当時のレギュレーション ●1973年当時、ライダーのランクは下級から上級にノービス、ジュニア、エキスパートジュニア、セニアとなっており、各全日本選手権レースではノービス、ジュニア、エキスパートジュニア、セニアの各レースが行われていた。 ●ポイントが与えられるライダーのマシンは公認車両をベースにしたものに限られていた。いわゆるファクトリーマシンはフォーミュラリブレ(FL)として出場はできるが、ポイント対象外(ただし仮表彰式は対象)。 |
「市販ロードレーサーは、古くは市販車をベースにその性能を拡大したマシンとして、現代ではワークスマシンのレプリカとして、国内外でレースの隆盛を支え、多くのレーシングライダーを育んできた」
1962年のホンダCR110、CR93、1976年のスズキRG500、1980年のヤマハTZ500は市販車をベースにしたマシン ではないと思うし、RS125R、RS250R、1981年以降のTZ250がワークスマシンのレプリカなのだろうか。まあ、一般市販車のNSR250Rも「レプリカ」なのだから、どうでもいいかもしれないが。
「1973年には、2ストロークエンジン主流の状況の中、4ストロークエンジンの公道用市販車CB125JXベースのマシンで角谷新二が全日本選手権125ccクラスのチャンピオンを獲得している」
ホンダの1973年当時の125tスポーツ車は、2気筒がCB125JX(プレスリリース)で単気筒がCB125Sで、レースで用いられたのはCB125S。1975年にCB125SがモデルチェンジしCB125JXになり(プレスリリース)、2気筒がCB125Tになった(5月1日発売)。角谷はセニア125cのチャンピオンだが、エキスパートジュニア125tのチャンピオンはヤマハ市販レーサー・TA125に乗る毛利良一で、下表のとおり、毛利は全6戦中5戦で総合優勝、 青木辰己、上田公次等と共にエキスパートジュニア・ライダーがセニア・ライダーを圧倒した。
1973年各125t各レース総合順位
No | サーキット | 1 | 2 | 3 |
1 | 筑波 | 青木E・Y | 江崎S・Y | 加藤E・Y |
2 | 鈴鹿 | 毛利E・Y | 片山E・Y | 上田E・H |
3 | 鈴鹿 | 毛利E・Y | 青木E・Y | 上田E・H |
4 | 鈴鹿(8耐) | 毛利E/近藤J・Y | 角谷S/上田E・H | 坂J/相沢J・H |
5 | 筑波 | 毛利E・Y | 青木E・Y | 江崎S・Y |
6 | 鈴鹿 | 毛利E・Y | 角谷FL・H | 江崎S・Y |
1974-75年の125tクラス各レース総合優勝者
1974 | 1975 | ||||
1 | 鈴鹿 | 毛利S・Y | 1 | 筑波 | 石井E・Y |
2 | 鈴鹿 | 上田S・H | 2 | 筑波 | 石井E・Y |
3 | 筑波 | 江崎S・Y | 3 | 鈴鹿 | 角谷S・H |
4 | 鈴鹿 | 上田S・H | 4 | 筑波 | 相沢E・H |
5 | 筑波 | 石井J・Y | 5 | 鈴鹿 | 上田S・H |
6 | 鈴鹿 | 毛利S・Y | 6 | 菅生 | 相沢E・H |
7 | 鈴鹿 | 上田S・H | |||
8 | 筑波 | 相沢E・H | |||
9 | 鈴鹿 | 上田S・H |
「さらに年ごとの改良、特にキットパーツによるエンジンの水冷化によって、MT125Rは基本設計の古かったライバルを突き放すことに成功。1976、77年は社内チームの飯田浩之が、1978年はRSC契約の上田公次がチャンピオンを獲得し、3年連続で全日本125を制覇している」
「このMT125Rの活躍を阻止するため、1977年にヤマハは水冷単気筒のワークスマシンYZRを投入、さらにこのマシンのレプリカである市販ロードレーサーTZも販売した」
あるいは、別冊モーターサイクリスト誌2010-1中の年表では1977年に「ワークスに水冷MT125R-LC」とあるので、ライター氏は水冷キット登場を1977年と考えたのかもしれない。
1977年にYZR125が登場したにも関わらず、77、78年とホンダライダーがチャンピオンになっているので、この文では「基本設計の古かったライバル」はYZR125、TZ125のようにも受け取れる。
以下に実際の状況を記す。
1976年、77年とMT125Rは125tクラスで敵なしの状態だったが、1977年最終戦日本GPでヤマハYZR125が登場し鈴木修により優勝、そしてYZRが1978年125tクラスを席巻する。ただ、このマシンはFLでありタイトル争いには関係なかった。そしてMT125R用水冷キット装着マシンが1978年最終戦日本GPに登場し、このマシンに乗るRSC契約の上田が江崎(YZR)を僅差でかわし優勝。
1979年はシーズン中にTZ125が市販(7月公認)され初登場した第7戦で石出和之により優勝、MT125R水冷の優位も失われるが、1980年シーズンはRS125R-Wが登場、TZ125に対し優位に立った。
1978-79年の125tクラス各レース総合優勝者
1978 | 1979 | |||
1 | - | - | 筑波 | 一ノ瀬A・H |
2 | 筑波 | 江崎FL・Y | - | - |
3 | 鈴鹿 | 江崎FL・Y | 筑波 | 斉藤A・H |
4 | 筑波 | 木山E・H | 鈴鹿 | 江崎FL・Y |
5 | 鈴鹿 | 江崎FL・Y | 筑波 | 斉藤A・H |
6 | 筑波 | 江崎FL・Y | 鈴鹿 | 江崎FL・Y |
7 | 菅生 | 江崎FL・Y | 菅生 | 石出A・Y |
8 | - | - | 筑波 | 斉藤A・Y |
9 | 鈴鹿 | 上田E・H | 鈴鹿 | 江崎A・Y |
Eはエキスパート、Aは国際A、FLはフォーミュラリブレ。
「-」:E125は開催されず。
斉藤は1979年第7戦からTZ125に乗り換え。
TZ125市販・公認により江崎のマシンも1979年第7戦以降は公認車両扱い。
初めに「当時のレギュレーションを理解せずに記事を書いているため」と書いたが、これだけ当時の125tクラスの実状を反映しない記事からすると、ライター氏は個々のレース結果はまったく確認せず、当時のランキング表を参考に想像で記事を書いたのではないか、としか思えないレベルであり、そうだとするならライター氏の「想像力」に感心させられる。これが雑誌のみに掲載されるのであればいつもの「雑誌屋」なのだが、メーカーのウェブサイトの記事なのだから・・・歴史が歪められメーカーの宣伝の道具になってしまった例である。