RACERS Volume 30

 
8頁

○ヤマハは1963年に開始した世界GP250tへのファクトリー参戦と同時期に  「1961年」の誤り。
〇〜TZ250が登場したのは’73年中盤のこと。市販ロードモデル=DX250の空冷エンジンを水冷化したエンジンを搭載したTZは、当時の高性能マシンであり前年までのTD2に引き続き250tを占拠 DX250を水冷化しただけなら大した性能ではない。「市販ロードレーサーTD3」の誤り。「TD2」は「TD3」の誤り。
〇ハーレーダビッドソン(実態は当時のハーレーの株主=AMFが買収したアエルマッキ この書き方ではアエルマッキが製造し、ブランドのみハーレーにしているとも読める。
〇車体もTZは'79年モデルでスチールからクロモリ製にフレームパイプを変えたものの  「クロモリ」をクローム・モリブデン合金と思っているのだろうか。クロモリ=クロームモリブデンスチールなのだが。

9頁

〇カワサキが撤退した’82年以降は 「'83年」の誤り。

11頁

○〜0W82は〜第11戦2位、そして最終戦で優勝と 最終戦に0W82は出場していない。TZ250による優勝。ライター氏は年間の結果表のみで記事を書いているのだろう。

12頁

○〜0W90('89年)と、マシンの改良は続けられたものの〜'87年13戦2勝、'88年14戦2勝、'89年15戦4勝である 「0WA7」、「15戦」、「15戦」の誤り。

13頁

○'89年はランキング5、7、8、10位と再び低迷した ランキング10位はアプリリリアに乗るヴィマー。

15頁

 
ライダー名の読みがおかしいものが多い。ドイツ人のRothが「ロス」とか・・・Bryans(1967)が「ブアイアンズ」になっているのは笑ってしまう。 また、「伊藤史」は「伊藤史朗」の誤り。

〇’63年から’72年まではファクトリー参戦(ファクトリーマシンの貸し出しで対応したシーズンもあった) ライター氏の「ファクトリーの定義」を確認したいところだ。1969〜72がファクトリー参戦で、1973-75がファクトリーでないという認識はさすがにおかしい。
〇’74年はTZが活躍したものの 74年にタイトルを手にしたヴィラのマシンはハーレー。
〇76年のコンストラクター=ハーレー この年のマニュファクチャラータイトルは、事前登録制(マニュファクチャラー名をFIMに登録したものだけがタイトル対象)だったが、ハーレーは登録していなかったため、ヤマハがタイトルを手にしたはず。名誉回復があったのか。

19頁

○♯8C・サロン 「D」(ドミニク)の誤り。

21頁

〇カダローラのインを、コシンスキーが鮮やかに差し返して 「アウト」の誤り。http://www.youtube.com/watch?v=-Q58dDeweps の7分40秒辺り参照。

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○(写真説明3)〜Round 5 West Germany 「Round 6 Austria」の誤り

23頁
○「(西ドイツGP)高速コースでの集団戦」
24頁
○「高速コースの3連戦」

 優勝者のレース平均速度(km/h)を比較する(スパはレース時、雨だったので、プラクティスの数字)。ライター氏によると黄色が「高速コースの3連戦」だそうである。西ドイツGPについて言うならライター氏はホッケンハイムで行われたと勘違いしたようだ・・・レース記録をまともに読まずに記事を書いたことがよく分る。

鈴鹿 ラクナセカ ハラマ ミザノ ニュルブルク ザルツブルク リエカ アッセン スパ ブガッティ ドニントン           アンダーストープ ブルーノ ハンガロ フィリップアイランド
153.1 141.4 136.6 158.7 156.9 179.1 160.8 166.5 165.3 148.5 147.1 150.7 151.2 133.3 162.7

27頁

スパフランコルシャンを初めて走るコシンスキーにとって 前年、500tクラスを走っている。

29頁

〇終盤の16周目にカルダスの背後で宙に舞った 「17周目」の誤り。レース順位表ではコシンスキーが16ラップ目を完了したことになっている。

31頁

〇2位を走行するカダローラに猛アタックする場面も。この波に乗って次戦スェーデンでも3位に イギリスGPで3位だったような書き方だが、2位入賞している。

36-37頁

〇(コシンスキーとブラドルは)最終ラップまでサイドbyサイドの激しい戦いを繰り広げる
〇露骨に苛つくカルダスの前でコシンスキーはタイトル獲得に向かって全開の戦いを続ける

〇ラスト2周、カルダスはシフトペダルを破損してピットイン
コシンスキーは明らかに余力を残し、ブラドルの背後に付く作戦を採った。そして、残り2周に入りスリップストリームから抜け出したコシンスキーがトップに立つと、あっという間にブラドルとの差を広げ、最速ラップを記録、最終ラップにさらに最速ラップを更新し(ただ一人の1分36秒台=1分36秒681)、たった2周でブラドルとの間に1秒987もの差を稼ぎ出しトップでゴールした。
 カルドゥスのシフトペダルが破損したのは、残り2周に入ってからで、ピットインしたのはRACERSの記述「残り2周」ではなく「残り1周」。リザルトではカルドゥスが26周のレースで24周したことになっているが、25周でピットインしても(ピットがフィニッシュラインの手前にあるので)24周しかリザルトに残らない。

39頁
 
PuigがYZRに乗ったことが全く忘れられている。http://www.formulamoto.es/zona-competicion/2006/12/01/alberto-puig-1967/2442.html

47頁
 
コシンスキーがヤマハ0WM1(後のYZR-M1)のテストを行っていたことを忘れないでほしい。

52頁

〇YD-1A/B YD-A/Bという名が知られている。
〇市販ロードスポーツ車のクランクケースに〜レース用エンジンとし〜
チェコスロバキアのMZ 気が付かないのなら、歴史を語るのを止めて欲しい。
〇(片山の写真)ROUND1 Venezuela 片山は第1戦に出場していない。この写真はフランスGPあたりではないか。

※あちこちに「一般市販車のクランクケース流用」といった記述がある。一般市販車(road)と市販レーサー(racer)のクランクケースの部品番号の最初の3桁(機種を示す)を整理してみた。一般市販車と市販レーサーでは機種記号が異なる。当時の雑誌にも「TZの乾式クラッチはそのままではRDに装着できない」という記述があった。TD2以降は「市販ロードスポーツ車のクランクケースと基本設計が同じクランクケース」とした方がよい。

1969 1972 1973 1976 1979
250 road DS6 DS7(DX250) RD250A RD250C RD250
246 278 278 ? ?
350/400road R3 R5(RX350) RD350A RD400C RD400F
168 278 278 1A1 2V0
250 racer TD-2 TD-3 TZ250A TZ250C TZ250F
? 328 328 1H3 1H3
350 racer TR-2 TR-3 TZ350A TZ350C TZ350F
239 328 328 1H3 1H3

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'70〜'72年のライダー・マニュファクチャラー両タイトルを獲得したのはヤマハ製市販レーサー〜ライダーだったのだ 「'73年」の誤り。
〇〜'73〜'74年には0W17というファクトリーマシンが存在したが 〜市販レーサーをベースにして造られたファクトリーマシン 0W17が走ったのは1973、75年。また、0W17の写真を観察すれば、TZ250とはかなり異なることが分る。2ストローク並列2気筒ピストンバルブという形が同じだけである。
〇クランクケースの流用によってストリートバイクの改造車と認められ、出場できるレースがあった 上表のとおり。どんなレースが確認したい。
〇'73年に車名をDX250Proから改めたRD250 2車が同じマシンみたいな書き方
〇エンジン打刻はDS6 DS7? 手元にあるTZ250F(3G2)のパーツリストでは、エンジン番号は430-997101から始まることになっている。
〇(1980TZ250)パワージェットを新規採用する大変更を受けた前作3G2 手元にある3G2のパーツリストではパワージェット付キャブレターではない。当時の雑誌記事でもTZ350のみパワージェット付キャブレター。

56頁

○トゥールナドルが1度も優勝することなく 多くのライダーがボイコットした第1戦フランスGPで優勝している。

61頁

17はJ.P.ルジアのマシン 「P.イゴア」の誤り。
47は全日本の本間〜のマシン 写真の本間のマシンは0W97ではなくTZ。

64頁

〇ドリブンギア側にのみ偏ったウェイトを持つ、不完全なバランサー 90頁の図でもそうなっているが・・・そんなバカな設計をヤマハがしたのか。

74頁

並列2気筒〜左右のピストンは、お互い、常に逆方向に
同じ速度で動いている〜
同じ速度ではない。ライター氏は「1次慣性力」と書いていながら、「1次」の意味を理解していないのではないか。

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