カーボンニュートラル燃料
1 全日本選手権におけるカーボンニュートラル燃料導入の混乱
全日本ロードレース選手権JSB1000では2023年からCN(カーボンニュートラル)燃料の導入が進められた。導入にあたって出場チーム側から技術面での不安があったが、MFJは全く問題はないという姿勢だった。
「MFJの鈴木哲夫会長にエンジンが壊れる可能性があるか尋ねると「全くない」と語った。というのも、JISが定めている自動車ガソリンの要求品質(JIS K
2202:2012)に則った特性に仕上げられているからだ。 」JSB1000の新燃料導入にライダーから不安の声も。エンジントラブルは「全くない」とMFJ/全日本ロード
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しかし、実際にはエンジン始動性不良、オイル希釈による故障等が多発し、大きな問題となった。これについてMFJは2023事業報告書で次のとおり総括している。事業報告書 (mfj.or.jp)
・ 世界のモビリティ産業はカーボンニュートラルに向けて動き出しており、2021年よりCNF 導入に向けメーカーと議論を開始した。
・ 数社ある燃料候補の中からGTAと同様100%非化石由来のレーシング燃料(ハルターマンカーレス社制・ブランド名“ETS”)を選択。4メーカーによるベンチテストの結果、使用に問題ないことを確認し、導入を決定した。
・ 複雑な製造過程の燃料であるため、価格が高価でありエントラント負担を減じなければ導入が困難なことから、4メーカー/タイヤメーカー等ステークホルダーに分担いただき、エントラントの購入価格を抑えた。
・ 第1戦開幕に向けた公式テストに於いて、事前のベンチテストで顕在化しなかったオイル希釈とエンジンの始動性の悪さが現れ、使用課題となった。
・ 各社より燃調やオイル交換頻度を情報提供いただき、予定通り第1戦もてぎから使用を開始した。
・ 第2戦鈴鹿は、参加70名とスポット参戦が多く、燃料管理の難しさからCNFは適用外とした。
・ 第3戦SUGOからは、予定通りCNF適用に戻し、レースを行った。課題となっていたオイル希釈は、オイル管理と適時交換※により対処できたが、エントラントのオイル消費が増加。コスト負担が新たな問題となった。
・ エントラントコスト問題に対応する為、4社へCNF負担額を増額いただいた。(200 円/ℓ 追加)併せ、一部エントラントが購入燃料の管理が難しい為、残燃料の運搬、廃棄缶処理のサポートを行った。
・ 第6戦オートポリスから、CNFの臭いを改善したロットに変更。使用上の新たな問題発生はなかった。
・ 第3戦以降徐々に、エントラントの理解とCNF取扱いの練度が向上、不満の声は小さなものとなった。
・ CNFに起因するエンジントラブルは、導入した第1戦以降発生してない。
※ホンダレーシングは、オイル希釈によりオイル量が増加した場合「オイル抜き取り→次回増加時はオイル交換」を指導していた。【案内用】JSB_CN燃料の対応について0321.pdf |
2 燃料の蒸留性状等のエンジン性能への影響
第2編第1章第1節 自動車ガソリン|石油便覧-ENEOS
(eneos.co.jp) では、蒸留性状とガソリン性能の一般的関係は、次のとおりとしている。
●10%留出温度(蒸留する時にその10%が留出する温度)はガソリンエンジンの始動性と関係があり、高すぎると低温での始動性が悪化する。逆に低すぎると高温時にベーパーロックが起こりやすく、蒸発ロスの原因となる。
●50%留出温度は加速性・暖気性と関係があり、高すぎると加速に時間がかかったり、エンジン始動時の暖気性に影響する。
●90%留出温度は潤滑油への希釈や出力と関係がある。高すぎると潤滑油の希釈を起こしやすく、逆に低すぎると出力低下を起こす。
●ガソリンの蒸気圧に関しては、高すぎると夏季の高温時に、ライン中でベーパーロックが発生し、アイドリング不良や加速性不良の原因となる。一方、蒸気圧が低すぎると、冬季など低温時にガソリンの蒸気が生成しにくくなり、始動性に影響を与える。
これは以前(10年前?)に国土交通省ウエブサイトにあったデータを写したもので、上の一般的関係に沿って夏場と冬場で燃料の蒸気圧、蒸留性状を変えていることが分る。なお、このデータは平均値ではなく、あくまで実例である。
3 CN燃料の性状等
JSB1000で使用されるCN燃料はハルターマンカーレス社製「ETS Renewablaze Nihon
R100」である。その公式諸元、各サーキットの公式通知における同燃料及びプレミアムガソリンの諸元、自動車用プレミアムガソリンの日本産業規格(JIS K2202)
は次のとおり(いずれも抜粋)である。
注a)エタノールが3%(体積分率)超えで、かつ、冬季用のものの50%留出温度の下限値は65℃とする。エタノールが3%(体積分率)以下のものの50%留出温度は75℃以上110℃以下とする。
b)寒候用のものの蒸気圧の上限値は93kPaとし、夏季用のものの蒸気圧の上限値は65kPaとする。
c)エタノールが3%(体積分率)超えで、かつ、冬季用のものの蒸気圧の下限値は55kPa、さらにエタノールが3%(体積分率)超えで、かつ、外気温が−10℃以下となる地域に適用するものの蒸気圧の下限値は60kPaとする※。
d)野田が計算したもの。
e) 酸素分の単位が「(容量)%」となっていたが、「(質量)%」の誤りと思われる。出典の同一表中にベンゼン含有量の欄が2つあり、0.8と0.6だった。
※JISハンドブック25
石油(日本規格協会2019)では次のとおり記述している。 「~冬季を想定した始動性試験の比較結果からは通常のガソリンと比較してE10の方が気温マイナス10℃程度から始動性が悪化する傾向が認められた。このため、冬季においてE10を使用する場合、現行規格の下限値である44kPa程度の蒸気圧では始動性の問題が発生する可能性が高いという懸念があり、蒸気圧の下限値を上げて、60kPaとすることへの要望かあった~冬季用においては蒸気圧の下限値を55kPaとし、外気温が-10℃以下になる地域に限って60kPaとすることとなった」 |
1で前述のように、MFJはこの燃料を「JISが定めている自動車ガソリンの要求品質(JIS K
2202:2012)に則った特性に仕上げられているから問題ない」と判断していた。しかし、上表で分るように50%留出温度はJISを満足しておらず(本燃料はエタノール3%以上含有しているので、50%留出温度(℃)は70以上105以下が適用)、蒸気圧もJISを満足していないものがある。
また、他の項目がJISを満足しているからといって問題を生じない保証はない。2で前述のように、市販ガソリンはJISを満足した上で実運転条件で問題を生じないように蒸気圧(37.8℃)、蒸留性状を調整している。逆に言えば、JIS
K2022の範囲内であっても問題を生ずることがある。
市販ガソリンの性状と比べ、容易に想像できるETS Renewablaze Nihon R100の問題は次のとおり。
●蒸気圧(37.8℃)が、冬用ガソリンは勿論、夏用ガソリンよりも低く、また、JISの下限を下回るものもあるため、始動性に問題を生じる。なお、(ETSを販売するモトリティによると夏と冬で成分調整はしていない。
●50%留出温度が高く、加速に時間がかかったり、エンジン始動時の暖気性に影響する。
●90%留出温度がかなり高く、エンジンオイルの希釈を生じやすい。特に本燃料にはエーテル類、アルコール類が含まれ気化熱が大きいこともこれを促進する。
●酸化安定度が若干低く、燃料の保存性がやや低い。
上記MFJ報告書、2022年11月5日のJSB1000クラスカーボンニュートラル燃料導入/記者会見 (31分20秒以降)からすると、ベンチテストは済んだが走行テストはまだ、という段階で導入が決定されたようだが、特にエンジンオイル希釈というエンジン故障に繋がる問題を生ずることが各メーカー、MFJには分らなかったようだ。
MFJは、報告書で「オイル希釈は、オイル管理と適時交換により対処できたが、エントラントのオイル消費が増加。コスト負担が新たな問題となった。」としている。つまり、オイル希釈が解消したのではなく、オイルが希釈されればオイル抜き取り、交換という場当たり的な対応を強いたのである。
しかし、サーキット走行という油温が高くなり、エンジンオイルに混入した燃料が気化することが期待される条件において、オイルが希釈され続けるというのは明らかに異常な状態である。しかも、走行後にいきなり希釈されるのではなく、エンジン始動時からオイル希釈は始まっているのであり、走行中のエンジンオイルの品質は明らかに劣化し、エンジン各部に悪影響を与えないはずがない。おそらく、各部品の交換頻度は高まっているだろう。
MFJはエントラントの不満の声は小さなものとなったとしているが、これは「シーズン当初よりは小さなもの」であり、「不満の声は小さい」という意味ではないのではないか。