3 1980年  

 1980年、車両規定をTT-F1とする世界耐久選手権が始まり、鈴鹿8時間耐久レースもその1戦として行われることになった。1980年に用いられたRS1000フレームは次の4種類が確認できる。

区分 差異等
80-1 79-1に似ている。後クッションユニット上部取付部2箇所あり。同一フレームで2箇所を選択できた可能性もある。
80-2 フレームパイプの取り回しがそれまでと異なる。
80-3 プロリンク後サスペンション。
482 RCB100フレーム、スイングアームピボット部が偏心軸。新型フレームの可能性もある。

 79-1・2、80-1ではバックボーン、ダウンチューブが1本のパイプで繋がっているのに対し、80-2、80-3ではダウンチューブ/リアアッパーパイプ(スイングアームピボット付近からシートレールに向かうパイプ)が1本のパイプで繋がっている。
  また、前フォークは内径、外形を大きくした新型(仮にC型とする)が登場し、482フレーム以外ではこれが標準になった。

 左写真(撮影場所不明)の左のマシンは482フレームで、右は80-1または80-2フレーム(おそらく80-1)。右のマシンの前フォークはC型。1979年まで後クッションユニットは倒立型であったが、左のマシンは正立型の新型で、このタイプが主に用いられた。また、右のマシンのエンジンは900-2シリンダー。
 また、両車とも消音器が79年型より小さくなっている。 

  上中(撮影場所不明)のマシンは80-1フレームで、後クッションユニット上部のフレーム装着部がシートレール下ではなく、リアアッパーパイプ上部にある。この装着部は2種類ある。あるいは同フレームで2箇所のどちらかを選択できるようになったのかもしれない。エンジンは750シリンダー。スイングアームが79-1、79-2、482より太くなっていることが分る。

   上右(撮影場所不明)のマシンは80-1フレームで、後クッションユニット装着部は通常の位置。前フォークはC型で、エンジンは900-2シリンダー。

 第1戦アッセン8時間(オランダ)にホンダ・フランスからレオン/シュマラン、フォンタン/モアヌが出場した。左はレオン/シュマラン、右はフォンタン/モアヌのマシンだが、何れも482フレームで、前フォークはB型。

 レースはフォンタン/モアヌが優勝し、レオン/シュマランが6周遅れの2位。

 第2戦ニュルブルクリング8時間(ドイツ)はレオン/シュマランが優勝するが、第3戦エステルライヒリング1000km(オーストリア)ではジャン・ベルナール・ペイル/ピエール・エチエンヌ・サマン(スズキXR69)が優勝、フォンタン/モアヌは5位だった。 

 第4戦バルセロナ24時間(スペイン)ではドゥカティが優勝。シュマランは転倒し負傷、第5戦鈴鹿8時間を欠場することになった。右はおそらくレオン/シュマランのマシンで、482フレーム、前フォークはB型。エンジンは900-2シリンダー。

 

   
 第5戦鈴鹿8時間(7月27日)では、右表のマシンが持ち込まれた。ゼッケンは車検、プラクティス時のもの。また、前年に引き続き、木山/阿部がCB900F改修フレームにRS1000エンジンを搭載したマシンで出場した。
ゼッケン フレーム ライダー 留意点
1 80-3 レオン/ビルジニオ・フェラーリ  
1T 80-2 80-1の可能性あり
2 80-3 フォンタン/モアヌ  
2T 80-2  
8 80-3 スペンサー/ロン・ピアス  
8T 80-3  
9 80-3 ハスラム/ロジャー・マーシャル 他に9Tが持ち込まれた可能性あり
1 1T 2 2T(Tマーク外している)
8T(Tマーク外している) 9

 金曜日18時30分からのフリー走行でレオンが転倒し左鎖骨等を骨折、土曜日のプラクティスではピアスが転倒し脊髄圧迫骨折等負傷し、急遽、スペンサーとフェラーリが組むことになった。
 レースではフォンタン/モアヌが80-2フレーム(おそらく2T)を、スペンサー/フェラーリ(おそらく8)、ハスラム/マーシャルが80-3フレームを使用した。

 日曜日のレースは11時30分にスタート、スペンサーは3周してピットインしリタイア。そして、グレーム・クロスビー/ウエス・クーリー(XR69)、グレッグ・ハンスフォード/エディー・ローソン(カワサキ)が激しく首位を争い、終盤、1時間40分余りを1人で走ったクロスビーがハンスフォードに40秒差を付け、200周の新記録でチェッカーを受けた。フォンタン/モアヌが197周で3位、木山/阿部、ハスラム/マーシャルは196周で5、6位。

  第6戦リェージュ24時間(ベルギー)ではフォンタン/モアヌが優勝し、ランキング1位に立った。シュマラン/ケニー・ブレーク(レオンは欠場)が5位。左はモアヌ、右はフォンタンで、マシンは482フレーム、B型前フォーク。

 482フレームのチェーン遊び調整はスイングアームピボットの偏心軸で行う。バルセロナ24時間、リェージュ24時間で482フレームが用いられたことからすると、ホンダ・フランスは482フレームの方がチェーン遊び調整が容易と判断していたようだ。

 最終戦ミサノ1000km(イタリア)ではクリスチャン・ユゲ/リシャール・ウバン(カワサキ)が優勝し、フォンタン/モアヌが2位入賞し、初の耐久世界選手権はフォンタン/モアヌが獲得した。

 当時、耐久レースで人気のあったのはフランスで行われるボルドール24時間(1977年まではルマン、78年以降はポール・リカールで開催)、ルマン24時間(1978年以降開催)で、第1戦ミサノの前に行われたルマン24時間ではフォンタン/モアヌが優勝した。このレースはTT-F1規定によらないため、優勝マシンは大径キャブレターを装着していたといわれている。また、エンジンは492の可能性もある。

 また、ミサノ1000kmの後のボルドール24時間は世界耐久選手権の1戦として行われるはずだったが、主催者はエントリーを増やすことを優先し、世界耐久選手権ではなくオープンクラスとして行われた。

 レオン/シュマラン、フォンタン/モアヌ、スペンサー/アルダナが乗ったマシンは1062ccのRS1000で、フレームはいずれも80-1または80-2のようだ。午後3時にスタートしたレースでは、アルダナが午後8時過ぎにエンジン故障でリタイア、翌日3時前にフォンタンが転倒しリタイア。そして、5時過ぎにレオン/シュマランが変速機故障でリタイア、サマン/フランソワ・グロス(XR69)が優勝。


現存するマシン

RS1000E-81TT01/RS1000F-800102

  BS誌08-6に掲載されたマシン。フレームは80-2で前フォークはB型。後クッションユニットは1979年型以前のもの。

 記事解説では1979年鈴鹿8時間耐久優勝マシンになっているが、フレーム形状が1979年型とは異なる。また、フレーム番号の「80」は1980年型を示している(写真からするとフレーム番号はフレームに直接打刻されているようだ)。なお、フレーム番号の「01」は「00」に次ぐ2番目のタイプを示していると思われる。

 燃料タンクに1980年ボルドール24時間の車検ステッカーが貼られているとのことだが、このフレームがこのレースを走ったかどうかは分らない。現存するマシン、特に海外で現存するマシンにはあり合わせのパーツを組み合わせてそれらしく組み上げたものがあるからである。

 エンジンは1981年型と思われるので4で記述する。

4 1981年

 1980年までホンダで活躍したシュマランは1981年はカワサキに移籍し、レオンは1980シーズン後、スズキ竜洋テストコースでの事故で死亡した。また、1980年にタイトルを手にしたフォンタンは1981年はソノート・ヤマハへ(0W53で500ccクラスに)、モアヌはスズキ・フランスに移籍、ホンダの耐久レース活動を担ってきたホンダ・フランスの陣容は大きく見直しを迫られた。その結果、マイク・ボールドウィン/デーブ・アルダナ、ドニミク・サロン/ジャン・クロード・ジョベールの2組に1981年型RS1000が与えられることになった。

 81フレームはダブルクレードルのダウンチューブとバックボーンがスイングアームピボット付近で結合し、リアアッパーパイプがその結合部の上側から立ち上がるようになった。また、1980年型以前ではバックボーンはステアリングヘッド下部から曲がりながらスイングアームピボット部に繋がっていたが、81フレームではステアリングヘッド上部から一直線にスイングアームピボットに繋がっている。また、後クッションユニットが前傾し、上部取付部は2箇所選べるようになっている。

 前フォークはC型に加え、新型(仮にD型とする)が用いられ、これはTRAC(Torque Reactive Anti-dive Control(トルク応答型アンチダイブ機構)とが装着されている。また、アウターチューブ横にパイプがあり、位置依存型ダンピング可変機構も組み込まれていたのかもしれない。
 後クッションユニットは倒立型(仮に81A型とする)と倒立型でリザーボアを持つもの(81B型)が用いられた。

 第1戦ルマン24時間では、ボールドウィンが、オイル漏れ時にピットを逆走し失格、サロン/ジョベールも20時間でエンジントラブルでリタイア、ユゲ/シュマラン(カワサキ)が優勝。左はプラクティス時のボールドウィン/アルダナのRS1000、中はアルダナ(おそらくレース中)。

 前フォークは何れもC型、後クッションユニットは81A型で、前チェーンスプロケット軸上に発電機が装備されている。

 第2戦ニュルブルクリング8時間ではサロン/ジョベール(上右はサロン)が優勝、第3戦エステルライヒリング1000km、第4戦バルセロナ24時間とレイモン・ロシュ/ジャン・ラフォン(カワサキ)が2連勝、ホンダ・フランスの2組はこの2レースで得点を挙げられないまま、第5戦鈴鹿を迎えた。

 第5戦鈴鹿8時間(7月26日)では、ホンダ・フランスの2組に加えて、ホンダ・ブリテン(エントリーリストではホンダUK)のロン・ハスラム/ジョイ・ダンロップがエントリーした。79、80年と出場した木山/阿部はライダーの負傷のためエントリーを取り消し。
 確認できたマシンは次のとおり。

ゼッケン フレーム ライダー 留意点
1 81 ボールドウィン/アルダナ スイングアーム下部補強追加(1T1、2と同じ補強にプレート溶接)、レースでは1T1と同じスイングアーム(おそらく1T1のスイングアームを移設)、D型前フォーク、81B後クッションユニット
1T1 81 スイングアーム下部補強追加、C型前フォーク、81B後クッションユニット
1T2 市販CB改造 本来は木山/阿部組用
2 81 サロン/ジョベール スイングアーム下部補強追加、プラクティス前に後クッションユニットを81Aから81Bへ変更
9 80-1改? ハスラム/ダンロップ 後述
1 1T1(最後の「1」はこの時点ではない)
1T2 2 9

 ホンダ・フランスのRS1000は何れも前ホイールはコムスターで、後ホイールは1T2を除きダイマグ製マグネシウム合金キャスト、ホンダ・ブリテンのマシンは前後ともダイマグ製。

 レースでは、ハスラムがスタートよく飛び出すが、アルダナが2周目に首位に立ち、しばらくするとクロスビー(スズキXR69)、ガードナー(モリワキ・カワサキ)、ハスラムが追い上げる展開となる。ジョベールは20周目に転倒し、リタイア。1回目のピットインの後、クロスビーから引き継いだウェス・クーリーが首位に立つが、2回目のピットインの後、クロスビーはエンジン故障で58周でリタイア、ガードナーも61周目に転倒、リタイア。そしてハスラムはピットアウトの際の電気系故障で8番手に落ち、94周目にはダンロップがヘアピン手前の110Rで転倒、大きく遅れ、184周でエンジン故障でリタイア。レースはそのままボールドウィン/アルダナが199周で優勝した。

  第6戦リェージュ24時間(ベルギー)ではサマン/ジャック・ルク(XR69)が優勝、サロン/ジョベールが4位、第7戦ムジェロ1000kmはウゲ/シュマラン(カワサキ)が優勝、第8戦(最終戦)イギリス耐久GP(ドニントン)はモアヌ/ウバン(XR69)が優勝、サマン/ルクが2位、ロシュ/ラフォン(カワサキ)が3位で、3位の2人が世界選手権を獲得、カワサキもメーカータイトルを手にした。

 ボルドール24時間は"例年どおり"、世界選手権ではなくノンタイトルレースとして行われ、ホンダ・フランスからサロン/ジョベール、ボールドウィン/アルダナ、ベルナール・フォウ/ミシェル・フルチがエントリー。3組のマシンいずれも1062ccという説と、サロン/ジョベールのマシンのみ998ccという説がある。また、サロン/ジョベール以外のマシンは改良フレームという説もある。

 レースはサロン/ジョベールが優勝、ボールドウィン/アルダナはアルダナの転倒等で遅れ5位、フォウ/フルチはスタート後2時間までにエンジン故障でリタイア。

 左上のサロンのマシンのエンジンは900-2シリンダーのようだ。前フォークはD型、後クッションユニットは81B型。スイングアームはシーズン当初のものに似ているが、車軸付近の形状が異なる。右上のボールドウィンのRS1000のスイングアーム下部の補強は鈴鹿8時間の時の丸パイプではなく角型のようだ。

ホンダ・ブリテンのRS1000

 鈴鹿8時間に出場したホンダ・ブリテンのRS1000は、ホンダ・ブリテンがイギリス国内(マン島を含む)で使用していたもので、80-1フレームをベースにイギリスに製作されたもののようだ。特徴は次のとおり。

・前フォークに機械式アンチダイブ機構を装着
・スイングアームは80年型で両側の中央やや後方にプロリンク機構を設け、スイングアーム本体下側に角型補強追加
・スイングアームの本来のクッションユニット装着部が残されており、装着部を5箇所選べるようになっている
・後クッションユニットはコニ
・セルモーター付近とフレームを繋ぐパイプを追加

 ホンダ・ブリテンでは、このように独自のマシン改修を行っていた。下は他のレースでの状況である。

トランスアトランティック・
トロフィー
マン島TT-F1 マン島クラシックTT
ライダーはハスラム。基本的に鈴鹿8時間でのホンダ・ブリテンのマシンと同型と思われるが、後クッションユニットはコニ。本来のクッションユニット装着部はそのまま残されている。エンジンは750シリンダー。 ライダーはハスラム。81フレーム、C型前フォーク(機械式アンチダイブ機構付)、補強追加スイングアーム(鈴鹿8時間でのホンダ・フランスのマシンとは異なる形状)、81Aクッションユニット。また、オイルクーラーを前フォークの前に移設してある。 ライダーはダンロップ。鈴鹿8時間でのホンダ・ブリテンのマシンと同型と思われるが、プロリンク機構は使用せず、スイングアームのプロリンク装着部に蓋がしてある。後クッションユニットはコニ。 ハスラムかダンロップのマシンで、プロリンクサスペンションではあるが、フレーム本体が鈴鹿8時間でのホンダ・ブリテンのマシンと同型かどうか分らない。エンジンは750シリンダーのように見える。後クッションユニットはコニ。


現存するマシン

(1)RS1000E-81ED04/-(フレーム番号不明)

 ホンダが保有するマシンで、エンジンは900-2シリンダー。エンジン番号からすると「81年の耐久仕様の4番目のエンジン」ということになる。前フォークはD型、後クッションユニットは81B型。スイングアーム補強の形状が鈴鹿8時間耐久でのホンダ・フランス、ホンダ・ブリテンのマシンとは異なり、ボルドール24時間でのボールドウィン/アルダナのマシンと同型のようだ。ボルドールでの「改良フレーム」はこのことを指すのだろうか。
 
(2)RS1000E-81TT01/RS1000F-800102

 3で取り上げたBS誌08-6に掲載されたマシンで、エンジンは900-1シリンダー。エンジン番号からすると「81年のTT-F1レース仕様の1番目のエンジン」ということになるが、このエンジン番号は上のマシンと異なりクランクケースに直接打刻されておらず、エンジン番号打刻位置に貼られたプレートに打刻されているので、本来のエンジン番号は別である。キャブレターはCRタイプ。記事ではエンジンは1062ccで6速となっている。そうであれば排気量はTT-F1規格外であり、キャブレターがTT-F1規格外であるCRタイプであることと取り合えず符号する。

 記事ではこのマシンのエンジンについて「キットとはいってもクランクケースから別物の大いなるスペシャルエンジンだ」とし、その根拠は「クランクケースがRS専用なのを証明する打刻」としてエンジン番号を挙げているが、市販車と異なるエンジン番号はその根拠にならない。

  部品としてのクランクケースにはエンジン番号がなく、エンジン番号が打刻されるのはエンジンの組立段階〜組立後である。メーカーがTT-F1エンジンを製作するのに、一般市販車用として組み上がったエンジンを分解するとは考えにくい。TT-F1規定上、市販車の部品を使用することが義務付けられている新品部品を使用して(場合によっては追加工し)、一からTT-F1エンジンを製作するはずであり、製作前の段階ではエンジン番号はない。したがって、RS1000エンジンに「RS1000E」という市販車とは異なる名称が打刻されること自体は不思議ではない。

 BS誌08-6の記述中、「別物」は追加工程度のものではないような表現だが、そうならば「RS1000エンジンは市販車とは異なるクランクケースでRS1000はTT-F1規格に違反していた」と言っているのに等しい。

 ただし、エンジンがTT-F1規格外であるなら、クランクケースはTT-F1仕様のように市販車のものを用いる必要はなく、専用品である可能性は否定できない。ただ、限られたレースで使用される1062ccエンジンのために専用クランクケースが製作された可能性は低いように思う。

 なお、このエンジンは前述のとおりエンジン番号がクランクケースに貼られたプレート打刻されている。通関等の問題でレーシングエンジンのエンジン番号を打ち替えることは他のマシンでもあり、プレートの下には別のエンジン番号があるものと思われる。それが市販車のエンジン番号なら、本エンジンは現地で組み上げられたものなのだろう。

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