トーハツ
取り合えず、1974年のオートバイ誌に掲載された記事を転載しています。「トーハツ」といってもご存知ない方が大半だと思いますが、このトーハツです。 |
106Y
トーハツ125ccGPレーサーは第3回浅間火山レースに出場したLRをその源と考えられる。しかし、その市販モデルLD2はごく少数(40台)の手に渡っただけで、61年プレス鋼鈑フレームのLD3にバトンタッチされた。そのLD3のエンジンをベースに、パイプ製ダブルクレードルに載せた106Yが生沢徹、玉田真市らワークスライダーによってレース活動に参加した。
ボア×ストローク43×43mm、124ccの2ストロークピストンバルブ吸気のエンジンは18PS/10000rpmといわれる。点火はバッテリー式。50ccCRにも用いられたチューニングピースが設けられている。108Xと呼ばれたこのエンジンはその後シモンズに貸与され、ヨーロッパで転戦を続けながら改良が続けられ、21PS/11000〜12000rpmまでチューンされた。この21PSはピストンバルブ吸気エンジンとして当時世界でも最高のパワーである。
フレームは62年軸距が1215mmと1235mmの2種類が作られたが、63年より1235mmのものが採用された。タンクは当初18リットルのものが採用されたが、レースでの燃費から12リットル程度まで減らしている。車重は78kgで、21PSが得られた67シーズンが期待されたが、結局一度もレース参加せぬうちに会社の縮小によりその生命を閉じた。
105Y
1962年全日本選手権ロードレース50ccクラスに出場したトーハツのマシンにはエキスパンションチャンバーが2本ついていた。125ccクラスですらツイン化がようやく図られ、スズキもRT62でシングルとしていた時である。もちろん、ホンダ、スズキとも50ccはシングルであった。しかしツイン化による高回転高出力の目論見は、材質、パーツなどの安定しない時期だっただけに軸受の焼付きなどトラブルが多く、結局62年のレースでは予選にすら出場できなかった。
その後対策が施され、世界GPにDave・Simmondsが参加している。
社内呼称104Xというボア×ストローク31×33mmの49.8cc、2ストローク空冷ツインエンジンはシリンダーヘッドこそアルミ合金製ながら、シリンダーは鋳鉄製だった。
キャブレターは45度上向きのフロート別体式のレーシングキャブ、9.9の圧縮比で最高出力は9.2PS/12300rpmと高回転高出力の先端を切ったわけだ。
潤滑はプランジャーポンプによる強制と混合との併用である。点火は6Vバッテリーを電源としたバッテリー式である。
ミッションは6速だったが、ピーキーなエンジン性格とのマッチングが悪く、62年10月6日完成当時スズカでのテストタイムは玉田真市により3分18秒、スズキは3分1秒とかなりの差があった。
フレームは鋼管ダブルクレードルで社内呼称は105Y。フロント2.00-18、リア2.25-18、フロントブレーキはエアスクープ付のダブルパネルシングルカム、リアシングルカムで乾燥重量は56.5kgとかなり重い。
かなり先を読んだマシンだったが、真価を見せるまでもなく、その開発は会社とともに運命をともにした