XR14(1974-77年型RG500) SUZUKI
2 1975年
第2戦オーストリアGP(ザルツブルク) |
このレースからトラッカにXR14が与えられ、スズキは4台体制になった。しかし、Lansivuoriがプラクティスで転倒し、代わりにロベルト・ガリーナがXR14に乗ることになった。プラクティスはアゴスチーニが1分59秒51でポール、以下、金谷、トラッカ、リード、シーン、ガリーナでウッズは8位。 レースはアゴスチーニが優勝し、以下リード、金谷、トラッカ、ウッズでシーンは変速機故障、ガリーナは燃料系統のトラブルでリタイア。最速ラップはアゴスチーニ(1分57秒2)。 |
第5戦マン島TTレース(マン島マウンテンコース) 1973年、74年に引き続いてほとんどのファクトリーライダー達がボイコット、カワサキH1-RW(水冷並列3気筒)に乗るミック・グラントが優勝。なお、グラントが記録した最速ラップ21分59秒6は、1967年にマイク・ヘイルウッド(ホンダ500)が記録した絶対コースレコード20分48秒8に遠く及ばないものだったが、グラントは1000ccクラス(世界選手権ではない)でKR750に乗り最速ラップ20分36秒8を記録、ヘイルウッドの絶対コースレコードを更新した。 |
レースではシーン(上右)とアゴスチーニ(上右:シーンの後ろ)の接戦となるが、中盤以降ペースダウンし、互いに様子をみるような状態。そして終盤アゴスチーニがスパートしてリードするが、シーンが追いつき最終ラップの最終コーナーからの立ち上がりでシーンがアゴスチーニをかわしてスズキ500cc4気筒初優勝をもたらした。以下リード、ニューボルド、Lansivuori、ボネラ。最速ラップはシーン(2分55秒5)。 上左の2台のLansivuoriのマシン、上中の2台のシーンのマシンの内の右側のマシンのテールカウルに数字の1、2が書かれており、マシンを区別している。シーンは1と書かれたマシンをレースで使用した。このマシンの左前フォーク上部に「5」と書かれており、これがフレーム番号を示しているならフレーム番号は1005なのだろう。 |
第8戦スエーデンGP(アンダーストープ) プラクティスはシーンが1分42秒75でポール、以下Lansivuori、アゴスチーニ、リード、ボネラ。ニューボルドにXR14は与えられず、以降のレースではXR05Vに乗った。 レースはシーンが優勝、以下リード、ジョン・ウィリアムス(ヤマハ)、ボネラで、Lansivuoriは転倒。最速ラップはシーン(1分41秒85)。 |
第10戦(最終戦)チェコスロバキアGP(ブルノ) プラクティスはLansivuoriが3分37秒4でポール、以下シーン、リード、アゴスチーニ。 レースではシーンはクランク破損で、Lansivuoriはクラッチ故障でリタイア。アゴスチーニとリードのタイトルがかかったレースはリードが優勝したものの、アゴスチーニは着実に2位入賞しヤマハに初の個人タイトルをもたらした。3位はアレックス・ジョージ(TZ750)。トラッカがXR14で出場したということだが記録は不明。最速ラップはLansivuori(3分41秒5)。 |
1975年、XR14の戦闘力は向上し2勝を挙げたものの、依然としてエンジン等の故障が多かった。しかし、シーズン後半に見せた速さはライバルチームにとって脅威であり、スズキが500ccタイトルを獲得する日は近いと思われるようになったのである。
ランキング
F | Atr | A | I | TT | N | B | S | Fin | Cz | Total (gloss) | |
Agostini | 15 | 0 | 15 | 15 | - | 12 | 0 | 0 | 15 | 12 | 84(84) |
Read | 10 | 10 | 12 | 12 | - | 10 | 15 | 12 | 0 | 15 | 76(96) |
金谷 | 12 | 15 | 8 | 10 | - | - | - | - | - | - | 45(45) |
Lansivuori | 0 | 12 | 10 | - | - | 6 | 0 | 0 | 12 | 0 | 40(40) |
Williams | 0 | 0 | 0 | 0 | 12 | 4 | 6 | 10 | 0 | 0 | 32(32) |
Sheene | - | - | 0 | 0 | - | 15 | 0 | 15 | 0 | 0 | 30(30) |
有効得点は10戦中ベスト6戦の合計得点。 ウッズ、ニューボルド(XR05Vでの成績を含む)、トラッカ(MVでの戦績を含む)はランクキングは16位、8位、9位。 |
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