航空機用ガソリン(アブガス)

 かつて国内ロードレースで航空機用ガソリン(AVガス=アブガス)が使用されていた。鈴鹿サーキットの正面ゲート向かいのシェル給油機(歩道側)でアブガスが販売されていた記憶がある。他のサーキットがどうだったのかは分らないが、出場チームによっては飛行場でアブガスを購入していたようだ。

 これらの燃料のオクタン価がどの程度のものだったのか調べてみた。

1 MFJ競技規則
  1973年以降のMFJ競技規則を確認した。文言は私が解釈した内容を含む。

1973
【ロードレース特別競技規則】
 シェルレーシングガソリン
 公式車両検査および、公式予選中は、パドック内の所定の給油区域内において、供給を受けなければならない(シェルレーシングガソリン1L90円、ハイオク1L65円)

1974-76
【ロードレース規則】
 レース場内における大会事務局指定の装置より供給される銘柄
【ロードレース特別競技規則】
 公式通知で指定
 公式車両検査および、公式予選中は、パドック内の所定の給油区域内において、供給を受けなければならない

1977-86
【総則】
 一般市販ガソリン
 主催者が指定しレース場内にて供給する場合、ガソリンの銘柄およびその他の詳細は公式通知に
【ロードレース特別規則】
 ガソリンの銘柄およびその詳細は公式通知に
 車両検査及び公式予選中は、パドック内の所定の給油区域内においてガソリンの供給(1985年以降は「給油」)を受けなければならない

1987-89
【総則】
 一般市販ガソリン(民間航空機用ガソリンも可)
 主催者が指定しレース場内にて供給する場合、ガソリンの銘柄およびその他の詳細は公式通知に示される。
【ロードレース特別規則】
 ガソリンの銘柄およびその詳細は公式通知に
 車両検査及び公式予選中は、パドック内の所定の給油区域内においてガソリンの給油を受けなければならない

1990-91
【競技規則】
 一般市販ガソリン(民間航空機用ガソリンも可)
 主催者が指定しレース場内にて供給する場合、ガソリンの銘柄およびその他の詳細は公式通知に示される。
 ロードレースについてはロードレース細則による
【ロードレース車両細則】
 競技用ガソリンは一般に市販されているもの
 競技用ガソリンとは一般公道用の市販車に供するため、通常のガソリンスタンドで購入できるもの、各公認サーキットのガソリンスタンドで購入できるレース用ガソリンおよび民間航空機用ガソリンとする(国際A級についてはFIM規則に準じる)。

1992-93
【競技規則】
 一般市販ガソリン(民間航空機用ガソリンも可)
 主催者が指定しレース場内にて供給する場合、ガソリンの銘柄およびその他の詳細は公式通知に示される。
 ロードレースについてはロードレース細則による
【MFJ技術規則】
 競技用ガソリンとは一般公道用の市販車に供するため、通常のガソリンスタンドで購入できるもの、各公認サーキットのガソリンスタンドで購入できるレース用ガソリンおよび民間航空機用ガソリンとする

1994
 MFJ技術規則による
【MFJ技術規則】
〇競技用ガソリンとは一般公道用の市販車に供するために通常のガソリンスタンドで購入できるもの、あるいはMFJ公認サーキットのガソリンスタンドで購入できるレース用ガソリンおよび民間航空機用ガソリンとする
〇以下の内容に制限される  
 ●市場で入手可能な日本工業規格(JIS)に規定されたアブガス3号の仕様を満たし、市販されていること
 ●鉛の含有量は0.56g/L以下であること 
 ●モーターオクタン価が102以下であること 
 ●密度は0.700〜0.785g/㎖であること
*FIM規則のアブガス100LLに相当するものが国内のJIS規格のアブガス3号である。

1995
 MFJ技術規則による
【MFJ技術規則】
〇競技用ガソリンとは一般公道用の市販車に供するため、通常のガソリンスタンドで購入できるもの、あるいはMFJ公認サーキットのガソリンスタンドで購入できるレース用ガソリンおよび民間航空機用ガソリンとする
 ●鉛含有量0.013g/ℓ以下 
 ●モーターオクタン価89以下 
 ●密度0.700〜0.785g/ml
〇2ストロークは従来どおり

1996 
 MFJ技術規則による
【MFJ技術規則】
 ●サーキットで購入できるガソリンに限る 
 ●鉛含有量0.013g/ℓ以下  
 ●リサーチオクタン価100以下、モーターオクタン価89以下  
 ●15℃において密度0.725〜0.780g/ml
〇2ストロークは従来どおり (ただし、密度について「15℃において」が付記)

1997
 2ストロークについても4ストロークの規定が適用

2 航空機用ガソリン(アブガス)

  1のMFJ競技規則に「航空機用ガソリン」が登場したのは1987年である。ただし、アブガスも「誰でも買える市販ガソリン」であること、1977年から「一般市販ガソリン」とされるとともに「大会事務局指定の装置より供給される」規定が削除されたので、それ以降は競技者がアブガスをパドックに持ち込むことは可能だったと思われる。

  さて、1993年までは市販の航空機用ガソリンであれば特に制限はなかったが、1994年にアブガス100LL相当品に制限され、1995年に4ストロークエンジンは市販無鉛ハイオクガソリンに、1997年には2ストロークエンジンも市販無鉛ハイオクガソリンに制限された。

 オクタン価の測定法にはリサーチ法、モーター法、航空法、過給法があり、アブガスにはモーター法、航空法、過給法が用いられる。第二次大戦中の日本の軍用機用燃料のオクタン価はモーター法で測定したものである。

 航空機用ガソリンのJISにおけるオクタン価は次の通り。下左は1968年版、下右は現在。
  

 アメリカの規格・ASTMでは80/87、91/96、100/130、115/145の4グレードがあったが、91/96と115/145が消え、次いで80/87が消え、現在は100/130改め100、鉛化合物含有量基準が異なる100LL、100VLLが規定されている。下は80/87改め80、91/96改め91が残っていた頃の基準。

 基準が消えても115/145は市販されており、AVGAS 115-145 (warteraviation.com)からすると、モーター法オクタン価(MON)115以上、出力価145以上。

 1978年のMIL-G-5572F MIL-G-5572F.PDF(現在は削除)では次の通り(※MON測定値を換算)。
グレード      80/87       100/130     115/145
航空法オクタン価※        80         100      
航空法出力価※        115
過給法オクタン価    87    
過給法出力価                130       145

  JIS1968ではモーター法(JISではモータ法)、航空法、過給法のオクタン価または出力価が規定されていたが、現在はモーター法の価はない。1978年のMIL-G-5572Fも同様。
 航空法オクタン価・出力価の測定法も他3法とは別に定められていたが、アメリカの規格ASTM D2700が1968年に定められ、航空法オクタン価等はモーター法オクタン価から換算することとされている。1991年のJISモーター法オクタン価測定法(https://kikakurui.com/k2/K2206-1991-01.html) も同様で、同測定法中の表4が換算表。この表4によれば、

モーター法オクタン価80.8 → 航空法オクタン価80.11
モーター法オクタン価90.8 → 航空法オクタン価91.01
モーター法オクタン価99.6 → 航空法オクタン価99.95
モーター法オクタン価105.2 → 航空法出力価114.95

になる。 上のアメリカ規格(英語)のモーター法オクタン価と航空法オクタン価(または出力価)の関係はこの換算値とほぼ同じである。なお、現在、JIS モーター法オクタン価測定法は2018年版になっているが、モーター法オクタン価90以上の換算表(変換表)が表13として示されている。 https://kikakurui.com/k2/K2280-2-2018-01.html  

 以下は想像である。
〇115/145がアメリカの規定に盛り込まれた時は、モーター法オクタン価116、航空法出力価115、過給法出力価145が規定されていたのではないか?
〇115/145が規定から消えた前後に航空法オクタン価・出力価の求め方も変更されたのではないか? MIL-G-5572Fはその後の規定だろう。
〇現在、115/145は特殊な用途に用いられるものなので、航空法出力価ではなくモーター法オクタン価115をセールスポイントにしているのでは?

 1990年の国内登録ガソリンエンジン航空機全機の延出力の指定ガソリン別割合を整理したのが右図で、グレード100(100LLを含む、以下同じ)が大半であり、グレード115/145を指定する登録機はなかった。他に航空自衛隊のT-3、海上自衛隊のKM-2(何れも単発練習機)があるが、何れもグレード100が指定されていた。

 1990年当時、日本国内で最も多く流通していた航空機用ガソリンはグレード100であり、しかもこれが一般市販品で最もオクタン価が高かった。グレード115/145を必要とする航空機が存在しないこと、そしてグレード100で十分なエンジンにグレード115/145を使用できるが、鉛化合物含有量が多いために不具合を生ずる可能性が高まることから、グレード115/145が流通していたとは思えない。

 従って、サーキット(又はサーキット近隣)の給油機で供給されていたアブガスはアブガスはグレード100であろう。このモーター法オクタン価は100〜102であり、リサーチ法オクタン価は110程度だろう。

 グレード91のモーター法オクタン価は最低90.8であり、実質92程度と思われる。おそらくサーキット内の給油機で供給されていたレース用のガソリン(リサーチ法オクタン価102以下)と同等のモーター法オクタン価と思われるので、これがレースで用いられたとは考えられない。
 なお、グレード91を要求する航空機は少なく、かつ、グレード100LLで代替可能なので、1990年代、グレード91は流通していなかった可能性がある。

 では、出場チームがサーキットに持ち込むガソリンについてはどうなのだろうか?飛行場等で購入された航空用ガソリンなら、それはグレード100であろう。ただ、当時、elfのレース用ガソリンも用いられていたことが知られている。右は1993年4月発売のA誌に掲載されたエルフ・レース用ガソリンの広告から切り取ったもの。

 Motorcycle Tuning - 4 Stroke, Second Edition by John Robinson, Butterworth-Heinemann 1994によると、MOTO119はリサーチ法オクタン価119、モーター法オクタン価110以上で、鉛化合物含有量はアブガス100LLの2倍だった。MOTO124はリサーチ法オクタン価124でモーター法オクタン価は115程度だろう。
 
 これらのレース用燃料もアブガスの規格に適合するものであって誰でも購入できるなら、「一般市販ガソリン(航空機用)」として全日本選手権ロードレースで用いることが可能だったのだろう。

参考1 オクタン価は絶対的な指標ではない
 オクタン価はアンチノック性を示す指標であるが、測定法により測定値に大きな差を生じる。リサーチ法オクタン価で物質A>物質Bだったのに、モーター法オクタン価では物質A<物質Bになることもある。主要な化学物質のリサーチ法オクタン価、モーター法オクタン価は ja (jst.go.jp) の表2にある。

 しかも、実際の車のエンジンの構造はオクタン価測定に用いられるCFRエンジンと大きく異なり、その運転条件もリサーチ法、モーター法と大きく異なる。したがって、オクタン価とアンチノック性が一致しないこと、例えば「オクタン価が同値であってもアンチノック性に差がある」や「リサーチ法オクタン価99の燃料Aの方が同100の燃料Bよりアンチノック性が高い」ことがあっても不思議ではない。1980年代、ホンダがリサーチ法オクタン価102以下という基準の下、(トルエン含有量を高めるとモーター法オクタン価が低下するにも関わらず)1.5リッターターボF-1エンジンにトルエン84%燃料を用いたのはこのためである。

参考2 測定法の違いの無視
 
右表は、1997年シーズンの2ストロークエンジンへの無鉛使用義務付対応のため1996年11月に某社が某サーキットで行った講習会に関するA誌取材記事から抜粋したもの。
   RON(リサーチ法オクタン価)と航空法の測定法の違いを区別せずに「オクタン価は同程度」としている。
   
 ある航空事故調査報告書 AA2007-7-1-JA201X.pdf (mlit.go.jp) 20頁に「使用燃料をAVGAS100/130又はAVGAS100LLとしており、自動車用プレミアム・ガソリンのオクタン価は98〜100程度であることから、両者に差はない」とあり、公的機関にすらオクタン価測定法に複数あることが知られていないのだから、右表のような誤評価は当然かもしれない。
 なお、この表中の「緑」、「1.22mL/L」からすると、このアブガスは100LLではなく100(旧100/130)になるが、これは1996年のMFJ競技規則に適合しないはずである。まさか、某社がこの表を作成したものではないと思うが。

参考3 オクタン価は最大100という誤解

 上に示した航空事故調査報告書AA2007-7-1-JA201X.pdf (mlit.go.jp) 20頁に「オクタン価とは、アンチノック性を表す数値で100が最大値である」とある。また、この本147頁 Amazon.co.jp: 現代ミリタリー・ロジスティクス入門―軍事作戦を支える人・モノ・仕事 (-) : 孝司, 井上: Japanese Books 148頁でも 「ひらたくいえば、イソオクタンだけで構成する標準燃料と同等のアンチノック性を示したガソリンのオクタン価が100ということである。〜いずれにしても絶対量ではなく比率で示すのだから、試料となるガソリンのオクタン価が100を超えることはあり得ないはずなのだ」とあるように、オクタン価は測定法に関わらず100が最大値と誤解している方がいる。

 JISではリサーチ法、モーター法についてオクタン価120までの測定法が定められており、これはリサーチ法によるもの。 JISK2280-1:2018 石油製品−オクタン価,セタン価及びセタン指数の求め方−第1部:リサーチ法オクタン価 (kikakurui.com)  

 そもそも、ある燃料のアンチノック性がイソオクタン(オクタン価100標準物質)を上回っている場合でも、オクタン価の加算混合則からオクタン価を求められる。例えばある燃料とn-ヘプタン(オクタン価=ゼロ)を1:1で混合して、混合燃料のオクタン価が60なら、ある燃料のオクタン価は120になる。もちろん、実際はこんな方法ではなく、4エチル鉛添加、トルエン混合によって調製した高オクタン標準燃料を使用してオクタン価100を越える燃料のオクタン価を測定する。

参考4 1966-67年日本GPで使用されたガソリン
 1963-67年に日本で開催された世界GPの内、1966-67年は富士スピードウェイで開催されたが、富士スピードウェイで提供されたのはシェル・レースガソリン(リサーチ法オクタン価100)と三菱ダイヤモンドエキストラガソリン(同102)で、出場マシンの大半が前者を使用した。
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