RS750R HONDA
鈴鹿サーキットでは1960年代から耐久レースが行われていたが、1973年の8時間耐久レースの後、第一次石油ショックのあおりで3年間、耐久レースは行われなかった。そして1977年に6時間耐久レースとして復活、その成功により1978年には8時間の国際耐久レースが行われた。 1980年に世界耐久選手権が始まり、鈴鹿の耐久レースもその1戦として行われることになった。車両規格はTTフォーミュラ1(TT-F1)で、公道走行可能な市販車のエンジンをベースにすることが義務付けられた。排気量は4ストローク1000cc〜600cc、2ストローク500cc〜350ccである。そして、1984年から4ストロークの上限が750ccに切り下げられた。 |
1983年、ホンダ以外にスズキ、カワサキが世界耐久選手権にファクトリーマシンを走らせており、鈴鹿8時間耐久レースにも世界耐久選手権を転戦するマシンが走っていた。しかし、1984年の8時間耐久レースにファクトリーマシンを持ち込んだのはホンダ以外にはスズキ、ヤマハの各1組だけだったし、それも来るべき新型マシンまでの過渡的なものだった。
ホンダが持ち込んだマシンは次のとおり。右スイングアームピボット部周辺の補強、スイングアーム、ステップ装着(可能)位置等に差がある。
No |
エンジン番号 |
フレーム番号 |
ライダー |
チーム |
レース |
右スイングアームピボット周辺補強 | ステップ装着可能位置 | スイングアーム補強 | サイレンサー後端突き出し |
1 |
RS750RE-4808 |
RS750RF-4808 |
Baldwin, Merkel |
ホンダUSA |
○ |
無 | 2箇所 | ? | 有 |
2 |
RS750RE-4806 |
RS750RF-4806 |
Sarron, Bertin |
ホンダ |
○ |
有 | 1箇所 | 無 | 無 |
3 |
RS750RE-4811 |
RS750RF-4805 |
Igoa,Coudray |
○ |
有 | 2箇所 | 無 | 無 | |
3T |
RS750RE-4807 |
RS750RF-4807 |
無 | 2箇所 | 有 | 有 | |||
6 |
不明 |
RS750RF-4809 |
Roche,Gardner |
HRC |
○ |
有 | 1箇所 | 無 | 無 |
6T |
RS750RE-4801 |
RS750RF-4801 |
? | 2箇所 | ? | 有 |
備考:車検時のもの。レースではエンジンが積み替えられた可能性はある。
レースはベルタン、ロシュ、ボールドウィンのホンダ勢が飛び出したが、クロスビー(スズキXR36(ヨシムラスズキGSX750R))が3周目にホンダ勢に割って入る。そしてモリワキ・ホンダCBXに乗る八代俊二が追い付いた。そしてロシュとクロスビーがトップを争う。
1時間が過ぎ、最初のピットインの後、ロシュから替わったガードナーは首位に立つが、34周目にシケインで他車と接触し転倒、ピットインし破損したステップを交換、3位に落ちる。首位はクロスビーから交替したウィリングスになるが、ペースが上がらず、46周目にマーケル(ボールドウィンから交替)に抜かれる。両車はピットインしそれぞれライダー交替、クロスビーはボールドウィンを追い上げる。81周目、ボールドウィンがピットイン、クロスビーが首位との差を詰めるが、クロスビーのマシンのエンジンがブロー、コンロッドがクランクケースを突き破りリタイア。
ボールドウィン/マーケル組と同一周回を走るのはロシュ/ガードナー組だが、4時間過ぎ、115周目の第2コーナーで転倒。その後はボールドウィン/マーケル、ベルタン/サロン、コードレイ/イゴア組が安定した走りを見せ、そのままレース終了まで圧倒的な強さを見せた。ボールドウィン/マーケルの周回数は191周で、1000ccTT-F1最後の年である前年の記録190周を上回る新記録だった。 4位に浮上していた上野真一の乗るヤマハXJ750R(0U28)はレース終了10分前にエンジンストップ、上野はゴールライン直前にマシンを止め、トップがフィニッシュした後にマシンを押してゴール、その間にモリワキ・ホンダCBX(樋渡治/福本正)に抜かれたが5位入賞した。 |
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マーケル | ボールドウィン |
2 現存するマシン