伊藤史朗の1960年

 「伊藤史朗は1963年、ヤマハにGP初優勝をもたらしたライダーである。」といえば、逆に伊藤史朗の存在を軽く見ることになるだろう。彼は日本のモーターサイクルレースの歴史に欠くことのできないライダーなのだ。

 1960年、伊藤史朗は個人出場という形でBMW-RSに乗り、世界GP500ccに挑戦した。これはBMWの日本輸入元であるバルコム貿易の支配人であったヘルマン・リンナー氏のバックアップにより実現したものと言われている。おもな戦績は次のとおり。

レース名 開催日 予選順位 レース順位 備考
オーストリアGP 5/1 3 8  
ザールGP(西ドイツ、Sankt Wendel 5/8 ? ?  
フランスGP(クレルモン・フェラン) 5/22 3 6 世界選手権
ホッケンハイムGP 5/29 ? 7  
オランダGP(アッセン) 6/25 ? 10 世界選手権
ベルギーGP(スパ) 7/3 ? 10 世界選手権

 「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(1973年八重洲出版)によると、オランダGPで「負傷をおして走ったが・・・」とあるので、オランダGPのプラクティスで転倒し負傷したのだろうか?どちらにしても、結果的に目覚しい成果を上げることはできなかった。ただ、当時、すでにBMW-RSそのものの競争力が低下していたこと、個人出場であったこと(八重洲出版社長の故酒井文人氏も一役買ったそうである)、初めてのコース(初めての舗装路)というハンデがあることを考慮すると、素晴らしい成績であるともいえる。
 GP初挑戦のライダーが予選で3位になった時の周囲の驚きは相当なものだったと思う。そしてそのライダーが舗装路をレーシングスピードで走るのも初めてと知ったとしたら・・・。

 下はベルギーGPでの写真である。
 
 左写真のスタート位置は次の理由から2列目のようである。
○背景にスパ・フランコルシャンサーキットの「スタート位置の白いグランドスタント」の後方(進行方向の反対側)のスタンドがある。
○伊藤史朗の後列のライダーがコース左端(向かって右)に位置しており、伊藤は偶数列であると考えられる。
○カメラマンの位置はかなり被写体にかなり近いようである。

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