XR20(RF750) suzuki
私が知ることのできるレーシングマシンはサーキットを走るもの、そして雑誌等の取材によるものがほとんどである。しかし、それはメーカーの技術者達の成果のごく一部でしかない。技術者達は、すでによく知られたマシンですら素人が想像もつかない程の様々な仕様の製作・テストを行うのはもちろん、存在すら知られていないレーシングマシンを造り出している。そして、スズキXR20のようにその存在が明らかになる例が稀にある。
このマシンはスズキが1975年頃試作した750ccレーサーである。それまでスズキは一般市販車GT750(2ストローク並列3気筒)をベースにしたXR11(TR750)でF750(フォーミュラ750)、AMAのレースを戦いそれなりの成果をあげていた。しかし、1974年にヤマハの市販レーサーTZ750が登場し状況が一変した。TZ750は100%純血種のレーサーではなかったが、市販車ベースのXR11に対しては常に優位だった。そこで、スズキも市販車とは関係ない純血種のレーサーで対抗することとなった。
F750のレギュレーションが1974年までの「200台以上生産の市販車のエンジン」から75年には「25台以上生産車のエンジン」に緩和されたこともその要因になった。
外観から分るようにエンジンはXR11と同様に水冷並列3気筒ピストンバルブだが、XR11とは異なりクランクシャフトが直接クラッチギアに繋がるのではなく、ジャックシャフトを介している。したがって、クランクシャフトは後方回転する。また、点火用マグネトーもクランクシャフトで直接駆動するのではなく、ジャックシャフトから駆動される。各シリンダー/シリンダーヘッドは別体。クラッチ作動機構はクランクケース右、変速機はカセット式。 | 部品番号 シリンダーヘッド:11111XR2000 アッパークランクケース:11311XR2000 クラッチカバー:11340XR2000 マグネトカバー:11331XR2000 |
フレームに、左ブレーキ用のマスターシリンダー等を取り付けるステーがあり(上左)、バリー・シーン等のイギリス人ライダーによるテストが行われたか、行われることを予定していたことになる。TEAM SUZUKI(by Ray Battersby, Osprey 1982)では、技術者の回想として「We spent only three months bench-testing the XR20 before we stopped development. We had a frame for the XR20 〜」とあるが、実際には複数のフレームが製作されたようだ。
しかし、当時、スズキは4ストローク市販車GSシリーズの開発、市販が急務となっており、資金的・人的な余裕が少なくなっていた。GP500ですら75年までは純ファクトリーチームを出場させていたものが、76年はイギリスのスズキ輸入元ヘロン・スズキへの委託(いわゆるセミ・ワークスチーム)という形を取らざるを得なくなっていた。まして、F750出場となれば完成車を25台以上生産しなければならない。そして、ヤマハTZ750の登場により750ccレースの人気そのものに翳りが見えつつあった。このようなことからXR20の開発はストップした。
その後、1976年6月にGS750、7月にGS400、12月にGS550の量産が開始されるなど市販車の開発も軌道に乗り若干の余裕が出たこと、F750ではなくイギリスを中心としたオープンクラスのレースに出場することでもある程度の宣伝効果が得られることから、500cc4気筒をベースにした650cc4気筒XR23(ボア×ストローク:62×54o)が1977年に登場、さらに、750cc4気筒XR26(62×62o)の開発が進められた(実戦には登場せず)。この頃にはXR20の開発を再開する理由はなくなってしまっており、XR20が表に出ることはなかったのである。