ホンダコレクションホールの説明
出典はホンダコレクションホールのウェブサイトです。マシンの名称をクリックすると出典の頁に繋がります。
「'63年の4気筒125ccレーサーRC146の改良型。'64年マン島TTで1-3位独占。12戦9勝してマニュファクチャラーズタイトル獲得。(オランダ TT優勝車 No.4 J.レッドマン)」
1964年125tクラスは全11戦で、ホンダは7勝している。第1戦USGPをホンダは欠場したので、ホンダが出場したレースに限れば10戦7勝。どちらにしても「12戦9勝」は誤り。
「'65年世界選手権ロード50ccクラスにおいて7戦5勝して、ホンダ初の同クラスマニュファクチャラーズ/ライダーズ チャンピオン獲得。(ダッチTT優勝車 No.6 R.ブライアンズ)」 1965年50ccクラスは全8戦だったが、ホンダは第1戦USGPを欠場したので、「7戦5勝」はホンダに限った戦績。 また、アップ型排気管のマシンを「ダッチTT優勝車〜」としているが、実際の優勝車は右写真のとおりで、ダウン型排気管。スタート時の写真はこちら。
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「'66年世界選手権ロード、50ccクラスにおいて6戦3勝。マニュファクチャラーズタイトルを獲得し、5種目制覇の一翼を担った。(マン島TT優勝車 No.1 R.ブライアンズ)」
1966年50ccクラスは全6戦で、ホンダは最終戦日本GPをボイコットしたので、ホンダに限れば5戦3勝。
このように「〇戦」が、開催されたGPの数なのか、ホンダが出場したGPの数なのか、統一されていない。 |
「'62年世界選手権ロード、125ccクラスに10戦全勝、マニュファクチャラーズ/ライダーズチャンピオン獲得。2気筒125ccロードレーサー最終型。(マン島TT優勝車 No.6 L.タベリ)」
ホンダは最終戦アルゼンチンGPを欠場したので、「10戦全勝」はホンダに限った戦績。
「'62年世界選手権ロード、250ccクラスに9戦全勝し、マニュファクチャラーズ/ライダーズ チャンピオン獲得。連続タイトル獲得に貢献。(西ドイツGP優勝車 No.101 J.レッドマン)」
ホンダは全10戦中9戦に出場し、全勝している。
ホンダの技術者だった八木静夫氏がまとめた「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(1994 HONDA R&D
Technical Review)によるとRC163が登場したのは、1962年秋の全日本選手権(鈴鹿)。
「'66年 世界選手権ロード、250ccクラス10戦全勝。マニュファクチャラーズ/ライダーズ チャンピオン獲得。2年連続タイトル獲得。('67年マン島TT優勝車 No.7 M.ヘイルウッド)」
1966年250tクラスは全12戦で、ホンダは最終戦日本GPをボイコット、さらにヘイルウッドは第9戦アルスターGPを欠場(グレアムは出場)した 。ホンダに限れば11戦10勝で、「10戦全勝」はヘイルウッドに限った戦績。
ホンダの技術者だった八木静夫氏がまとめた「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(1994 HONDA R&D Technical Review)によると、1966年型は3RC165とRC166(第10戦で登場)が用いられたとのこと。
「'62年世界選手権ロード、350cc出場。RC170、285ccに代わり、第7戦アルスターGPより投入。ホンダ初の3クラス制覇に貢献した。(鈴鹿優勝車 No.1 J.レッドマン)」
1962年350tクラスは全6戦で、アルスターGPは350tクラス第3戦。「第7戦」は350tクラスのなかったスペイン、フランス、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン(最終戦),を足し全11戦とした場合。
「世界選手権ロードレース125ccに挑戦して2年目、'61年第1戦スペインGPで、ホンダがグランプリレース初優勝を飾ったマシン。(優勝車 No.60 T.フィリス)」
「2年目」は1959年の初出場が忘れられた結果。