤはダンロップが圧倒的だがグッドイヤーも少々ある。中には高速タイヤ(レーシングではない)の中で評判のよいミシュランHを付けているライダーもいた」  
  当時のミシュランのレース用タイヤの外観は一般市販車用タイヤと同じだったから、横山氏はレース用とは分らなかったのだろう。ただ、少なくとも1972年GPの現場でミシュランタイヤが用いられていたことは間違いない。

  MENU