RC147 HONDA
1960年代のホンダレーサーに興味を持った人なら、125cc4気筒RC146〜4RC146と5気筒RC148/RC149の間にRC147という欠番があることに気が付くだろう。私がRC147の存在を強く意識したのは、オートスポーツ誌1978-7-1号に掲載された次の座談会記事(登場するのはホンダの入交、秋鹿の両氏、ジャーナリストの星島氏)を読んだ時である。なお、明らかにマシンの名前はおかしい。
秋鹿 |
いちばん強烈な印象をもっているのは、RC144でした。 |
星島 |
125ccのRC143の次のマシンですね。 |
入交 |
そこで作ったRC144というわけなんだが、軽量化が必要ということになって、カム・ギアを4気筒のいちばん外側へもっていった。 |
秋鹿 |
レースに向けてヨーロッパに送り出す日は近づいてくるわ、エンジンは使えないわ、あわてましたね。けっきょく前の年の図面をひ |
どちらにしても入交→秋鹿氏の発言は、5気筒が登場する前に、本来は1965年型として作られた125cc4気筒のことを指している。これからするとRC147は1965年用に製作されたマシンで、1965年型4RC146はRC147の不振のために急遽製作されたモデルということになる。
今では以下の資料からRC147が125cc4気筒だったことが明らかになっている。
(1)「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(1994年HONDA
R&D Technical Review)
(2)「ホンダの二輪レース用機関の出力特性−機関諸元の選定−」(1994年HONDA R&D Technical Review)
(3)「成す事によって学べ」(自動車技術会サイト内の「自動車技術を築いたリーディング・エンジニア」)
(4)「世界二輪グランプリレースに出場したホンダ レース用エンジンの開発史」(エンジンテクノロジーVol08・No2(山海堂2006/4))
ここでは、(4)の記述を紹介するとともに、これらに記載された内容からRC147エンジンの諸元(推定を含む)をまとめ、疑問点等についても記述した。なお、上記の入交氏の「カム・ギアを4気筒のいちばん外側へもっていった」は、八木氏の「クランクシャフトを5点支持とした」から正しい記述と考えられる。
(4)の記述 |
1965年、RC146よりさらにショートストロークのRC147(φ36.4×30×4)の開発に入った。高速化を目指し、吸気弁径を大きく取ると共に、ポート形状を見直し、かつ機械損失低減のため、クランクシャフトを5点支持とした。その結果、諸元係数(ストローク×クランクシャフト平均軸径)0.5/ボア)は4RC146に比べかなり低い値となり、28.2PS/18000rpmの高出力を得たものの、耐久性に欠けていたため、レースには出場しなかった。 |
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エンジン機種名 |
RC147E |
2RC146E |
4RC146E |
形式 |
4ストローク空冷並列4気筒 |
4ストローク空冷並列4気筒 |
4ストローク空冷並列4気筒 |
ボア×ストローク o |
36.4×30 |
35.26×32 |
35.26×32 |
排気量 |
124.9 |
124.9 |
124.9 |
バルブ数 |
4 |
4 |
4 |
バルブ径(吸/排気) o |
15.5/13.5 |
14.5/13 |
14.5/13 |
カムシャフト駆動方式 |
ギアトレーン(シリンダー端) |
ギアトレーン(シリンダ中央) |
ギアトレーン(シリンダ中央) |
圧縮比 |
9.8 |
10または10.4 |
9.6または9.7 |
ピストンリング数 |
2 |
3 |
2 |
クランクシャフト平均軸径 o |
14※ |
16.8 |
14.2 |
点火方式 |
トランジスタ |
トランジスタ |
トランジスタ |
最高出力PS/rpm |
28.2/18000※ |
25.5/16500 |
27.5/18000 |
変速機段数 |
8 |
8 |
8 |
開発開始時期 |
1964年8月※ |
1963年8月? |
1964年5月? |
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備考1 |
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(2)のTable2ではクランクシャフト平均軸径12oになっているが、Table2及び(2)のFig.8の諸元係数から計算すると14oになる。 |
2 |
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(2)のFig6-2のエンジン出力曲線図では28.6/18000程度に見える。 |
3 |
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(1)の諸元表では開発開始時期は1963年3月となっているが、「1964年8月」ではないか?オートスポーツ誌での入交氏の「1月にベンチ・テストが始まった」は1965年1月。 |
4 |
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秋鹿氏の発言からすると次のようなことが想像される。 |
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